<テーマ178>I氏の事例(3)
(178―1)I氏、生活がうまくいかなくなる
(178―2)子供の勉強に付き添う
(178―3)実母への認識が変わる
(178―4)I氏の決意
(178―1)I氏、生活がうまくいかなくなる
I氏の事例を続けます。本項も最初の3か月である第1期の頃、それも後半の時期のことが中心になるかと思います。
カウンセリングを始めて1か月と少し過ぎていました。I氏の中に違和感が生まれています。彼は非常に苛立ちながら面接室に入ります。
彼は、「これはおかしい」と言います。「何が?」と私が応じます。あの家は自分の名義の家なのに、持ち主の自分が入れないということ、それでもローンの支払いは自分がしているということが「おかしい」と。また、車も彼の名義の車なのに、妻が乗り回して自分は公共機関ばかり使用していること、さらに、妻が車を乗るのはいいけれどその分のガソリン代まで自分に請求されるということ、自分の実家にも戻れず妻の実家に居候しなければならないことなどです。どれもこれも理に適わないことじゃないかと、I氏は憤ります。
私は「よくそこに気づいてくれました」とI氏を讃えます。
それだけではありませんでした。I氏を憤らせることが他にも生じていました。
一つは、仕事上のことで、彼は失敗をしてしまい、顧客を一人逃してしまったのです。そればかりか、それが尾を引いて、彼はあるプロジェクトから外されてしまいます。彼が就職してからこういうことは初めてのことでした。
顧客を一人逃したからと言って、それ自体は大きな問題ではないのですが、プロジェクトから外れたことについてはI氏は上司に伺ったそうです。上司の言うところでは、I氏自身に問題があるわけではないのだけれど、この数か月、思い詰めているようで、仕事に身が入っている感じがしないので、一時的にこのプロジェクトから外したのだということでした。それで彼の地位とか立場がどうこうなるわけではないのですが、I氏にはとてもショックだったのです。確かに、別居してからというもの、以前ほど仕事に集中できていなかったと彼は改めて感じるようになったのでした。
もう一つは子供の成績でした。子供の成績が著しく落ちていたのでした。妻に子供を任せると必ずそうなると知っていたのにと、彼は別居を受け入れたことを今になって後悔し始めるようになりました。
(178―2)子供の勉強に付き添う
あるDVの本によると、自分の価値観を相手に押し付けるということもDVとみなされるようです。ただし、それがどんな価値観であるかということは考慮されていないように私は思いますし、価値観を押し付けられることに馴染んでしまっている人のことが考慮されていないようにも感じます。
I氏の回想したエピソードを提示しましょう。
子供が小学生の頃でした。夜遅くまで起きている子供をI氏は早く寝るようにと諭したのです。妻はそれは価値観の押し付けだと言ってI氏に反対しました。妻によると、子供は自由にさせなければいけないということでした。
I氏は、親が親として当然言うべきことを子供に伝えて、それがDVになるなんて、それもおかしいと訴えられました。私も同感であります。
別居してから、妻は自分の育児方針に従って子供を育てています。8か月もすると子供の成績はすっかり地に落ちてしまっています。それが妻の言う「自由」ということであれば、それは間違っている、妻の方が間違っているとI氏は力説します。初めて「妻の方が間違っている」と口にされた瞬間でした。
余談ですが、妻の言っている子育ては未熟な親がするものなのです。子供を自由にというのは、確かに乳幼児の子供にはふさわしいかもしれませんが、小学生以上になると、それでは具合が悪いのです。
まず、制限の一切ない自由というものは、却って不安を強めてしまうのです。これは大人も子供も同じなのです。それに、子供は勉強できなくてもいいと考える親もいますが、学校の成績はその子の自尊心にも関わることなので、過小評価してはいけないのです。
私はそのように考えていますので、I氏のおっしゃることはもっともだと思うのです。
次の週末に、帰宅したI氏は子供の勉強を見てやります。妻は反対します。でも、I氏は子供の成績がそこまで落ちているのだから親としてやらなければいけないといって、妻に反対します。
