<テーマ133>怒り不安自己感情(2) 

 

前項からの続き) 

 

(133―3)事例6回目以降~三段階の予測を立てる 

 以後も面接は続きます。 

 ところで、彼女が来談する間隔のことを述べておきましょう。これは非常に不安定な間隔とならざるを得ませんでした。夫が家にいないと、彼女は家を出るわけにはいかないと主張していました。夫の仕事は勤務が不規則で、週に一日乃至二日の休みはあるものの、それが何曜日と決まっていないのです。だから、彼女は前週は月曜日に来たかと思うと、今週は金曜日に来て、来週は水曜日に予約を取るという形になったのです。私も彼女に合わせるしかありませんでした。そのために定休日でも面接をすることもありました。 

 激しい怒りを抱えていて、その怒りに翻弄されているような人は、他人を信頼したり信用することが難しいものです。彼女が来談してくれている限り、そこには何がしらの信頼が芽生えていたと思います。それを潰してしまわないために、できるだけ彼女の意向に沿うことも必要なのでした。面接の間隔が不規則になっても、あるいは終了後に質問時間を別に取るというようなことをするのも、つまり枠組みを緩めるということですが、すべて信頼関係を築こうという意図があったのです。 

 さて、いささか駆け足でその後の面接を見ていこうと思います。 

 6回目以降も彼女の語る内容は大同小異であります。面接を重ねるにつれて、内容は同じものであっても、彼女の口調や言葉使いに少し余裕が感じられてきます。最初の頃の息つく間もないような早口の話し方から、徐々にゆっくりになっていきます。ご近所の罵言にも、刺々しいというか、毒々しい表現が少しずつ減っていきます。その一方で、日常生活で落ち着いていられる時間もわずかずつでも増えており、尚且つ、そういう時間を体験する機会も増えてきたという報告がなされていきます。 

 7回目の頃、私は彼女との面接は三つの段階を踏んでいくかもしれないなという予測を立てました。今は第一の段階です。第三の段階に至って、初めてカウンセリングらしくなっていくかもしれないと予想したのです。実は、この時、私は一つの大きな失敗をしてしまったのでした。私はこの時点で、そういう私の予想をあらかじめ彼女に伝えておくべきでした。ところが、その時の私は、まだこの予想に自信がなく、また、確かなものとも思えていなかったのでした。そのために、私は彼女にそれを伝えるということをしなかったのです。 

 回数を重ねると、質問時間の回数もそれだけ増えるので、徐々に彼女に関しての情報も得られていきました。前項で記述した彼女の生い立ちはそれらを再構成したものです。それでも、まだまだ不鮮明な部分が多く、特に重要と思われる部分が明確でないのです。それも少しずつ聴くことができるだろうと思っていましたし、第三の段階に至れば、必ずそれらに触れることになるだろうとも思っていました。私は慌てずに、彼女の動きについていくことにしました。 

 

(133―4)事例10回目以降~不安の現出 

 面接が10回を超えて、13回目頃、彼女は初めてご近所さんの罵詈雑言以外のことを述べられました。 

 彼女は最近、眠れない日があると語るのです。私はそれは彼女の心に変化が起きてきていることの一つの表れなのだと説明し、それを恐れないようにしてほしいと伝えました。もし、不眠があまりにもひどくなるようだったら、病院で睡眠薬を処方してもらうことも考えてほしいと頼みました。 

 14、15回目と、徐々に彼女の不眠の訴えは大きくなっていきました。そして、不眠だけでなく、日中においても不安に襲われることがあると語ります。私はその不安には意味があることを彼女に伝えました。そして、その不安が彼女の怒りを生み出しているのだということを説明したのです。一応、彼女は納得されました。 

 彼女の不安はだんだん強くなっていきます。18回目においては、もはやご近所の話など出ませんでした。ただ不安で不安でどうしたらいいのか分からないということを訴えられるのでした。 

 私はその不安について、彼女に話してもらいます。不安に襲われる時はどういう時か、不安に襲われた時はどういうことが頭に思い浮かんでいるか、そういうことを尋ねていきます。彼女はそんなの分からないと答えるのみです。同じように、不安に襲われない時間帯はあるか、不安がどれくらいで鎮まるかなども尋ねます。彼女はそれにも答えられないのです。 

 あなたにとって、この不安はとても意味があることであり、私たちはどうしてもそれを見ていく必要がある、だから不安体験について教えて欲しいし、その不安をできるだけ観察して欲しいと頼んでその回を終えました。 

 19回目の予約日当日、彼女は私に電話をかけてきました。彼女は不安でもう耐えられないと電話口にて訴えます。そして、私が彼女を悪くしたと言って、私を罵り始めるのです。私はそれはご近所さんに向けていた怒りを私に向け変えただけだと応じ、その怒りを生み出している不安こそが本当の問題なのだと主張しました。そして、彼女とはそれきりとなってしまったのです。彼女は今でも私を恨んで生きているかもしれません。 

 

