<テーマ143>夢の結末 

 

(143―1)夢は結末が大事である 

(143―2)どんな夢にも結末がある 

(143―3)夢事例~結末から読む 

(143―4)夢事例~補足 

 

(143―1)夢は結末が大事である 

 カウンセリングの場において、クライアントが夢を報告してくれます。その夢についていくつか話し合って、「あなたのこの夢を私はこれこれこういう風に受け取りました」と伝えます。その時、とても驚くクライアントもおられます。「よく、この夢からそれだけのことが分かりますね」などと言ってくれるのです。 

 別に夢占いをしているわけでもないし、的中を狙っているわけでもないのです。その夢が伝えたいことはどういうことなのだろうかを私なりに考えて、それをクライアントに伝えてみるだけなのです。当然、そういう連想がまったく私に生じない夢もありますし、クライアントがそれを受け入れないという場合もあります。 

 夢はできるだけその夢のまま取り上げるというのが私の立場なのです。夢の中でネコが登場したとしましょう。このネコが誰かの置き換えであるとか、何かの象徴であるとかいう解釈は一旦棚上げするのです。ネコはやはりネコであり、それはそのままネコとして捉えてみるというだけのことなのです。それよりも、そのネコに対して夢見手が思い浮かべることの方が大切で、意味があるのです。 

 それと、夢で見る事柄はすべて大事にしなければいけないのです。どんな人が出てくるか、どういう場所か、どういうことが起きるか、そのすべてが大切なのです。夢に興味を持つクライアントもおられるのですが、そういう人は夢の細部まできちんと把握されているものなのです。その場合、できるだけ、夢に出てきた事柄すべてに対して連想をしてみるといいのです。 

 しかしながら、夢に興味を持っておられるクライアントと私とでは一か所だけ重点が異なるのです。クライアントは夢の結末をあまり重視しないのですが、私はそれこそ一番重視しているのです。それが私の夢の読み方なのです。 

 

(143―2)どんな夢にも結末はある 

 夢の結末ということですが、どんな夢にも結末があるのです。そこは見落とされることが多いようです。 

 例えば「落下する夢」という典型的な不安夢があります。多くの人は落下の途中で覚醒するので、この夢には結末がないと信じてしまうのです。でも、私の観点では、途中で目が覚めたということが、この夢の結末なのです。 

 同じように、途中までは覚えているのに、それからどうなったのか覚えていないと報告される夢も、夢見手が覚えていないということがこの夢の結末として捉えることができるのです。 

 夢には一連の流れ、ストーリーがあり、結末があるのが普通です。クライアントは夢を見た順番に報告してくれるのですが、私がその夢を考察する際には、結末から考えていくのです。実は私はそういうことをしているのです。 

 もし、落下の途中で覚醒したということが結末であるなら、この結末からどういうことが分かるのかと問う人もあるかもしれません。そういう夢の報告を受けたとしたら、私は「この人の自我は急激な事態に耐えられない」とか「自我が直視できないような危険をこの人は体験されているのかもしれない」というように捉えるかもしれません。一方で、「この人の自我は危険を回避するだけの力がある」というように理解するかもしれません。 

 ごく稀にですが、落下して、地面に叩きつけられる場面までを夢で見てしまう人がいるのです。途中で覚醒する場合よりも、この結末の方が私には危機感を覚えるのです。なぜなら、この人の自我は危険を回避することができないということを夢が示しているように思われるからなのです。 

 また、夢の途中までははっきり覚えているのに、最後がどうなったか分からないという場合では、先述のように、最後が不鮮明であるということがこの夢の結末にあたるわけです。 

 もし、こういう夢の報告を受けた場合、私が一番に考えることは、この人の自我は、夢で提示された状況に対してラストシーンを提示することができなかったのだということです。つまり、その状況はその人の自我には手に余る事態であって、結末を提示することが、少なくとも今の段階では、できないのだというように考えてみます。 