妻はそれをDVだと言って騒ぎ始めます。妻の言葉など無視してI氏は子供の勉強に付き添います。妻によると、「あなたは高学歴のエリートだけど、子供も自分と同じようにさせようとしている」ということになるようでした。
I氏には子供を自分の分身にしようなどという意図はまるでありませんでした。一度、彼は子供のことを話しています。彼は言います。子供はエリートの道を歩んでもいいし、手に職をつけて職人になってもいい、専門分野の研究に入ってもいいと。ただ、勉強するという習慣が大切なのだとI氏は考えているようでした。
さて、休日を返上してまで子供の勉強に付き添う父親がそれほどひどい人間だとは、少なくとも私には思えないのですが、妻にはそのようには映らないようでした。
(178―3)実母への認識が変わる
次の週末もI氏は自宅にて子供の勉強に付き添いました。妻が止めるように忠告しても聞き入れず、帰れと言ってきても相手にせず、子供が疲れたと言った場合のみ中断し、それ以外の時間はずっと子供につきっきりだったようです。
妻は子供がかわいそうだと喚くのですが、I氏は意に介しません。
「子供はどんな様子でしたか、かわいそうな感じでしたか」と、私はI氏に尋ねます。
「そんなふうには見えない。むしろ喜んでいるように見える」とI氏は答えます。
それはそうでしょう。自分のために父親が付き合ってくれるということは子供には嬉しいものだと思います。特にこの子は父親との接触が限りなく制限されている状況だから、なおさら子供にとっては意義のある体験になっていたのではないかと察します。
子供がかわいそうだというのは、妻の側にある観念であることが窺われます。I氏はそれを自分の観念にしてしまわなくなっていました。これは大きな変化だと私は捉えています。
たとえ週末だけでも子供の家庭教師は絶対にやめない。I氏はそう決意を固めていました。妻や義母が妨害してきても、決して負けないと彼は言います。
「Iさんは強いですね。その強さはどこで身につけたのでしょうね」と私。
「それはもう小学生の頃に母親から鍛えられたから」
「じゃあ、それはお母さんがIさんに与えてくれたものなのですね」
I氏は驚いたようでした。母親が自分にそれを与えてくれていたという発想をこれまでしたことがなかったと、I氏は述べます。
「厳しいお母さんだったけれど、少なくともそれだけはIさんに与えてくれていたのですね」と、私は押さえておきました。
I氏は、その当時の自分が不幸だと感じていたけれど、不幸なことだけではなかったのかもしれないと思い始めましたようでした。
その2週後でしたが、I氏は小学生時代のあることを思い出したと語ります。
I氏の両親は自営業をされていました。一階が事務所で二階が住居でした。小学生のI氏は、学校から帰るといつも忙しそうに働いている両親を見てきました。彼は二階に上がり、まず、ある棚を開けるのです。なぜ、彼がそれをするのかは後で分かります。
それからそそくさと学校の宿題を済ませます。すると母親が上がってきて塾の準備を手伝ってくれるそうです。まだ店の仕事は終わっていないのだけれど、そのために仕事の手を休め、母は手伝ってくれていたのだろうと、彼は今になって分かると言います。
夜、塾から帰ってきます。母の用意した晩御飯を食べます。その後、母親が例の棚を開けて、彼におやつを差し出すのです。彼はいつも不思議だったと言います。学校から帰宅した時には棚におやつはなかったのに、塾から帰ってくるとそこにおやつがあるというのです。子供であった彼は母親がおやつを隠していると信じていたようでした。
それを聴いて、私は「へえ、それは不思議ですね。いつの間におやつが棚に入っているんでしょうね」と訊いてみました。
彼は子供時代にそれが不思議だったと言います。その棚以外の場所も探してみたことがあるのだけど、学校から帰宅した時点ではそんなおやつは影も形もないのに、塾から帰ってくるとおやつが出てくる、まるで魔法のようだったと述べます。
「今のIさんでしたら、どんなふうに考えますか」
「きっと、私が塾に行っている間に母親が買っていたのだろう」とI氏。
「それでは、お母さんはIさんの塾の準備を手伝って、Iさんを送り出し、仕事を終えて、塾から帰宅したIさんのためにおやつをわざわざ買いに行くということなのですね。お母さんにはそういう優しい一面もあったのですね」
そう伝えると、Iさんは少し涙ぐんだようでした。
「母親のそういう一面に気づいていなかった」とI氏は話し、もしかしたら、ずっと優しい母親だったのかもしれないと、そう語られました。