(133―5)不安を怒りで対処するということ 

 彼女がこの時期に体験した不安というのは、私の予測の第二段階にあるものだったのです。そしてこの不安を取り上げていくと、第三の段階には彼女の低い自己感(自己価値感、自己肯定感など)に行き当たるだろうと私は予測していたのでした。だから、私はこの予測を立てた時に、この先、不安に襲われるようなことが起きるかもしれませんが、それはこのカウンセリングが上手くいっていることの証拠なのだということを伝えておくべきだったのです。この先、彼女にどういうことが起きるだろうかということを彼女も知っていれば、少なくともその心構えくらいはできただろうし、準備をすることもできただろうと思うのです。 

 なぜ、彼女は不安を体験するようになったかということですが、これは彼女の自我が怒りでもって不安に対処しなくなり始めたからです。彼女の自我が怒りという手段を放棄し始めたということなのです。不安に対して、怒りよりももっと適切な対処が取れれば彼女の生活は少なくとも今よりはずっと楽になっていくはずなのです。そのためには、怒りという手段が放棄される必要があるのです。その時に一時的に不安を強く体験することがあったとしても、それは当然のことであり、避けられないことでもあったのです。 

 そもそも、彼女の訴えは怒りにあったとは言え、その怒りは非常に不安に満ちたものでありました。お隣やお向かいに監視されているとかスパイされているとかいう訴えは、それ自体彼女の不安の表現なのです。彼女が怒りに身を任せて、ご近所に挑戦したこともまた、不安の表れだったはずであります。不安は常に彼女と一緒にありました。ただ、彼女は自分の不安に関しては見えていないのです。怒りの感情がそれに覆いをかけているのです。 

 従って、彼女に急に不安が現れたのではないのです。怒りの感情が鎮められていったので、不安がよく見えるようになったわけであります。そして、この不安はいつも彼女についてまわっているものだったのです。いつ頃からそれが彼女について回っていたかと言うと、これは確かなことは言えないのですが、恐らく、彼女が祖父母を失ってからだと私は思うのです。 

 ここで、この祖父母の意義がもう一度見直されることになるのです。この祖父母は彼女から不安を遠ざけてくれている存在だったのです。私はそれに間違いないと確信しています。不安は怒りと結びついており、祖父母はこうした怒りとは結びついていないからです。つまり、祖父母は彼女の不安とも結びついていないということであります。不安と結びついていないということは、祖父母が幼かった彼女にとって安全を保障してくれる人たちだったこと意味するのです。 

 ここで一つ思い出さなければいけないのは、彼女の右隣の人たちです。お年寄り夫婦が住んでいるという右側のお隣さんは彼女の怒りの対象とはならなかったということでした。彼女にとっては、お年寄り夫婦ということが、かつての祖父母を連想させるのかもしれないのです。だから、その人たちは彼女が敵意を向ける対象にはならなかったのではないかと思うのです。 

 さて、祖父母が子供時代の彼女にとって安全を保障していて、彼女にとって一つの拠り所となっていたとすれば、このことは更に言えば、祖父母が保障してくれていたものが、実の両親からは得られていないということでもあります。両親に悪意があったとは言えないのですが、両親には彼女の不安が見えていなかった可能性はあるだろうと思われるのです。わずかな情報から推測しているので、歪みがあるかもしれませんが、祖父母が亡くなって、母親は労働条件を変えなければならなくなり、生活も大幅に変えなければならなくなったという状況がありました。この状況で、母親が娘のことをしっかり見ることができたかどうか、私はいささか疑問なのです。母親は生活の変化に対応することに追われていたかもしれません。 

 父親の方はさらに情報が少ないので何とも言えないのです。しかし、祖父母が亡くなってから、父親の方は何か変更を余儀なくされたという感じでもないようでした。祖父母が存命だった頃と同じ生活をしていたのかもしれません。そうだとすれば、彼女に対しても同じようにしていたかもしれません。父親が娘のことは親祖父母に任せておけばいいと考えていたとすれば、親の死後もその感覚のままでいたかもしれません。この辺りのことは全く分からないことで、すべて私の推測でしかないということは強調しておきます。 

 いずれにしても、両親は彼女の不安に対して、少なくとも、安全を体験させてくれる対象ではなかったようであると仮定して間違いではないように思われるのです。こうして、彼女は不安な小学校時代を送ったのかもしれません。生憎なことに、この時代のことを彼女は話そうとしませんでした。そして中学時代は荒れたということだけが分かっています。 

 荒れたというだけが分かっていて、どのような荒れ方だったのかは分からないのです。でも、一般的に考えても中学生頃になると、心身に変化が生じてくるので不安定になりやすい時期であります。当時、彼女がとても強い不安を体験していたと考えても間違いはないだろうと思うのです。そして、彼女は荒れるのです。きっと、とても怒りっぽい中学生だったのではないかと思うのです。 

 そして、中学生頃から、不安に対しては怒りで対処するという傾向をはっきり示すようになられたのではないかと私は憶測しているのです。 

 いや、推測を働かせれば、もっと根が深いかもしれません。この不安は元来誰の不安だったのかということも考えなければならないことなのです。 

 本項もけっこうな長文となってしまいましたので、私はここで再度項を改めることにします。次項において、彼女のこの不安をもう一度取り上げることにします。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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