3月2日:キネマ館~『ウエストワールド』

3月2日(火):キネマ館~『ウエストワールド』

 

 今日はひどい雨だった。午前中は少し外出する用事があったのだけれど、ちょっとの外出でびしょ濡れになるほどだった。今日は予定を変更して家で過ごすことにした。たまたまテレビのBSで「ウエストワールド」を放映するのを知り、急遽、鑑賞することにした。

 僕はこの映画を子供の頃に観ている。観たという覚えはあるのだけれど、印象に残っていない。だから、あまり面白い映画ではなかったのだろうと信じてきた。ところがである、今日、その信念を改めなければならなくなった。けっこう面白い映画であったことを再発見した。

 

 物語の舞台はデロスと称するテーマパークである。そこでは古代、中世ヨーロッパ、開拓時代のアメリカ西部の世界が再現されており、参加者はその世界を体験できるというものである。今でいえばヴァーチャルの体験ができるということだ。参加者は人間であるが、その他の人間はすべてロボットであるという。

 西部の町に参加した二人。一人は経験者のようだが、もう一人は初めての参加である。

最初は戸惑っていたものの、酒場で絡んできたガンマン(ユル・ブリンナー)と決闘してからは西部劇の主人公になりきる。

 全体の施設、ロボットのすべてをコントロールする管制室では、コンピューターの小さな異常が連続して発生していることが問題となっている。やがて、コンピューターの制御が働かなくなり、ロボットたちは自動で動くようになり、参加している人間たちを襲うようになる。

 主人公を執拗に追うユル・ブリンナーがいい。地下道を追いかけるシーンは見覚えがあった。倒しても倒しても主人公を追跡するロボットは、ターミネーターの元祖という感じがしないでもない。

 ユル・ブリンナーの表情のないというか表情の変化のない演技が絶妙だ。彼の風貌がまたリアル感をもたらすように思う。また、彼の衣装もお馴染みのものである。「荒野の七人」以来、ユル・ブリンナーのファッションといえばこれである。全身黒ずくめのガンマンである。

 僕が一番怖いと感じたのは、娯楽でさえ徹底的にコントロールされ、人為的に演出されている部分だった。要するに、制御室の人たちの仕事である。チェスタトンの『奇商クラブ』にも似たようなアイデアの作品があったのを思い出す。一介の市民が英雄的行動をするよう演出する仕事の話があったのだけれど、チェスタトンのアナログ感にはまだ人間らしいユーモアも感じられたものの、本作のデジタル化された演出は機械的で無機質、無感情で非人間的な印象を受けてしまう。

 ある意味、現代の娯楽はそのようなものになっているかもしれない。テーマパークでも、どこでどう楽しむかは運営者側が決めており、僕たちはそれを甘受しているだけであるかもしれない。本作の原作者であるマイクル・クライトンの先見の明に脱帽だ。

 そういえば、クライトンの『アンドロメダ病原体』なんか、今のコロナ禍を予期していたかのようだ。それはそれとして、本作に戻ろう。

 本作は娯楽映画としては、おそらくツボを押さえた作りになっていると思う。制御室の人たちの仕事は映画製作者の戯画化であるようにも感じられてくる。娯楽はすべてギミックでなければ得られない世界というのも、考えようによっては、怖いものだ。いろいろと考えさせられるところもある。

 僕の記憶が確かなら、本作は続編が作られているはずだ。ヒットするのも分かるというものだ。面白いことは面白い。ただ、面白いと感じている感情も人為的なコントロールによってもたらされているのかもしれないと思うと、手放しで喜んでいいものやらどうやらである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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