I氏にとってみれば意外な感じがあったかもしれません。母親が本当は自分が信じていたような厳しい母親ではなかったかもしれない、もしくはただ厳しいだけの人ではなかったのかもしれないと思い始めているのです。
(178―4)I氏の決意
小学生時代に見ていた母親の姿は、30代後半のI氏によって、違った母親の姿として認識され始めています。これは不思議なことではなく、私たちが物を見るときにはそのようにしかできないのです。
ゲシュタルト心理学や知覚心理学によれば、私たちは「図」と「背景」を同時に見ることはできず、表と裏を同時に見ることもできないのです。一方が見えている時は他方は見えず、見えていない方を見ると見えていたものが見えなくなるのです。こういう知覚を私たちはしているわけなのです。
I氏が母親に厳しさしか見えていない時は母親にある優しさは見えていないのです。これまで見えていなかった方を見ることによって、母親の厳しさは消失する、もしくは、その意味合いが変わってくるのです。
さて、母親が実は自分のためにいろいろしてくれていたことに思い至ると、この母親を敵対視するような意見を彼は受け入れる気にはなれませんでした。妻から推奨されたACの本はことごとく処分したとI氏は語ります。
その一方で、妻と義母のひどさが今まで以上にI氏には見えてきました。
義母と義父は、一つ屋根の下で暮らしていましたが、それこそ家庭内別居の状態だったそうです。お互いに最低限の接点しか持とうとしませんでした。
I氏に言わせると、義父の方がDVなのだそうです。妻の実家に居候してから、I氏は義父の暴力や暴言を数回目撃しています。義母は、その後でI氏の所にきて、「娘だけはこんな思いをさせたくない」と悲痛な訴えをされるのです。初めのうちは、「そんなひどいことは絶対しないし、そんな夫にはならない」と決意を固めるI氏でしたが、そんなの欺瞞だし、やり方が卑怯だと言うようにさえなりました。
I氏は妻からDVの「加害者」だと訴えられています。義理の親のもとに居候させられて、そこで「本当」のDVを目撃することになります。義母は娘にだけはそんな目に遭わせたくないということで、I氏に「あなたも義父と同じことをしているのだ」ということが仄めかされているように感じているのでした。それが卑怯なやり口で卑劣だとまでI氏は口にするようになったのです。
さらにI氏を激怒させたのは、義母の友人でした。義母には男性の友人がいるらしく、時折電話で話したりしているそうです。I氏はプライバシーを侵害したくないから、義母が電話で話している時は奥に引っ込むのだそうです。ある時、それを聴いてみたそうです。すると、その男性は義母の愛人のようだと言うのです。義母はずっとその男性と不倫関係を続けていたということが後で分かったのです。
I氏はその時、義父に将来の自分を見るような思いがしたと回想しています。
この夫婦、この家族にI氏の嫌悪感は募るばかりでした。妻と結婚する時に、母があの人たちだけはイヤだと嫌悪を示したわけが、今さらながらよく分かるようになったとI氏は語ります。
一回だけI氏はカウンセリングを休ませてほしいと言ってきました。週末は子供と過ごすために空けておかなければいけないということで、彼の面接は比較的仕事が早く終わる曜日に行われ、彼は職場から直行されていたのでした。
カウンセリングも大事だということは知っているけれど、どうしても早急にしなければならないことがあり、そのために休ませてほしいと彼は訴えるのです。私は理由は分からないけれど、その用事を済ませて、また翌週会いましょうということを伝えます。
その日、彼が何をしていたのかと言うと、物件を探していたとのことです。彼が一人暮らしするための部屋を探していたのです。ちょうどいい部屋があったので、その場で契約までしたのです。ただ、彼が入居できるまでに2週間ほどかかるそうでした。
あと2週間、妻の実家に居候するけれど、あの部屋が空き次第、妻の実家を出ると、I氏はその決意を話してくれました。
本項も長文となりましたので、ここで項を改めることにします。I氏が妻の実家から出るまでが、第1期である別居期でした。ここからI氏の動きはさらに目まぐるしくなっていきます。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)