7月23日(火):唯我独断的読書評~『蜘蛛・ミイラの花嫁』(2)
後半の4話を読んでいこう。
「最高の愛」
ハーゲン・ディールクスは、18歳の頃から聴衆の前で演奏してきたバイオリニストであったが、30歳を超えても二流のままであった。彼の演奏は、決して拙くはないのだが、何かが足りないのである。どの批評家も、彼の演奏を耳にした者は同様の印象を持つ。何かが足りないと。しかし、ある時、彼の演奏は聴衆を魅了し、以来、3年に渡って一流のバイオリニストを脅かすほどの演奏家となったのである。彼は迷信を信じない男であったが、ある一つの迷信を信じたのだった。その時から、彼の演奏は聴衆を熱狂させるようになったのだが、そこには彼のために命を投げ出すアステン嬢の存在があった。
一方では悲恋の物語である。自分の成功がアステンの犠牲の上に築かれたと知るや、ハーゲンはもはや演奏できなくなり、失った対象への憧憬を胸に秘めた人生を続ける。抑うつポジション固着の強い人なら共感するところ大だろうと思う。ただ、もう一方で、作者は残酷とも言えるオチをラストに用意している。印象に残る一作だ。
「ジョン・ハミルトン・ルーウェリンの最後」
友人同士が集まるクラブにて、自分の最後がどんなものになるかということが話題になった。それぞれ自分の死にざまを話す中で、画家ジョン・ハミルトン・ルーウェリンは自分は女でやられてしまい、芸術でやられてしまうだろうと語った。数年後、その言葉通りの結末を彼は迎えることになる。彼は二万年前の女に魅了されてしまう。シベリアの氷原から発掘されたマンモスと女が大英博物館で展覧されることになり、画家ルーウェリンはその展示室の壁画を描く仕事を与えられたのだが、氷漬けの女王を一目見た瞬間、彼は彼女の虜となってしまったのだ。
主人公の狂おしいほどの情熱が痛々しいほどである。彼はすべてを投げうってでも、どんな犠牲を払ってでも、どんな危険を招いてでも、女王に接しようとする。二万年の時を超えての接吻は彼をして狂気に陥らせる。いや、すでに常軌を逸していた彼であるが、激しい愛が人をして狂わせることもあるのである。ユング派の人なら、この女王は彼のアニマだと評するだろうと思う。
「ミイラの花嫁」
下宿探しで一日中駆け回った「私」。ようやく理想的な下宿を探し当てたものの、それは隣の部屋とつながっていて、隣人が部屋を通って出入りしなければならないという代物だった。そこに同じように物件を探しにきたフリッツ・ベッカースと一緒に借りることになった。「私」の部屋をベッカースが出入りの度に通過するという条件つきだが。
生活してみると、ベッカースにはなんとも秘密の多いことが窺われる。女将もいろいろ穿鑿してまわるのだが、ベッカースが何をしている人物なのかわからず、定期的に彼に届けられる荷物に関しても不明である。
そんな矢先、「私」の愛人エニイがベッカース宛の荷物を開けてしまう。そこにはネコの死骸が詰め込まれていた。ショックに卒倒するエニイ。以後、エニイはベッカースを見るだけで心臓ショックを受けるほどになるのだが、ついに、彼女は「私」の部屋でショック死してしまう。「私」とベッカースは医者を呼びに出ていくが、医者を連れて帰ってくると、エニイの死骸はどこにもなかった。
その後、エニイからは関係を切る手紙が届き、ベッカースも部屋を引き取り、「私」もまたその地を去ることになった。だが、奇妙な偶然から、「私」はベッカースと再会することになる。それだけでなく、死んだエニイとも再会することになったのだ。
なんとも怖い作品である。娘を生きたままミイラにする話である。ベッカースらの正体は考古学的発掘品の捏造業者であったわけだ。あ、ネタバレしてしまった。
「アイリーン・カーター」
カンヌの地で「ぼく」はアイリーン・カーターを見かけた。あの時以来、彼女と出会うのは三度目だ。三度とも彼女は「ぼく」を引きつけたと思うと突き放す。でも、これで彼女のことは清算された。もう彼女と会うことはないだろう。
語り手である「ぼく」がアイリーンと再会した時、語り手はポーカーの最中だった。彼女に見つめられている間は一向に勝てず、彼女が去ってから勝つようになる。この描写はなかなか印象的で、語り手にとって彼女が災厄をもたらす存在であることを象徴しているかのようである。一体、語り手と彼女との間に何があったのだろうか。
銀行からの調査依頼のため、実業家で富豪のフィル・カーターの元へ赴いた「ぼく」。そこに着くやカーターの自殺で世間はもちきりだった。当時、自殺は罪であり、裁判にかけられ、有罪となるとカトリックの墓地に埋葬されることなく、「皮はぎ屋」の手によって、心臓に杭を打たれ、無造作に埋められるのだ。
カーターの一人娘アイリーンは敏腕弁護士に身をささげてまで父の無罪を証明させたかったのだが、その目的は果たせず。父親の遺骸は「皮はぎ屋」によって無造作に埋葬された。アイリーンは「ぼく」に父親の遺骸を掘り出し、正規のカトリック墓地に埋葬してくれるように頼んできたのだ。
深夜の墓地での遺骸を掘り出す描写が秀逸だ。相棒は足に怪我をし、「ぼく」は手をやられる。掘れば掘るほど水が溜まっていき、やっとの思いで遺骸を引き出し、突き刺さった杭を引き抜く。なかなか凄惨な場面で、冒頭の「ぼく」とアイリーンとの再会場面で見られたようなロマンチックな雰囲気など微塵もない。
アイリーンの依頼を片付けた時、「ぼく」はアイリーンを欲していたのだが、何かが彼を制した。あたかも魔性の女に魅了されながら、同時に良心がそれを咎めているかのようである。そして、このカンヌの地にて、「ぼく」の人生に深い痕跡を残したアイリーンとの関係が清算されることになる。
見ようによっては純愛小説ということになろうか。でも、墓堀り場面の描写など、純愛小説に収まりきらない要素もある。なんとも不思議な魅力に満ちた一篇だ。
以上で本書収録の8篇を読んだことになる。「蜘蛛」の印象からかなりの怪奇作家だと僕は信じていたのだけど、そうでもなく、むしろロマン的でさえある。
例外はある(例えば「死んだユダヤ人」)ものの、女に魅了されておかしくなってしまう男が描かれていることが多いようだ。その女も、魔性の女(「蜘蛛」「ジョン・ハミルトン・ルーウェリン」など)のこともあれば、救済する聖女(「乳を飲ませた女」「最高の愛」など)であることもある。
女に魅了されておかしくなってしまうなどと言うと、女性恐怖症者にしかウケない作品であるかのように思われてしまうかもしれないけれど、そうではない。魅了されてしまう男たちも、情熱的であったり、情念過剰であったりする。人間の情念が恐怖を生み、悲劇をもたらすのである。主人公がおかしくならなくても、主人公の情念のために悲劇を迎える女もいるのである。その情念や情熱は、生を燦然と照らす光ともなれば、悲劇を生み出す闇にもなる。そんな際どい瞬間を描いているように僕には感じられた。
さて、僕の唯我独断的読書評では、本書は断然5つ星だ。一作一作を比較すれば、甲乙つけることもできるけれど、全体としては僕には満足の一冊であった。
<テキスト>
『エーヴェルス短編集 蜘蛛・ミイラの花嫁』
前川道介 佐藤恵三 訳
創土社
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)