<テーマ134> 怒り不安自己感情(3) 

 

(134―1)閑話~ぼやきを一つ 

 カウンセリングをしていると、本当にいろんな人の不幸を知ってしまう。カウンセラーになっていなければ知る必要のない不幸だ。普通に生活していれば、まず無縁と言えるような他人の不幸だ。カウンセラーとして働くと、そういう不幸にイヤと言うほど向き合わされる。 

 それだけじゃない。耳をふさぎたくなるような、心を閉ざしたくなるような辛い話を背負いこむことも多々ある。そして、あの時ああすれば良かったとか、あの時あの人が言いたかったことはこういうことだったのかと、後から気づいたりとか、無数の後悔の念に苛まれる。 

 人間の暗部や人生の汚い部分を見てしまうことも数限りなくある。そして、憎悪の対象になることやいろんな所で叩かれるようなこともいくつも経験してしまう。私を恨んだとて、その人の何かが良くなるというわけでもない。それでも、私を怨恨の対象とする人もある。私がそういう一人の恨まれる人間であるということも私は一生背負っていかなければならない。 

 私もひどく他人を憎悪して生きていた時期があった。憎しみを抱いて生きるということは本当に辛いことだ。当時はそう実感していた。しかし、本当はそれは逆だったということが今では見えている。人を憎悪しない生き方の方がはるかに辛い。誰かを憎んで生きる方が本当に楽だと、今では感じている。誰かを憎悪することで、いろんな物事を見なくて済むからである。だから心が脆弱な人ほど憎悪に溺れるのだろうと思う。それがいろんな意味で安全であり、憎悪すること以外のことをする必要がないからだ。相手を憎悪するだけで、自分の内面でそれを処理する必要もないからだ。 

 クライアントから恨まれてしまうことの悲しさは誰にも分かって貰えない。これは不思議なことに、本当に誰にも理解できないようだ。私が信頼している人たち、友人、家族、恋人ですら、これは理解できないのだ。彼らは慰めや励ましの言葉をかけてくれるけれど、私が体験していることはやはり分からないようだ。誰にも分かって貰えない悲しみを一生抱え、そのまま墓まで持って行くのだろうな。 

 私がお会いしたクライアントの中には、しばしば別のカウンセラーと既に会ったことがあるという人もある。そのカウンセラーを蹴ったくらいだから、当然、そのカウンセラーのことを良く言うはずはない。同じように、どこかで、かつて私のクライアントだった人が、新しいカウンセラーに向かって、私のことをけなしているかもしれない。当然、そうされているだろう。私の知らない所で、私のことがけなされているというのも、また嫌な気分のすることで、やりきれない思いを体験する。 

 あるクライアントは○○人格障害という診断を受けた経験があった。人格障害なる言葉は日本語から抹消すべきだと私は信じているのだが、不幸にもその人はそういう診断を貰った(汚名を着せられたと言うべきか)のだ。その人は、私に会う以前に会ったというカウンセラーのことを話してくれた。 

 その前に注意すべき点がある。クライアントがあるカウンセラーのことを話す時には、それがそのカウンセラーの全体を示すものではないという点だ。そのカウンセラーのごく微小な一部が語られていることもあるし、必ずしも現実のそのカウンセラーの姿を描写しているとは限らないということだ。その辺りは少し考慮しなければなるまい。 

 さて、その汚名を着せられたクライアントが受けたカウンセラーがその人に何をしたかである。一時間弱の面接を予約したのだが、初対面で、最初の15分ほど話し合った後、「身体から入りましょう」と言って、カウンセラーが体操だかストレッチだかをその人に教え始めたそうだ。そのクライアントは、指示されるがままに体操なりストレッチなりをやったそうだ。延々とそれだけをしたと言うのだ。本当に不幸なクライアントだなと私も思うよ。 

 こんな例はいくつもある。あるカウンセラーは、その人が書いた文章か何かを、あたかも写経のように、クライアントに写させるだけなのだそうだ。実際、それだけなのだそうだ。その間、カウンセラーは他のことをしていたと言う。「写経」している間、クライアントは独り置いてきぼりにされているわけだ。 

 また、カウンセリングを受けに行ったら、そのカウンセラーの講義を延々と聞かされたとかいう話も聞いたことがある。その話をしてくれたクライアントは、これは自分の求めているのとは違うと感じて、いくつもネットで調べて、最終的に私の所へ来てくれた人だった。 

 それぞれのカウンセラーには、その人特有のやり方があって然るべきだし、その人のやり方が正しくないように私には見えたとしても、私はそれを否定することもできない。でも、今挙げたカウンセラーたちに共通しているのは、みんなクライアントの不幸に目を背けているということではないか。私はそう思う。 

 どうも私のぼやきから始めてしまって、収拾がつかなくなってしまいそうだ。ここで本題に戻ろうと思う。 

 二項に渡って、私たちは一人の女性クライアントのケースを追ってきました。この女性はカウンセリングの第二段階に入った時、これまでのカウンセリングを中断されたのでした。私から見ると、それは望ましい動きであり、当然生じるはずの動きだったのですが、彼女はそれを「悪化」と見做してしまったのです。そして、こういう悪化をもたらしたということで、私を攻撃して、つまり私に怒りの矛先を向けて、それで終わりになったのです。お隣さん、お向かいさん、それに高槻におる変なカウンセラーと、彼女の怒りの対象が単に増えただけなのでした。 

