<#008-29>子の反応(1)
(子の反応~賛成)
母親がカウンセリングを受けることに対して、IPである子の反応として、積極的に賛成するというものがあります。
賛成する子たちの中には、母親に問題があると信じている人あります。その信念があるから母親が治療を受けることには賛成するのでしょう。
また、親が受けることで、あるいは親が改善することで、自動的に自分が良くなると信じている子もあるようです。現実にはそれはまったくの期待外れに終わるのですが、そう信じているようなのです。それはいわば魔術的思考であり、母子一体の段階への心的退行の産物であると私は考えています。
時に、賛成する子の中には、母親のカウンセリングに対して口出しする子もあります。例えば、母親に話す内容を指示したりする子もあります。カウンセラーにこういうことを話せと内容を書いて母親に渡したりするのです。これは、つまり、母親のカウンセリングをコントロールしようとするものと考えることができます。時に、こういう子はそれ以外の場面でも母親をコントロールする傾向が見られる例もあります。私が思うに、これは自己の統制が取れない反動で相手を統制したがるということであり、強迫的心性の一つの表れであるように思うのです。
また、母親と対立的な関係にある子の場合、母親のカウンセラーを自分の味方に引き入れようとする行為が見られることもあります。この子は、自分はカウンセラーを必要としているが、自分で受けることに納得せず、母親のカウンセラーを間接的に自分のカウンセラーにしようとしているようでした。ある意味では支配的であり、貪欲なのであります。母親のものは自分のものであるかのようでした。そしていささか対人操作的なのであります。母親を通してカウンセラーを味方に引き入れることができるので、逆説的でありますが、対立している母親がカウンセリングを受けることに賛成するのです。
上述のような諸々の行為を見せなくても、母親のカウンセリングに賛成する子たちは何らかの期待を抱いているものであると私は考えています。いずれにしても、こういう賛意を示す子である場合、母親がカウンセリングを受けることについては困難が伴うことはないのです。
(子の反応~反対、禁止)
一方で、母親のカウンセリングに反対し、母親が受けることを禁止する子もあります。それは、絶対行くなと強く禁止するものから、間接的に仄めかしたり妨害したりするなどの消極的な行為までさまざまであります。
母親がカウンセリングを受けるということは、こういう子にとっては母親との分離―個体化を強制させられるかのように体験するのでしょう。母子一体感を経験している子に見られることが多いように私は感じています。
母親がカウンセリングを受けるということは、こういう子にとっては、母親が遠くに行ってしまうといった感情を喚起するのでしょう、そこで見捨てられ、母親を喪失する体験となるのかもしれません。
こういう子にとって、母親のカウンセラーは敵となるのです。自分から母親を奪った人物として体験されるのでしょう。ある人は母親のカウンセラー(つまり私)がどれほどひどい人間であるかを延々と母親に説くのでした。なんとかして母親のカウンセリングを阻止したかったのでしょう。また、カウンセラー(つまり私)のことを母親の前でけなし、軽蔑し、悪口雑言の限りを尽くしてまでして、母親の意思を変えようとしたのでした。この子たちのこうした行為は、母親のカウンセリングが始まってから以後も続いたのでした。子たちは彼らなりになんとか母親を取り戻そうとしたかったのでしょう。
上記のように、母親がカウンセリングを受けることは、母親喪失の体験となってしまう子もあるわけです。そこでもし、本当に喪失したというふうに体験すれば、その子は抑うつで反応するでしょう。もし、失いそうだという喪失の危機を体験すれば、つまり失う寸前という体験をしていれば、その子は強迫的な傾向を示すことでしょう。ひっきりなしにしがみつくような感じの行動であったり、自分自身に対して完全主義的な日課を課したり、家族をコントロールしたがったりといった例があります。
時に、「偽りの治癒」を見せる子もいます。自分は良くなった、だから母親はカウンセリングを受けなくてもいい、というわけです。言葉は悪いですが、これに騙されてしまう母親もあるのです。せっかく予約を取ったのだから最初の一回だけでも受けておきたいわとでも言って、受けにきたらよかったのにと私は思うのですが、急に子供の状態が良くなったからと言ってキャンセルされることもあるのであります。ちなみに、それが「偽り」でなかったとしても、急激に良くなるということは、急激に悪化する可能性を秘めていることになるので、そこでカウンセリングを中止するのは好ましくないと私は考えています。
