8月21日:地球熱帯化 

8月21日(火):地球熱帯化 

 

 この夏は暑い。温暖化というよりも、熱帯化と言った方がいいんじゃないかってくらいだ。特に、熱帯夜がハンパじゃない日がいくつもあった。日中も、外に出ると焼けるような暑さだ。日傘を持とうかと真剣に考えている。 

 例年では、そんなにエアコンをつけない僕も、年々、エアコン使用率が増えている。今年は特に使用量が多い。でも、そうしないとヤバイのである。本当に危ないこともある。寝る前までエアコンをつけていて、切ってから寝たのだ。僕はそれをする。起きた時は室内が極端に暑くなっていて、口中もカラカラに乾いて、少々フラフラした。危ない所だった。軽い熱中症だ。 

 僕の場合は軽度で済んだけど、これで本当に人が亡くなる例がある。今年は多いそうだ。熱中症で死亡したという人が例年よりも多いというのを耳にしたことがある。人命に関わる猛暑だということだ。 

 

 この暑さでお米が不足しているそうだ。コンビニでもお米が置いてある。普段はそんなに売れるものではないんだけど、立て続けに売れた場面を体験した。やはり米不足の心配からなんだろう。 

 今朝もそうだった。夜中にお米が一袋だけ入荷した。早朝にはそれがなくなっていた。陳列したのは僕だ。買って帰ろうかなと思ったのだ。でも、僕の勤務が終わるよりも先に、そいつは売れてしまった。多分、朝早く買い物に来られる高齢の方が購入されたのだろうと思う。年寄りには勝てんわい。 

 まあ、新米の収穫もあるし、今収穫されている分が足りないということであれば、以後の収穫分で流通していくことだろう。しばらくお米が食べられなくても、パンとか麺類とか、あるいは粉(要するに粉もんのこと)を食べても一向に差し支えない。食えたらそれでええわ。あまり世間の風潮に乗っかってしまわないようにしよう。 

 

 昨日見たものでは、養殖のブリも大量に死んだとかいうことだった。2700匹が数日のうちに死んだとか言っていたな。これからは魚の養殖も海でやらず、でっかい水槽とかタンクとかで、一定の水温を維持して、環境を整えて、養殖していくことになるんじゃないか。海はもはや魚が生息するに適した場所ではなくなっているのかもしれない。 

 

 いつだったかSDG’sの番組を見かけた。主題歌で「まだ間に合うSDG’s」なんて繰り返していたけど、「まだ間に合う」なんてメッセージを送ると受け取る方はまだ余裕があるなどと誤解してしまいそうだ。「本当にヤバい」とか「もう後がない、今すぐSDG’s」とか、そういう切羽詰まったメッセージを送る方がいいんじゃないか。 

 

 古い本だけど『暴力の心理』(中西信夫)を読み返している。その中である事件が紹介されている。昭和44年8月15日付けの新聞で「イライラ なにも殺さなくても 大阪・けんかで連続三件」の見出しで報じられた事件だ。三件の事件そのものは些細なきっかけから殺人にまで発展したものであるが、気温の高さでイライラが募っていたのかもしれないとのことである。 

 少しその辺りのことを書き写そう。「連日最高気温が30度を超え、12日の最高気温は34度で、夜になっても下がらず、13日の最低気温27.8度という8月としては「史上最高」の記録を示した。すでに14日の朝9時には30度を超し、不快指数も80を示していた」とある。 

 30度を超えると暑いと言われていた時代だったのだなと思う。30度越えなんて今では普通のことになっている。最低気温が27度だったら十分涼しい方だという気もする。朝9時に30度を越すことも珍しくないし、いつだったか、先日などは不快指数が99ってな日があったな。 

 でも、昭和44年はそれで連日の猛暑だったそうであり、殺人事件が3件も発生したというのだからすごいな。2024年のこの猛暑だったら一晩でどれだけの殺人事件が発生することになるやらである。 

 

 まあ、とにかく尋常ではない暑さである。精神がおかしくなるのが出てきてもおかしくないくらいである。この温暖化、いや熱帯化は本当に人類の危機となりうるものだ。テレビでももっと報道した方がいい。危機感を煽るくらいがちょうどいいかもしれない。 

 それなのに、ワイドショーときたら、ポスト岸田のことばかりだ。自民党総裁選の話題ばかりだ。誰が立候補したとか、そんなことばかり。誰が次の首相になろうと、何が変わるというわけでもないだろうし、どうせ自民党内だけでなされるものだから国民は関与できないことだ。国民が関与できないことをせっせと報道するくらいなら、温暖化特集でもやってほしい。温暖化対策は国民が関与できることである。 

 

 それに南海トラフ地震だ。これもやはり近いうちに起きるのだろうな。すでにその予兆は見られているそうでもある。震災に見舞われたら、そこで僕の生も終わるかもしれないな。暑さといい、自然災害といい、生きるとは本当にサバイバルだなと痛感する。今まではなんとか生きてこれたけれど、この先もそういう幸運が続くとは限らない。いつでも死を迎える覚悟だけはしておこうと日々思うのである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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