 こういうケースを振り返るのは本当に辛いことなのです。冒頭でぼやきたくなるというものです。こうして、クライアントから恨まれるという経験を私はまた一つ積んだのです。 

 辛いと言っているだけではよろしくないので、話をなんとか先に進めることにします。 

 彼女はそれを悪化であると見做したわけです。確かに辛い体験を彼女はしただろうと思います。この辛さを避けるために、第一段階に留まり続けようとする人もある(彼女もある意味ではそうなったわけです)し、次の段階をあくまでも拒絶してこの段階にしがみつく人もあるのです。彼女が怒りの段階から不安の段階へ発展したということは、そのような固執や拒絶を頑なにする人たちよりも遥かに変容していく可能性を秘めているということ表しているのです。彼女の自我はそれだけの柔軟性があるからです。それだけに、私には心残りなのです。 

 さて、前項の最後において、彼女の抱える不安について私たちは見てきました。この不安は彼女に常について回ってきた不安であるだろうということも窺われました。この不安の起源はどこにあるのかという疑問点で前項を終えたのでした。次節において、ここから始めていこうと思います。 

 

(134―2)両親が抱えている不安 

 怒りは不安に対しての防御だったのです。そして、彼女が明らかにそれをするようになったのは彼女が中学生の頃でした。それ以前において、おそらく祖父母が不安を緩和してくれていただろうということ、つまり、不安から守ってくれる存在としての祖父母がいたのだろうということでした。 

 最後まで私に分からなかったのは、彼女の両親であります。彼女は親のことを話そうとはしませんでした。親に関しての、いくつかの情報、それも親の外側の部分に対しての情報をわずかに漏らしてくれただけでした。 

 両親は二人とも働いていました。それでも彼女の記憶の中では、家計がとても厳しいということでした。貧しかったと彼女は言います。両親が共稼ぎしているのに、なぜ貧しいのか、それはまったく分からずでした。しかし、この両親はそれだけ生活していくことに対しての不安が相当あったのかもしれないという予測を立ててもいいだろうと思うのです。 

 両親からすると、彼女だけでなく、彼女の祖父母も養っていかなければならないし、それだけ生活費もかかるという事情もあるでしょう。もしかしたら何か大きな借金でも抱えていたのかもしれません。もし大きな負債を抱えていたとすれば、それだけで立派な不安材料であります。そうであれば、両親も不安に襲われることが多かったかもしれません。 

 もし、両親が負債を抱えていないとしたらどうでしょうか。つまり、共稼ぎをしていながら、恐ろしく質素な生活をしていたとしたら、どういうことが考えられるでしょうか。それは将来の不安のために蓄財しているということになるのかもしれないし、生活や人生を楽しむことに対しての罪悪感や不安があるのかもしれません。いずれにしても、この両親のされていることを見ると(あくまでも彼女の報告に基づいてですが)、私には彼らがとても不安の強い人たちだったように見えてしまうのです。 

 その両親に対して、彼女は馴染めなかったと述懐しています。その一方で、祖父母にはとても懐いていたと述べています。このことはどのようなことを意味しているのだろうかという疑問が生じます。 

 「与える」という言葉を用いてこれを考えてみましょう。祖父母は彼女に何かを与えていたのです。両親もまた彼女に何かを与えてきたのです。このように捉えると、祖父母と両親は彼女に全く異なったものを与えていただろうということが分かります。それも正反対の何かであります。なぜなら、祖父母が彼女に与えていたものと同じもの、乃至は同種のものを、両親が彼女に与えていたとしたら、彼女はやはり同じように両親にも懐いていただろうと考えられるからであります。だからそれらは全く別種のものであり、正反対の何かであると考えて間違いではないだろうということなのです。 

 そこで、祖父母の与えていたものが安全感とか安心感であると仮定すれば、両親はそれと反対のものを与えていたということになります。安全感や安心感の反対概念とは何かと言えば、不安であり、脅威ということになるでしょう。 

 両親からは不安や恐れを彼女は常に感じ取ってしまうのでしょう。彼女が両親には馴染めなかったと言う時、その本当の意味は、両親の不安に馴染めなかったということなのだと思います。そして、この家庭には両親の不安や恐れが常に充満していたかもしれません。それは小さな子供にとっては説明しようのない何かで、雰囲気とか空気といった形でしか表現できないようなものであります。そうしたものを何か彼女が感じとりながら生きてきた可能性もあるのです。 

 こういう彼女にとって望ましくない雰囲気から彼女を守る役割を果たしていたのが、祖父母だったということになります。この祖父母はある時彼女の人生から姿を消すのであります。それは彼女にとってどのような体験となったでしょうか。当時の彼女から見れば、安全だった家庭が突然恐ろしいものに支配される場に変わってしまったというような体験だったかもしれません。彼女は話してくれませんでしたが、当時の彼女にとっては相当恐ろしい体験、あたかも世界が没落してしまうような体験となっていたのではないかと、私は察します。ある日、突然、楽園から追放されるような体験だったのではないでしょうか。 

 

次項へ続く 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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