 その上で、では、それがどういう事態なのかということを夢の中から見ていこうとします。結末から冒頭へと視点を動かしていくわけです。そうすると、この人が対処できないでいる事態というものが窺われてくるのです。 

 

(143―3)夢事例~結末から読む 

 以前のサイトにも掲載したことがある事例ですが、一つの例を提示してみようと思います。 

 クライアントは男性で、既婚者でした。彼はそんな風には捉えていなかったのですが、妻の方が夫婦関係がうまくいってないように感じていました。妻は今後とも夫婦生活を続けていくつもりなら、その条件として、彼にカウンセリングを受けて欲しいと頼み続けてきました。彼自身は自分がなぜカウンセリングを受けないといけないのか理解できないと言って、妻の要求をずっと拒んできました。でも、日に日に関係が悪化するのを見て、彼は渋々ながら妻の要求に従うことにしまし。 

 いろいろ探して、彼は私の所を探して来談されました。彼とは2回会っただけです。 

 1回目の面接は、妻が何を求めているのかが分からないということ、これまでの夫婦関係のことなどが話されました。つまり、外的な状況や経緯が話されたのでした、そして、妻が彼との関係をどのように体験しているかということをお互いに考えてみましょうと私は勧めたのでした。 

 2回目の面接で、彼は次のような夢を報告してくれました。 

 

 (夢)「妻と一緒に外出していて、家に帰ろうとしていた。私たちの家に近づくと、そこに人だかりができていた。火事のようだった。消防車が何台も止まっていて、消火活動している。非常線が張られていて、消防員が誰も入れないように立ち番をしている。あれは私の家だと言って、非常線を超えようとする私を一人の消防員が止める。なぜかそれが中学時代のクラスメートだった。家の中にはたくさん大事なものがあると私は訴え続けた。やがて、消防員が燃える家の中から私の大事な物が詰まった宝箱を持ち出してくれた。それは私の宝箱なんだ、妻の宝箱もある、探してくれと私は消防員に頼んだ。そこで目が覚めた」 

 こういう夢を最近見たと彼は報告しました。前回の面接から今回までの間に見たということです。 

 この夢で気になる部分はどこですかと私は彼に尋ねました。彼は彼を止めた消防員だと答えました。その消防員は彼の中学時代のクラスメートで、彼はその人をよくからかっていたと話しました。彼はその人のことなどほとんど忘れていたのですが、夢に登場してとても驚いたと話しました。 

 その他の点についても私は彼に尋ねました。この夢は途中からのものだということです。妻と外出している部分もあったように思うと彼は話しました。旅行かデートかしていたのだけれど覚えていないと言うのです。でも、何となく楽しい場面だったのではないかという感じがしていると彼は述べました。 

 続いて、家が燃えているのはとても衝撃的だったと彼は話しました。なぜ燃えているのか分からない。何となくだけれど、自分はタバコも吸わないし、出火する原因が分からないという感覚を夢の中で経験していたように思うと話されました。 

 私はここでこの夢の結末部分に目を転じてみます。私は彼に尋ねました。「先に救出されたのはあなたの宝箱なのですね」と彼に尋ね、「妻の宝箱は救出されましたか」と尋ねました。彼はそれを見ていないのです。これがこの夢の結末であります。この結末は彼について非常に多くを語っていることが窺われます。 

 私は「あなたの宝箱が先に救出されるべきだったのですね、どうしてあなたの宝箱が先に救出されるべきだったのでしょう」ということを彼に尋ねました。彼には何か癇に障ったらしく、とても不愉快な表情をされました。 

 そこで彼は「どちらが先かということはまったく関係がない。それよりもなぜ中学時代のあいつが出てきたのか、そっちの方が謎だ」と訴えてきます。 

 私はそれよりも妻の宝箱はどうなったと思いますかと尋ねてみました。彼は「それは当然救出されたことだろう」と答えます。でも、彼の自我はその場面を見ていませんでした。夢は彼にその場面を提示できないでいるのです。 

