1月18日:今週の出来事(2)~僕がセブンを辞めた日 

1月18日(土):今週の出来事(2)~僕がセブンを辞めた日 

 

 1月17日の深夜、僕はセブンのバイトを辞めることにした。前々から辞めたいとは思っていたものの、なかなか決断がつかなかったのであるが、今回、思いきることにした。 

 

 その発端はこの日の出勤時にあった。店頭にはゴミが落ちており、店内にもゴミが落ちっていた。売り場はガタガタで陳列されておらず、バックヤードは前日の入荷品が棚に納められずに床に置いてある。事務所では返本が箱詰めされておらず、買い物かごに入れられて積み上げてある。廃棄商品とストック商品が同じデスク上に置いてある。そんな状態だ。 

 それでスタッフは何をしているのかというと、カウンターでペチャクチャお喋りしておる。忙しくてそこまで手が回らないというのなら話も分かるのだけれど、お喋りしていて、それで雑務をそのまま放置しているわけだ。もう少し言わせてもらえば、それらの雑務を僕に押し付けているということである。 

 ストック商品を売り場に並べてきてと僕が言っても、「出ません」と即答してくる。売り場を見たわけでもないのにい返してくる。要するに「やりたくありません」の意味だ。もう相手する気もない。僕が並べる。フェイスを広げれば陳列できるのだ。 

 

 そんないきさつからその日の勤務は始まったわけだ。僕は自分の無価値さを思い知った。この無価値さが辞める決断を後押ししてくれた。 

 コンビニの一日は朝6時に始まるというのが僕の持論だ。深夜勤務は店が一日のスタートを切れるように手配するのが仕事であると僕は考えている。だから、僕は自分を店員とはみなしておらず、「作業員」と位置付けている。 

 一日のスタートを切るためにはいろんな裏方の仕事をこなさないといけない。これがまあまあたいへんな作業量となる。特に店内すべてのゴンドラのフェイスアップ(前出し)を最後にするのだけれど、時間に追われながらやることが多いし、時に、一部切り捨てなければならないこともある。そして、これは僕が自分で調べたのであるが、この作業をしているのは僕だけのようだ。おかしな話である。どの時間帯だろうと、これは仕事の一つであるはずなのに。 

 早朝勤務者が来てくれると、バックヤードのことができる。ここは時間外労働となり、サービス残業となるのだけれど、多少は構わない。実際、10分や15分くらい無償奉仕してもいいのである。その分、勤務時間帯に一服しているのでチャラになるのである。そうしてバックヤードも整頓して帰ることにしている。モノがゴチャゴチャと置いてあって、通路が狭くなることも、僕にとっては、困ることなのである。足の調子が悪い時など、狭いところを移動するのがけっこう怖いのである。まあ、それは僕の個人的な事情であるからいいとしよう。でも、バックヤードが乱雑なのは気に入らない。 

 気に入らないといえば、作業デスクである。事務所にあって、ストコンで作業するためのデスクである。届いた書類なども置くことがある。依頼や注意事項のメモなんかが貼られていたりすることもある。とにかく、事務仕事をするためのデスクである。このデスクに平気で私物を置くのである。あれが無性に腹立たしい。 

 僕はそこには私物を置かず、反対側に置かれている簡易デスクに置くようにしている。そのためには簡易デスクの場所を空けなければならないのだけれど、そこに廃棄商品やストック商品を置いて、私物が置けないようになっている。出勤して僕が最初にすることはその場所を空けることである。そこに飲み物なんかの私物を置いて、事務机にはモノを置かないようにしたいのだ。 

 もちろん、僕が個人的にそうしているというだけのことである。それに、事務机に座って、飲み物片手にストコン作業するのならそれでも構わない。ただ、席を離れる時は私物も持ち去ってほしいところである。私物をそのまま事務机に置きっぱなしにしている例もたくさんある。 

 全員が作業するデスクなのである。ストコンで作業する前に、ストコン前に放置されている誰かの私物を片付けないといけないっていうのは効率が悪いわけであり、そういう状態になっているというのは、彼らが仕事できない人たちであることの証拠である、と僕は考えている。 

 それに先述のように、書類なんかが置いてあることもある。そこに私物を置いてると、汚破損が生じかねないように僕には思えて、とかく気が気でなくなる。 

 

 店内はもっとひどいものだ。 

 売り場はガラガラなのに、ストックは大量にある、なんてこともザラである。品出しなんてほとんどされていない。それでも彼らは品出しをやってると言うだろう。僕からすると、まったくなされていないに等しいのだけれど。要するに、彼らの言い分を承認するとして、彼らは品出しはしているが、売り場つくりはやっていない、と評価しよう。 

 しかし、やはり品出しはできていないのである。在庫はあるのに売り場に出ていないアイテムも見つかる。チャンスロス発生率も高そうである。 

 陳列もひどいものである。先入先出ができていない。奥の方から日付の古い品が出てきたりする。見つけるたびに僕は並べなおす。 

 奥から違う商品が出てくるなんてこともある。ひどい時には、商品が裏向けで並べられていたこともある。商品の表と裏も分からんのか、と呆れるばかりである。 

 品出し、陳列関係のことばかりではない、清掃関係なんてひどいものだ。埃が付着しているとかは許せる。店の前が大通りなので、交通量も多く、どうしても外の埃が入ってしまうからだ。それを掃除して、尚且つ、埃が積もる前に掃除していくとなると、全員がかなり本腰をいれて取り組まないとならなくなるだろう。僕もそこまで手が回らない。目立つところだけ清掃するくらいが関の山である。それでも、もし、全員がちょっと気を付ければ多少はましになるだろうとは思う。 

 さて、先述のように、店頭や店内にゴミが落ちていても気づかない。そっちのけでお喋りしておる。床に汚れが付着していても何もしない。ゴミ箱が満杯になっていても放置して帰る(つまり僕に押し付ける)のは、まったくそこを見ないということを意味している(ということは、店内を移動しないことを意味している)。カウンターに突っ立ってるだけのイメージしか僕には浮かんでこない。 

 僕の勤務時間である深夜帯の前の時間帯を「準深夜」などと呼ぶのであるが、僕は正直に言って「準深夜の連中は何しに来てるんだろう」といつも思っている。 

 

 準深夜の連中に完璧を求めているわけではない。限られた時間でできることも限界があるだろう。彼らができなかったこと、やり残したことを引き受けることは全然苦にならない。そして、深夜の時間帯で、一日の作業をキッチリ終え、新しい一日のスタートを切ることができればいいのである。 

 問題は、彼らがもっとできるのに「やらない」ということである。いちいち面倒くさくなるので簡単に書いて残すことにしよう。彼らも精一杯働く、それでも残る仕事がある、僕はそれを引き受ける、それによって彼らの仕事も完遂されるし、僕は彼らに協力したことになる。そういう関係性であればいいとは思う。でも、ふたを開けると、できることはまだまだあるのに、彼らはお喋りして時間と労力を浪費する。そして、過剰なほどの作業を僕に押し付けて(僕にはそう感じられてしまう)、平気で帰る。 

 結局のところ、僕が追い付こうと懸命になろうと、彼らのお喋りのためにそうしていることになっているわけだ。つまり、彼らの仕事に協力しているのではなく、僕は彼らのお喋りに協力していることになっているのだ。だから僕という作業員の存在は無価値なのである。プラスに力を貸しているのではなく、マイナスに力を貸していることになるからである。そして、こういう人間がこの店に存在している限り、マイナスばかりが伸びてしまうことになる。マイナスなことに協力し続けてしまうのだから、僕は手を引かなければならないのである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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