8月27日(火):深夜徘徊者、他
(夜勤明け)
時刻は7時半。まだ今日は始まったばかりだというのに、もう今日のブログを書いておこう。後に回すとサボることになりそうだからだ。
すでに僕は高槻の職場にいる。夜勤明けで職場に直行した。夜勤はセブンの方だ。いい加減、あのセブンも続ける意味を失いつつある。今日なんかはだいぶんやる気がなかった。
(深夜徘徊者)
深夜にトイレだけ使う人にはアタマにくる。トイレ使うなら何か買い物くらいしていけよと思う。缶コーヒーの一つでも、ガムの一つでも買っていけよと思う。そうしたら、買い物してくれたお客さんにトイレを使ってもらったということになって、ウインウインの関係になるのに。トイレだけ使うなんて、店の看板に平気で泥を塗る奴が多くて困ったものだ。
買い物をしないのなら、せめて「トイレ貸してください」と頼めっての。僕はそれで「ダメです」なんて言ったことはない。そうしたら困っている人から頼まれたので貸してあげたという形になるので、まだ許せる。
無言でトイレを使って、無言で出ていく輩が腹立つわけだ。たいていは若い連中で、どれもこれも同じような風貌の奴ばかりだ。人の家のトイレを借りているという感覚がないのだろう。それだけ自他未分化なんだろうと思う。
また、そういう連中は深夜徘徊しているものである。店の周りは住宅が多いので、あちこち遊びに行くってわけにはいかない。その辺で遊んでいて、そのままブラブラしているといった手合いなのだろう。
でも、あまり腹を立てるのもよそう。そういう連中が将来のメシの種になる可能性が高いからだ。精神病や人格障害を発症する人の中にはけっこうな確立で深夜徘徊が習慣になっていたという人がいる。僕はほぼ100%そうだろうと思っている。
というのは、深夜徘徊するということは、自分の生活並びに自分自身を統制できていないことを端的に表していると僕は思うからである。いや、統制を失っているから深夜徘徊ができるのかもしれない。いずれにしても、彼らはいずれ僕のクライアントになるかもしれないのである。
いや、そうでもないかな。彼らがお世話になるのは精神科医の方かもしれない。僕のようなカウンセラーは見向きもされないかもしれない。でも、彼らが事件でも起こしてくれたら、僕はそれをブログのネタにするので、いずれにしても、僕の損失にはならないか。彼らが早く発症してくれることを望む次第である。
(痛み)
まあ、それはともかくとして、今日はまだ始まったばかりなので、昨日までの数日のことでも書いておこうか。
とは言え、あまり書くこともないか。先週は足の痛みに襲われ続けた、今朝も痛い。いつもの左ひざの痛みに加えて、腰の辺りにも痛みが走る。それに、右足の爪が割れたように痛いのと、ツーのやつがでやがった。あと、左腕に腱鞘炎のような痛みがあったのだが、それは今日はかなりましになっている。
あちらこちらが痛い。この2,3日は、用事以外はできるだけ安静にして、動かないようにしていた。ほとんど寝たきりの生活だった。
(寝たきり)
こういう生活は送りたくないものだ。動くと痛むので仕方なしに横臥して過ごすのだが、この状態を長く続けてはいけない。必要な場面では、痛みを押してでも動かなければならないし、そういうことができなければならない。
2年前の春にもこういう状態に陥った。あの時はもっとひどかった。体の節々が痛み、寝たきり状態もけっこう続いた。もう僕も終わりだなとその頃はかなり深刻に思ったりもした。徐々に体が動くようになると、バイトを始め、とにかく体を動かすということを続けている。
こうして体を動かして働けるのも人生で最後かもしれないという思いもある。セブンは辞めたいけれど、辞める決心がつかないのはそのためである。体を動かす機会を減らしてしまっていいのだろうかという不安が込み上げてくるのだ。
まあ、もう2,3か月は余裕がある。僕の方で準備が整ってからセブンを辞めるつもりでいる。その準備がまだ整っていないのだ。僕の見立てではもう2,3か月かかりそうだ。そこから、シフトを一日減らし、それからフェードアウトしていこうかとも考えている。
あとどれだけ自分が生きられるのか分からない。おそらく、どの人もそうであろう。ある日、いきなり生が断たれるかもしれない。日々充実して、今日を思う存分生きてやろう。深夜徘徊している連中にはできない生き方をしてやろう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)