「偽りの治癒」に類縁のものとして、親と協定を結ぶことをする子もいます。取引をするのです。つまり、母親がカウンセリングを受けるのを止めてくれたらこれこれのことをするなどと交渉してくるのです。母親がカウンセリングを受けないことの交換条件としてこれこれのことをすると子は約束するわけですが、この約束が守られることはないと私は考えています。というのは、その約束事は問題解決に結びついていないからであります。つまり、約束した行動は母親のカウンセリングを阻止することが目的であったので、その目的が達成されると、子はその行動をする動機づけがなくなってしまうのであります。
また、母親とカウンセラーが共謀して何か良からぬことを企むといった妄想的確信を表明する子もいます。以前にも述べた性的嫌悪の強い娘が、母親とカウンセラーとが性的に良からぬことをすると信じるなどの例があります。あるいは、母親がマインドコントロールのようなことをされて、カウンセラーに支配され、利用されるなどと信じていた例もあります。だから母親にカウンセリングに行くなと禁止するのです。また、被害感情の強い子である場合、母親とカウンセラーとがグルになって、自分に何か良からぬことをするだろうとか、自分が強制的に変えられてしまうとかいったことを考える例もあります。これらの例では、子に現実認識(これは自我機能の一つである)の歪みが見られるわけです。あるいは、性的な感情や攻撃的な感情が、漏洩し、対象(カウンセラー)に投射されているとも言えそうです。
スプリッティング(分割)している感じの子の場合、母親が善であればカウンセラーを悪として体験している場合もあります。カウンセラーは悪だから行ってはいけないといった主張を母親にするのです。母親が「悪」の影響にさらされることを恐れるかのようであります。それは母親が「悪」に染まるというよりも、「悪」と関わる母親と関わることができなくなるからであるようにも私には思われるのです。つまり、善と悪とがしっかり分割されているというのは、それだけ事態を単純化できるわけであり、関係性も単純化できることになるのですが、両者が混ざり合うとどう対処していいか分からなってしまうということであります。だから複雑な関係や状況に適応できない子である場合があるのです。
また、母親のカウンセリングを禁止するのに、その禁止の理由を言わない子もいます。つまり、ただ行くな、受けるなということだけを言うのです。どうしてカウンセリングを受けたらいけないのか理由を示さないのです。こういう子の中には、感情は体験されているけれど、それを把握したり言語化したりすることが困難な人もあるのかもしれません。前言語的な段階に退行しているのかもしれないし、理由は言わなくても母親には伝わっているはずだと信じているのかもしれません。こういう子にしばしば激しい行動化が見られることもあります。内面を言語化することに困難があるので、それを行動で表してしまうのでしょう。
行動化の中でも厄介なのは暴力であります。母親が暴力や暴言に晒されてしまうこともあるのです。母親がカウンセリングを受ける度に子の暴力・暴言が増すといった例もありました。言葉では言わないけれど、母親のカウンセリングに反対しているのです。そして、暴力・暴言でもって、つまりそれらの行動によって、母親のカウンセリングを阻止しようとしていたのだと思います。
母親のカウンセリングに子はさまざまな形で反対を表明し、それを禁止するのであります。予約を取ってから面接日までの間に再び電話をかけてくる母親もあります。子供から反対されているけれどどうしたらいいですかといったことを問い合わせしてくるのです。私はその反対を押し切って受けたらいいと伝えます。
もし、カウンセリングを受けようと決心し、子がそれに反対するという場合、母親たちには是非その反対の理由を聞いてほしいと願います。それだけで子のことがかなり分かる気がするのであります。と言うのは、子にとっては自分の望まないことを母親がするという体験に直面しているのであり、それはいわば、母親との分離の体験に直面しているのであり、母親が自分の思い通りに行かない体験となっているからであります。そういう場面でその子が示す反応は、子の問題をかなり表現していることがあるのであります。自分の望まない場面で心の問題が露出されることが多いからであります。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)