<テーマ132>怒り不安自己感情(1) 

 

前項からの続き 

 

(132―3)事例~クライアントの生活歴 

 彼女の問題を整理しておきましょう。彼女はお隣さんとお向かいさんから見られ、スパイされ、嫌がらせをされるということを訴えています。問題となっているのはこの二軒だけです。そして、彼女が激しい怒りを覚えるのは、彼女が独りで居る時であるということも窺えます。子供か夫の、少なくともどちらか一方が一緒の時はそれがましになるのです。ましになると言うのは、夫と子供といる時であっても、時にはこの二軒のことで心が掻き乱されることもあるからで、常にそうとは限らないらしいからです。 

 そして、彼女はついに我慢の限界が来て、彼らに怒りを表明したわけです。行動化したわけです。しかし、彼らにそれは伝わらず、彼女は逆に彼らから軽蔑の眼差しを感じ取ったようであります。 

 その怒りを現実に発散させてしまうと、却って彼女自身が不利になるから、その感情をなるべくここで言葉にして発散してはどうだろうかと、私は彼女にカウンセリングを継続するよう求めました。彼女はそれを承諾してくれました。 

 ここで、カウンセリングの過程に入る前に、一体彼女はどのような人なのかを少し述べておくと後々のことが理解しやすくなるでしょう。これもまた、断片的に語られたことを私が再構成したものであります。 

 子供時代、彼女が言うには、両親の影が薄かったそうです。二人とも終日働いていて、家には不在がちだったようです。父方の祖父母が同居していて、彼女はどちらかと言うと、この祖父母に面倒を見てもらったと言います。彼女の話では、祖父母には懐いていたけれど、両親にはどうしても馴染めなかったということです。この祖父母は彼女にとって望ましい対象だったことが分かります。 

 さて、これはなぜなのか分からず終いでしたが、両親が共働きしているにも関わらず、当時の彼女の生活はとても貧乏だったと言うのです。そのためなのか、家庭の中で変な緊張感が漲っていることがあったそうです。彼女がそういう家庭内の緊張感を感じ取っていたのです。 

 彼女が小学校に上がる頃、祖父が亡くなり、その後を追うようにして祖母も亡くなったそうです。これは彼女にとってはとても痛々しい体験だったはずです。彼女はその時のことを話してくれませんでしたが、彼女の人生が大きく変わった転回点だったと思います。 

この祖父母が逝去したことにより、母親の生活が余儀なく変わっていったのでした。祖父母が彼女の面倒を見てくれていたので、母親は終日仕事に出ることができていたわけですが、面倒を見る人がいなくなった以上、母親は勤務形態を変えて、早く退社するようになったのです。この娘のために、母親は生活を変えざるを得なくなったという状況があるわけであり、勤務時間の減少はそのまま彼らの収入減につながっただろうと私は憶測します。つまり、母親にとってはあまり望ましい状況ではなかったのではないだろうかと思うのです。そういう両親に対して、彼女は母親は好きになれないと言います。父親の印象はさらに薄いようでした。 

中学生頃から、彼女は怒りっぽい性格をそのまま表すようになったようです。中学時代は荒れた生活を送っていたと彼女は語ります。 

 その後、高校に進学し、高卒後はある会社に就職が決まりました。彼女の願いは、何よりも両親の実家を出るということにあり、就職が決まると、家を出て、独り暮らしを始めました。高卒の女性事務員の給料で生計を立てるわけですから、きっと当時は苦しい生活を送っていたのではないかと私は思います。 

 就職して4,5年経過した頃、彼女はとあるパーティーか何かの席で、とても羽振りのいい男性と出会います。この男性が後に彼女の夫となる人でした。彼女はこの裕福な男性に惹かれていきます。 

 いつしか、彼女とこの男性とは交際するようになっていました。あまり詳しく話してくれませんでしたが、欲しい物は買ってくれるし、美味しいものはごちそうしてくれるし、旅行にも連れて行ってくれるしで、彼女はその時初めて贅沢を体験したかもしれません。 

 交際を始めてしばらくして、彼女は妊娠していることがわかりました。彼の子供を宿しているのです。彼女は躊躇することなくこの男性と結婚することに決めたのでした。 

 そうして結婚はしたものの、彼女は愕然としたようです。ずっと、彼はお金持ちだと信じていたのですが、実際は彼の両親、実家が資産家であるというだけで、彼が彼女に与えた贅沢は、すべて彼が親から貰った小遣いでやっていたのです。彼自身は、きちんとした定職に就いているわけでもなく、たまに実家の事業の手伝いをするという程度のものでした。そして、彼個人には資産も何もないということが判明したわけです。そればかりか、結婚して一家の主となるのだから、自分で働いて生計を立てろと親から言われ、彼は親の援助を打ち切られたのでした。 

