8月6日(火):自己浄化
深夜勤務明け。今日はセブンの方だ。セブンは一つ心残りを解消した。いや、二つと言ってもいいかな。辞めた後に心残りを残したくない。セブンを辞めるのがまた一つ近づいたわけだ。
しかし、深夜徘徊する連中はどこかおかしいものだ。僕にはそう見える。精神病の臨床像なんかでも、発症前に深夜徘徊があるといった記述に出会うことも稀ではない。きっと、深夜徘徊それ自体が症状の一端を担っているのだろう。深夜徘徊している若者たちを見て、いつかそのことを書こうと思った。
勤務後は一旦帰宅し、いささか家の雑用をこなす。それから寝る。15時から面接が入っているので、それに間に合うように起きなければならなかった。
起床して、準備していると、今日のクライアントから時間変更の連絡が入っていた。15時だったのを14時半にしてほしいとのこと。僕が寝ている間に入っていた。僕の方は構わないのだけれど、予定が狂ってしまった。1時間ほど中途半端な時間が発生してしまった。
家で本を読んで、それから高槻に向かう。
高槻に着く。電車の窓外から稲光が見えた。ああ、雨が降るのかなと思う。かなり近いところで雷が鳴ったのも聞いた。クライアントさんは来れるだろうか、そんな心配をする。
室内にて、面接準備をして、サイトの原稿を書く。8月3日分のブログが中途だった。「バカは迷惑千万」のブログだ。そこで書いていたXのことを思い出すと相変わらず胸糞悪くなる。それでもブログを中途で投げ出したくもなかったので、クライアントがお見えになられるまで、その続きを書いて過ごした。最後まで書き上げる前にクライアントさんがお見えになられた。
面接は無難に過ごす。今日のクライアントはよく喋る人だ。こういう人にとっては、自由に喋らせてもらえるということは甘えが満たされるのと等価の体験となる。僕は口を挟まずに聴く。ある部分では非常にラクなクライアントさんである。
面接を終える。やり残している作業から終えよう。パソコンを開き、8月3日分のブログの続きを書き始める。不思議なことにXのことなんてどうでもよくなっていた。それを書くことにも意味が感じられなくなっていた。それでも、一応形だけでも整えておこうということで、最後まで書くには書いたが、僕の中でそのことはすっかり過去になっていた。
カウンセリングは、クライアントを援助するだけでなく、カウンセラー自身も浄化してくれると僕は思う。時々、それを実感するのである。今日もそのことを実感させてもらえた。僕にとって、カウンセリングは対人援助だけでなく、自己救済の手段でもある。だからカウンセリングは止められない。
いや、これは本当は労働の本質にある体験かもしれない。カウンセリングだけでなく、どんな職種であっても、労働が働く人を浄化するのかもしれない。自己浄化のために仕事をしている人がどれほどいるだろうか。いや、労働が自己浄化になるということを知っている人がどれだけいるだろうか。今日も僕は貴重な体験をさせてもらったと思っている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)