<#014-10>ギャンブルとの出会いと再会
ギャンブル依存の人たちは、人生のどの時点でギャンブルと出会うのでしょうか。
私は個人的には、そういう人たちは学生の頃から既にパチンコ店に通い詰めていたのだろうと考えていたのでしたが、意外にも、私がお会いした限りではそういう人の方が少なかったのです。
多くは、もっと後になって、ギャンブルと出会うのです。年齢というのは、あまり当てにならないのですが、20代後半から30代前半でギャンブルに手を出した、それ以前はまったくやったことがなかったという人が(あくまでも私がお会いした限りではということですが)多かったように思います。
彼らギャンブル問題を抱える人たちの中には、若いうちからギャンブルに出会い、馴染みのあったという人もあれば、それまで無縁だったのに後からハマったという人もあり、両者を同じように考えていいのかどうかも私には確信が持てません。
ある男性は、自分は子供の頃から親の賭け事に参加していたと言います。正月に親族が集まり、そこで麻雀大会が催されるのですが、じきにお金を賭けて遊ぶようになっていたそうでした。それが、彼にとっては、毎年恒例の行事で、後年、自分も参加するようになったと言います。そこでお年玉が倍に膨れ上がる年もあれば、すべて持って行かれる年もあったと言います。
この男性などは、かなり早い段階からギャンブルの現場を目にしてきて、早いうちにその場に参加するようになった例と言えるでしょう。彼は「あのスリル(スリルということに関しては別に述べます)がたまらない」と言い、「勝って取り戻すという発想は普通のことだった」と述懐します。
そのように早期からギャンブルに馴染んでいる人もあれば、もっと後の年代になって初めてギャンブルに手を染め、そこから抜け出せなくなったという人もあります。
ギャンブルを始める契機は人それぞれであるように思います。何か特定のパターンというものが見出せるかどうか私にはわかりません。
ただ、少なくとも私が見聞した限りでは、なんらかの契機があってギャンブルをするようになっても、最初からそれにのめり込んだという人は少ないようであります。一回目からハマって抜け出せなくなったというような人は、私のクライアントに関する限り、皆無でありました。
最初のギャンブルからそれにのめり込むまでには時間的な開きが見られるのであります。ギャンブルに手を染めてから依存症のような状態になるまでにはある程度の時間がかかるということであります。どれくらいの期間でそうなるのかというのは人それぞれ違いがあるようなのですが、共通して言えることは、彼らは最初から依存症ではなかったという点であります。時間をかけて依存症になるわけであります。
従って、どの人も最初から依存症ではなかったのだから、どの人にも改善の可能性があると同時に、時間をかけてそうなったのであるがために改善にもそれ相当の時間を要することになると私は考えています。
論点を戻しましょう。私の経験した範囲では、ギャンブル問題で来談されたクライアントたちは最初からギャンブルにハマったわけではないのであります。彼らがギャンブルを始めた契機とそれにのめり込むようになった契機とが見られるのであります。
従って、ここは二段階で考えなければならないことになります。ギャンブルに手を染めた段階とそれにのめり込むようになる段階とであります。こう言ってよければ、彼らはギャンブルと二度出会うわけであります。二度目の出会いが、最初の出会いよりも、問題になることが多いと私は感じています。
最初の段階と次の段階とが連続しているという人もあるのですが、明確に区別できなくても、私はそれらの段階を認めることができるように思います。同じようにギャンブルを続けていたとしても、彼らの中で何か変わってきたところがあるように思うのです。最初の頃と、次の段階と、彼らの中で決定的に変わったところが認められるのです。それはギャンブルに対する姿勢とか態度とかに見られるのでありますが、彼らの心的な変化であります。
しかしながら、変化は彼らの心だけではないようであります。ギャンブルを始めた頃とのめり込むようになった頃とでは、彼らの環境や置かれている状況にも変化が見られることが少なくないように思います。しばしば状況が苦しい時期とギャンブルにのめり込む時期とが重なるのであります。
次の例は比較的わかりやすいかと思います。
ある男性の例ですが、彼が大学を出て就職したころに話は遡ります。当然でありますが、彼にとっては初めて社会に出る経験であり、職場や仕事に関しても右も左も分からないといった有様でした。当時、その彼によくしてくれた先輩がいたそうです。仕事が終わると、彼と連れ立って呑みに行ったりもしたそうです。パチンコは先輩から手ほどきされたのでした。彼にとってパチンコの最初の段階は先輩との付き合いから始まったのでした。彼は特にパチンコにハマるわけではなかったし、パチンコそれ自体が面白いとも感じていなかったようでした。先輩もまたパチンコにハマってるというわけではなく、時間待ちする時など、時間つぶしでパチンコ店に入るといった感じであったそうです。
さて、彼の面倒をよくみてくれたその先輩ですが、ある年、移動が決まったのでした。慕っていた先輩と別れるという経験を彼はしたのでした。以後、その職場において、彼の面倒を見てくれる人もなくなり、慕うような先輩もいなくなり、仕事後の付き合いをしてくれる人もいなくなったのでした。
ある時、ふと、パチンコ店に彼は足を踏み入れたのでした。あの先輩を思い出してのことでしょうか。その時に「当たり」が出たかどうかは覚えていないそうですが、なんとなく楽しかったことを彼は覚えていました。何がどう楽しくて、何が良かったのか彼の中でははっきりしなかったのでありますが、それを契機に、ちょくちょくと独りでパチンコ店に通うようになっていったのであります。ビギナーズラックというものも彼は経験したのですが、それは副次的な意味しか持たないようでありました。そうして、パチンコ店に通う頻度も増え、時間も長くなり、注ぎ込む金額も増えていった次第であります。
この男性のパチンコ依存に少なくとも二段階の過程があるということは容易に見て取れることであります。最初は先輩に連れられてパチンコを打っている段階と、先輩を失ってから後に独りでパチンコをするようになった段階とであります。問題となるのは最初の段階ではなく、むしろ、二段目の段階であります。彼は喪失を補おうとしているようでありました。先輩を懐かしむ思いもありながら、先輩がしていたように独りでパチンコを打っている(同一視)わけであります。従って、彼が困難な状況に陥って、先輩を頼りたいという気持に襲われた時ほど、パチンコへの誘惑が高まることになっていたようでした。頼りたい気持ちになっている時に、頼れる人の不在を見せつけられてしまうわけであるので、彼にとっては辛い体験だったでしょう。パチンコは、どういうわけか彼の中では、彼と先輩を(心的に)つなぐ接点のような役割を果たしていたようであります。
この例についてはまだまだ述べたいこともあるのですが、本項ではここまでにしておきましょう。
本項では、ギャンブル依存は二段階の過程を踏むことが多いようであるという私の印象を記述しました。あくまでも私の個人的な見解であり、必ずそのような過程を踏むという意味ではないということを改めて申し上げておきます。彼らはギャンブルと二度出会うと言えるのであり、最初の出会いよりも、次の再会の方が問題となるという見解を述べました。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)