3月24日:コロナ禍を生きる~a la carte

3月24日(水):コロナ禍を生きる~a la carte

 

 オリンピックは外国からお客さんを招かないことで決定したらしい。そうなるとは分かってはいたが、正式に決まったそうだ。前の首相もオリンピックを完全な形で開催すると言っていたけれど、これでそれのかなわないことが現実となった。もともと無理だったのだ。

 東京オリンピックは、平和の祭典であるところか、破滅の象徴である。どれだけの犠牲の上に開催するのか、とても平和の祭典とは言えない代物である。

 オリンピックは開催するか中止するかのどちらかしか選択できないことになっている。そういうルールである。昨年、日本は一年の延期を求めた。延期という選択肢はルールにはないものである。IOCはそれを認めたのだけれど、日本がルール違反を求めたことは確かである。そう、それはルール違反なのだ。スポーツの世界では一番やってはいけないことだと僕は思っている。

 ルール違反の上に開催される大会に出場する選手もルール違反を犯すことになる。聖火ランナーとて同じことである。時短営業に応じた飲食店はルールを守ったのである。違反するのは国民ではなく、政府であり、委員会である。

 

 しかし、外国人の客を入れることができないとなると、まあ、当然のことながら様々な問題が起きるそうだが、それも仕方がない。日本はどれだけの責任を負うことになるやらである。これも昨年の時点で中止を選択していれば、ここまで大きな問題にはならなかっただろうと思う。昨年の今頃であれば、オリンピック中止はコロナのためであると世界の人は思ってくれたことだろう。日本に行ってオリンピック観戦しようという外国の人たちも諦めてくれたことだろう。

 一年延期して、一年待って、それでこのザマかいっ、て今なら言われそうだ。昨年、中止ではなく延期を選択したのが根本の間違いだったのだ。

 

 喫煙者への風当たりがキツクなったのもオリンピックのためだった。飲食店での喫煙が禁止されたのだ。お店によってはこれはけっこうな打撃となった。僕も喫煙できないお店は行かなくなった。

 この喫煙の禁止は、もともとはオリンピックのために外国人観光客が増えるからという理由で始まったものだ。それがなくなったのだから喫煙を元に戻してほしいところであるが、それはともかくとして、そういう犠牲もまた無に帰したことになる。無理して喫煙場所の設備を作った店も、喫煙者が来なくなった店も、仕方なく我慢している喫煙者も、すべてその努力の意味がなくなってしまった。もう意味がなくなっているのに、僕はそれを続けることを強制されているのだ。たまったものじゃない。

 

 コロナ対策もオリンピックを念頭に置いているために多くのことで失敗している。死ななくていい人も死に、重症化を防げた人が重症化し、感染しなくてよかった人たちが感染する。

 日本は感染者数が少ないとされる。確かに感染リスクの高い習慣はあまり馴染みがない。つまり握手したり、ハグしたり、キスしたりなどの習慣である。マスク着用にも抵抗感がなく、密になる場所でもパーソナルスペースをけっこう守るのである。感染症防止に対して有利な国民である。それでも感染者は増加しているのだ。

 それに感染者数が少ないのに経済的ダメージはデカいというのはどういうことかとも思う。いかに観光に、外国マネーに頼って来たかということだろうか。

 加えて、感染者数は少ないのに医療が逼迫しているとはどういうことか。日本は医療体制がかなりしっかりしている国であるはずなのに、このありさまである。

 

 宣言解除の基準はなく、期限で決める。これもまた問題である。その数字に達するまで耐えればいいのと、その日まで耐えればいいというのとでは、意味が大きく異なる。後者はいくらでも延期できる。前者は達成すればそれが分かるものであり、延期というのはあり得なくなる。

 それで解除して、人の動きが増えると、解除後も宣言中と同じ行動を求めたりするのであれば、何のための解除かである。解除して、飲食店も夜間営業していいということになって、政府や自治体がそれを認めているのに、いざ客が増えたら注意するとはね。

 解除が早かったと思う人もあるが、僕はそうは思わない。早くも遅くもない。そもそもその宣言が間違っているのだ。飲食店だけの時短営業なんて、効果があるとしても、どこかで限界が来るはずなのだ。2か月半もダラダラとそれを続けるよりも、1か月だけロックダウンのようなことをする方がましなのだ。

 いわゆる「波」がある。今は第三波ということになっている。波があるのはいいのだ。それは構わないことなのだ。要は波間があるかどうかなのだ。この波間を作ることが宣言の意味であるはずなのだ。完全にゼロにできないということなのであれば、それは波間の期間を作るということになるわけだ。

 ところが、この波間を作ることにも失敗するのである。第3波が下がって、そのまま第4波につながることが予想されている。大阪は3月に宣言解除したが、3週間ともたないのだ。すでに増加傾向が見られている。

 

 結局、何一つとして成功していないのだ。オリンピックの完全開催もそうだし、宣言の期間中に抑え込むという発言もそうだ。振り返れば、アベノマスク(そのものが失敗なのだが)さえ最初は成功しなかったのだ。ワクチン供給も接種もすべて失敗である。

 ワクチンに関しては、まったく予定がつかないものと我々も心得ておく必要がある。というのは、国もまた順番で手に入るようなものだからである。各国の争奪戦の中で、自分の順番が回ってきた時だけ獲得できる、そういうものだと思っておく方がいい。いつ、どれだけの量のものが入るか、誰も予測できないし、その時次第である。

 

 日本は最悪の国である。日本は再び敗戦国となる。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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