<#015-20>S氏3回目面接~解説(1) 

 

 S氏との3回目の面接は、S氏が提出した問題発生場面が中心となりました。それはそれで収穫の多い面接となったのでありますが、一方でそれ以外に関する事柄がほとんど取り上げられることなく終わりました。 

 カウンセリングをしているとこういうことがよく起きるのであります。一つの話題から拡張していって、諸体験の相互のつながりが見えてくるような面接になることもあれば、一つのことに集中して、その体験を掘り下げるような面接になることもあるわけであります。後者の場合、その他のこと(中には重要な事柄があっても)に触れることなく終わってしまうことになるわけですが、それはそれで仕方がないことであり、私たちは私たちの限界を受け入れる必要もあるのでしょう。 

 さて、前回までと同様、面接を振り返りながら解説を付していきたいと思います。 

 

<抜粋> 

 (1)T:その後、いかがですか。 

 (2)S:ええ、まあ、なんとかやっています。 

 (3)T:特に何事もなくといった感じでしょうか。 

 (4)S:いえ、それが(口ごもる)。問題が起きた場面を記録しておいてほしいって先生は言ってたので、今日はそれを持ってきたんです。一日だけ、ちょっと、妻ともめた場面がありましたので。大したことではないんですけど(S氏はカバンからメモを取り出す)。 

 

<解説> 

 (1)は私の導入であります。最近のことから話すようにという含みが込められている言い回しであります。 

 (2)はそれに対するS氏の返答でありますが、カウンセリングではこういう表現に出くわすことがけっこうあるのです。良いとも悪いとも言わず、いささか言葉を濁す感じが伝わってきます。生活していると良いことも悪いことも本当はあるはずで、そこに覆いをかけた言い回しであるように感じられたのであります。 

 (3)上記の感じから発せられた私の発言であります。「本当は何事かがあったのではないですか」という疑いが私の方には生まれているわけであります。 

 (4)すると、案の定、S氏は問題場面を経験していたのでした。彼はそれを記録していました。彼のこの発言からいくつかのことを取り上げようと思います。 

 まず、私は前回(2回目)の最後に問題が起きた場面のことをよく覚えておくようにと教示しました。S氏は次の回で早速それを記録して持参してくれたのでありますが、これは良好なサインであると私は考えています。抵抗感(後に述べる)の強い人の場合、問題が発生しても、このような形で記録にして持参するということをしない例が多いと私は感じています。従って、S氏はこのカウンセリングにおいて抵抗感が少ないことが窺われるのであります。 

 しかしながら上述の説に異論を挟む人もおられるでしょう。前回から今回までの間に問題となるような場面がなかった場合、クライアントは記録することも持参することもできないではないかということであります。確かにそのような例もあるでしょう。その一方で、本当は問題発生場面があったのに、当人がそれを問題発生場面と認識していないというような場合もあるのであります。その場合、抵抗感がある、もしくは問題意識が低い(これも抵抗感に通じるのでありますが)ように私には感じられるのであります。 

 そのように考えると、S氏の場合、問題意識はそれなりに高く、抵抗感の方はそれほど高くないといえるのでありますが、まったく抵抗感がないとは言えないのであります。彼は「一日だけ」と限定しています。これは事実そうであるかもしれませんし、そうではないかもしれません。というのは、DVのような問題は、それが発生した場合、幾日か尾を引くことがけっこう見られるからであります。その意味で、本当にその日一日だけの問題と言えるのか疑問が生まれるわけであります。 

 また、「一日だけ」などと限定する場合、そのように限定しないと自分がもたないと感じられている人もおられると私は感じています。つまり、そうやって限定しないと問題が自分の手に負えないなどと感じられているということであります。 

 続いてS氏は「大したことではないんですけど」と問題場面を卑小化して述べるのですが、決して「大したことではない」で済ませられない内容(これも後に取り上げます)を含んでいるのであります。本当に「大したことではない」問題であれば、クライアントはわざわざカウンセリングでそれを取り上げたいとは思わないでしょう。 

 では、なぜ、本当は「大したこと」であるはずなのに、「大したことではない」と言うのでしょうか。そもそも、どうしてこういう言葉を付け加えるのでしょうか。 

 いくつかのことが考えられるのです。まず、問題発生場面というのは、それを報告する人にとっては何よりも自分の「失敗」場面であります。自分が上手くいかなかった、上手くできなかった場面であることが多いわけであります。それを他者に打ち明けるということには多少の抵抗感も生まれるでしょう。それを「大したことではない」というのは、言ってみれば、自分自身に対するフォローのようなニュアンスがあるわけであります。 

 また、打ち明ける相手(ここではカウンセラー)に対して、相手の評価や感情を害さないといった配慮が働いている場合もあるでしょう。それが「大したことではない」と言うことで、暗に「私はそれよりも強い」と言っているわけです。それが自分にダメージを与えていないというニュアンスを伝えていることになるわけであります。相手に対して、問題は起きたけれど、自分は大丈夫であるから心配は要らないと伝えているようなものです。それは強がりである場合もあるでしょうし、相手に心配をかけたくないといった配慮である場合もであるでしょう。 

 上記と内容的に重なるのですが、その言葉が当人の願望を表していることもあるでしょう。つまり、それが大したことではないと信じたいわけであります。本当はダメージを受けているのだけれど、それが大したことでなかったらいいなあということであります。この場合、自己の受けているダメージや傷つきに覆いをかけることになるわけであり、ダメージや傷を直視することから自身を守っていることになるでしょう。今から思うと、S氏はこの例であったかもしれません。 

 

 この時点で、S氏は問題発生場面を取り上げたい気持ちとそれに抵抗したい気持の双方が働いていたのではないかと私には思われるのです。ただ、後者はそれほど強いわけではないのであります。つまり、前者の願望を挫けさせるほど抵抗感は強くないということであります。もし、それを挫けさせるほど抵抗感が強かったとすれば、クライアントはこのカウンセリングをキャンセルするだろうと思います。 

 

文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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