#008-21>親と子(1) 

 

 子供のことで親がカウンセリングを受けに来るというケースは、一概に論じることが難しいと私は感じています。家族がさまざまであるからです。子供の問題と言ってもそこにはさまざまな問題が見られます。子供の性格や状況、生い立ちもさまざまであります。同じことがそれぞれの父親と母親にも言えるのです。親の性格や状況、生い立ちもさまざまであります。そこにその子供の兄弟姉妹が関係してくると、家族の在り方はさらに複雑になってくるのであります。 

 さまざまな家族があるとは言え、私のところに来談される方々にはある程度の傾向も見られるので、本項ではそれを綴ろうと思います。 

 ただ、これは私の経験範囲内で述べることなので、一般化するわけにはいかないという点はご了承いただきたく思います。一般化しようとするなら、もっと多くのケースを検討し、尚且つサンプルに偏向が生じてはいけないことが前提となります。そのようなことは私の経験の範囲をるかに超えていることなのです。 

 以下において述べることはすべて私の経験範囲内の話であるということは常に念頭においていただきますようお願いする次第であります。 

 

(子供) 

 子供の問題と言ってもさまざまな問題があるのですが、基本的にひきこもっていて無職であるという状態に陥っているケースが、私の経験する親カウンセリングでは、大半を占めてます。 

 また、子供の「問題」とされているものは、一例ごとに見ていかなければならないことでありますが、ごく大雑把に言って、子供の問題が「自己完結的」であるか「他者巻き込み的」であるかの違いを認めることができます。 

 

(他者巻き込み) 

他者を巻き込むという場合、巻き込まれているのは親の一方(もしくは双方)でありますが、より深く巻き込まれている親がクライアントになるのです。 

 どのようにして「巻き込む」かについてはさまざまなパターンがあります。暴力によって巻き込むケースもあれば、親を独占する形で巻き込むというケースもあります。 

 こうした「他者巻き込み」的な人たちは、実は本当には悩んでいないと私は考えています。苦しみは経験されていても、悩みを経験していないのです。悩みを経験したり、抱えたりする前にそれを他者にぶつけるのです。苦悩する以前に親に対して行動化するのです。自分で抱えきれないので他者を巻き込まなければならなくなるわけであります。 

 この子供が悩むことができるようになると、あるいは悩みを悩みとして抱えられるようになると、他者を巻き込む度合いが減ってくるようであります。その代り、当人には以前よりも苦しい体験をするようになったと感じられるのです。本当は改善歩を進めたのに、こういう人は自分が「悪化」したと解釈してしまうこともあるのです。主観的な感情で評価するからであります。 

 苦しいことを抱えるようになると、それは今まで経験したことがないような苦悩となるので、本人を大きく動揺させることもあるようです。この動揺を早急に何とかしようとして、以前の段階に逆戻りしようとしてしまう(つまり他者巻き込みパターンに戻る)人もあるのですが、これは本人がそれに耐えることが難しい状態にあるためでしょう。 

 そこで親が安定しているということが重要になるわけであります。もし、この子供が母親との関係が深い場合、この苦しい状態を母親に何とかしてもらおうとするでしょう。どういう形でそれをするかは子供次第ということになるのですが、その時に、親も一緒に動揺してしまうと子供は二重の揺れ動きを経験してしまうことになります。自分が揺れ動いているだけでなく、受け皿も揺れ動いているとすれば、体験される動揺が倍化してしまうということであります。 

 

(自己完結) 

もう一方の「自己完結」型とは、ある意味で、親と本当に接点を持たなくなる子供であります。親を巻き込むことがない代わりに、親と触れることが限りなく少ないのです。大半は部屋に籠ったきり出てこないとか、当たり障りのない会話だけをするとか、そうした形で確認できる型であります。 

 もし、「他者巻き込み」型で応じてきた子供が、苦悩を抱えられるようになると、「自己完結」型の様相を見せるようになるでしょう。その意味で、「他者巻き込み」型は「自己完結」型に発展していくと望ましいということが言えると思います。子供が自分の問題やそれにまつわる諸感情を抱えきれないので他者を巻き込まざるを得なくなるのですから、子供がそれらを抱えられるほど「自己完結」タイプに近づいていくのです。そのように見ることも可能であると私は思います。 

 しかし、「自己完結」型も、苦悩を抱えることができているとは言えないかもしれないのです。その苦しみの源泉が、「他者巻き込み」型は意識に近いところにあるのに比して、この人たちは単にそれを意識から締め出しているだけなのかもしれません。従って、「自己完結」型の子供も、本当には悩んでいない可能性があると私は考えています。 

 実際、親たちは子供が平然とできているのが不思議だと思うこともあるようです。幾人かの親からはそういう話を伺ったことが私はあります。もっと将来のことなどについて不安になったりしないだろうかと、不思議に見えるとおっしゃられるのです。 

 臨床家の中には、外見上はそう見えているだけであって、内面ではすごく不安であるかもしれないと考える人たちもあるようです。私もそれに反対はしません。ただ、その不安はその人の内面のずっと奥深いところにあるのかもしれません。奥深いところにある感情なので、相当のことがない限り、意識に上がってこないのかもしれないということです。 

 「自己完結」型の人が本当に悩みを抱えるようになると、外見上の行動に違いが見えなくても、表情や様子、雰囲気がかなり異なってくるようであります。明らかに苦しそうな表情をされるのです。思いつめたような顔をするのです。時には、人知れず泣き暮れるといったことをするのです。部屋に閉じこもりがちな生活はそのままであったとしても、平然としていた表情から、緊張感が漲るようになるのです。そういう印象を私は受けています。 

 

(悪化とみなすこと) 

 どちらの型であれ、子供が苦しいことや辛いことを抱えることができるようになると、子供は今まで以上に悩むようになります。この時、親は子供が悪くなったように見えてしまうこともあるのですが、必ずしもそうではないのです。子供が他者(親)を巻き込まなくなるようになればなるほど、また、その苦しみの源泉が意識に近くなればなるほど、子供は苦悩を経験するようになるのです。そして、この段階を経る必要があるのです。 

 親たちはそこを過小評価してしまう傾向があるように私は感じています。子供に動きが生じると、必ずといっていいほど、激しい時期を経ることになるのです。その時のための準備や覚悟をせずにカウンセリングを受けに来られる親も少なくないように私は思うのです。 

 そういう苦しみを子供に与えずにできないのか、そう願う親もおられるかもしれません。そう考えるのも当然であると思います。しかしながら、人間はどこかでこれを経験するものだと私は思います。人生は思い通りに行かないものであり、失望や挫折の経験をいやが上にもしてしまうものです。そういう経験の一つ一つを乗り越えていかなければならないということは、どの親も同意していただけるのですが、乗り越えていくためには、その体験を抱えられるようになることが一番の前提になると、私はそう思うのです。 

 私も厳しいことを言うかもしれません。この社会で子供に生きて欲しいと願うなら、子供にそれを乗り越えさせなければならないのです。親も専門家も、それをサポートすることはできても、肩代わりするわけにはいかないのです。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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