 彼はいささか気分を害して、この面接を最後に音沙汰なく過ぎていますが、この夢は彼にありありと彼の現実を見せつけているのであり、彼自身、心のどこかでそれを感知しているから、それを取り上げられることに不快感があったのでしょう。 

 でも、もし彼がここで自分の態度に気づくことができれば、彼にそれを放棄するか改善するかの可能性が開かれたことでしょう。彼は気づくことを拒みました。 

 この夢の結末は、彼に、彼が夫婦生活において、妻よりも自分のことを最優先しているという彼の態度を示しているように思われるのです。 

 彼の宝箱は妻の宝箱よりも先に助け出されなければならないということになっているのです。先に救出されなければならないのは彼の宝箱の方であるということです。そして、自分の宝箱が助かると、妻の宝箱が救出されるかどうかは二の次になっているようです。その場面を夢で見ていないということからそのことが窺われるのです。 

 彼は自分を妻よりも優先しているのです。自分が助かり、幸せになるなら、妻のことはどうでもいいのです。いささか誇張した表現ですが、彼の妻が彼との関係で体験し、感じていることはまさにそういうことだったのではないかと思います。妻は彼にその傾向を気づいてほしいと願っていたのでしょう。そこでカウンセリングを受けることをしきりに勧めたのだと思います。 

 結末からこの夢を読むならこういうことになるでしょう。彼は妻よりも自分のことを優先しており(自分の宝箱が優先して救出される)、妻への関心はとても薄い(妻の宝箱はどうなったか分からない)ようであり、この関係はやがて夫婦関係、家庭の崩壊を生み出すだろう(それが家の火事で示されています)ということであり、彼がその原因を知ることはないだろう(出火元に思い当たるものがない)。彼がその原因を知ることができないのは、彼が自分に目を向けることなく、他人のことに目を向けてばかりいるからだ(中学時代のクラスメートの消防員への注目)ということになるかもしれない。そして、夫婦が幸せだったのは過去の話(妻と外出していたのに覚えていない)で、それももう終わりに近づいている(帰宅したら火事だった)という状況を示しているのかもしれません。 

 

(143―4)夢事例~補足 

 以上で夢の結末から読んでみるという事例は提示できたのですが、もう少し、この夢について考えてみたいと思います。 

 彼は夢に出てきた中学時代のクラスメートに注目していました。 

 このクラスメートについて、彼は何を述べているでしょう。彼はその人をよくからかっていたと回想されています。そして、夢に出てくるまでその人のことを忘れていたということです。 

 彼とその人との間でどういうことが起きていたのか、私は詳しく知りません。彼は「いつもからかっていた」くらいしか言えないのです。 

 「からかう」というのは、偽装されたイジメでもあります。それは自分の何かを満たすために誰かを「からかう」という構図が見られるものであります。 

 もし、この夢をこのクラスメートから取り組んでも、恐らく同じ解釈が通用するのではないかと私は思うのです。 

 彼がこの人にしてきたことを彼は思い出さなければならないのです。この人のことを忘れて、この人にしてきたことを認識せずに、彼は幸せな家庭を築くことはできないのだ、だから家が燃えて当然なのだと、夢が伝えているようにも私は感じるのです。 

 自分の何かを満たすために、誰かを「からかう」という構図を想定しましたが、これもまた他人よりも自分を優先するという彼の生き方とつながっているのではないでしょうか。 

 そのクラスメートにしてきたことと同じことを、彼は妻に対してしているのかもしれません。彼は話しませんでしたが、妻への「愛情表現」として、妻を「からかう」ということをしていたかもしれません。そんな風に考えるのは、私の深読みしすぎかもしれませんが、読まれたあなたはどのようにお考えになられるでしょうか。 

 

(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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