 彼と結婚することで、彼女はきっとお金に困らないような生活を思い描いていただろうと思います。その夢もこれで粉砕してしまったわけで、彼女たちはマンションを借りて生活することになったのです。 

 子供が生まれ、夫もなんとか就職にありついたものの、生活は楽ではなかったようです。彼女の困り事の一つに夫の浪費ということもありました。派手に遊んでいた頃の癖がなかなか抜けなかったようで、そのたびに彼女は非常に悲しんだようです。 

 この夫のような男性は一つの仕事を長く続けることが難しかったりします。彼女の話では、夫は現在までに何度も転職してきたそうです。仕事を始めるとすごく熱中して、それで短期間で頭角を現すのですが、中堅どころになると、必ず周囲と摩擦を起こすのです。そして、衝動的に会社を辞めるのです。朝「行ってらっしゃい」と送り出した夫が、夕方には「たった今仕事辞めてきた」と言って帰ってくることもあったそうです。 

 幸いなことに、彼の親が顔が広いので、親のコネで就職口には困らなかったようです。しかし、何度も就職しては、また一からやり直しという彼の労働形態に、彼女は気の休まることがなかったでしょう。 

 ある時、親の資産の一部が彼に転がり込むという幸運が降って湧いてきました。彼はその金で豪遊するぞと勢いづいていました。彼女は「お願いだからそんなことしないで、そのお金で住む所を買って」と泣いて縋り付いて、彼に頼んだのでした。彼女の悲痛な願いだっただろうと察します。 

 こうしたいきさつで、彼女たちは今の家に住むことになったのです。生活には厳しい所もあるようでしたが、彼女にとっては自分たちの居場所が確保できたという確かな実感があり、充実した日々を送れるように感じていたようです。少なくとも初めのうちはですが。 

 そして、いざその家で生活を始めると、間もなく、お隣さんとお向かいさんの件が始まったわけなのです。 

 

(132―4)事例~感情と同一化しているとその感情を内省できない 

 以上のような経過を経て、彼女はこうしてカウンセリングを受けに来ることになったのです。最前述べたように、非常にピリピリした表情で、怒りをかろうじて抑制しているという感じでありました。落ち着きなく、そわそわし、ちょっとした手続きにも我慢がならないような仕草をされるのです。 

 彼女の訴えは、近所の二軒から常に見られ、時にいやがらせを受けて困っているというものでした。彼らに対して、激しい憤りを抱えておられました。私は、ここではその人たちがいるわけではないから、思いのままを語ってみませんかと彼女に勧めました。 

 そうして彼女の抑制を少し解いたわけですが、その途端に、彼らに対する罵詈雑言が迸り始めました。その間、私が口をはさむこともできず、次から次へと、彼らに対する罵声が彼女から奔流するのです。それも相当辛辣な言葉を連ねて語るのです。こうして初回の一時間は、大部分、彼らに対する不満をぶつけるだけで終わりました。私はそれでもよいと考えました。 

 彼女には、まず、昨日彼女がしたような行為は、彼女がその感情を十分に語ることができないために起きたのであり、そういう現実の行為に移すことは彼女自身の立ち場が不利になるということを伝えました。つまり、彼らはそれを聴く耳をもたないだろうし、毎回、彼女の方がはねつけられることになるだろうからであること、そして彼らの方が異常なはずなのに、そういう行為をした結果、彼女の方が異常だとみなされてしまうだろうという理由からでした。 

そのことを彼女に伝えると、彼女はそれがとてもよく分かるとおっしゃいました。現に、昨日、ご近所さんに文句を言いにいた後、たまらない敗北感と惨めさ、そして自分の方がおかしいという目で見られた屈辱感などでいっぱいになっていたと言うのです。 

 そこで、私は、だからその感情は闇雲に行動に移さない方が良くて、それをできるだけ言葉にして語るようにしてほしいということ、それをこの場においてのみやって欲しいということを述べました。そして、彼女はしばらく通ってみてはどうかという提案に頷いてくれました。 

 一回目の面接を終えたものの、彼女に関する情報は驚くほど少ないのでした。その代り、お隣さんやお向かいさんに関する情報はふんだんに得られたのでしたが、まあ、それもやむを得ないことでした。と言うのは、怒りの感情と同一化している状態の時、つまり怒りの感情に身を任せている時に、その怒りに対して目を向けるなんてことは誰にとっても不可能なことだからです。 

 強い感情と一体になっている時に、その感情について洞察を深めるなんてことはできないものです。その感情から離れて初めてそのような作業が遂行できるのです。考えてみれば、これは経験的にも自明なことであります。あなたが怒りを発散している時に、自分自身に距離を置いて眺めるということができるでしょうか。怒っていると同時に、この怒りが適切なものかとか、この怒りの起源は何かとか、このような怒りをどういう時に体験するかというようなことを内省できるでしょうか。恐らく無理なことではないでしょうか。そうして、後になって、つまり怒りの感情から距離を置いてからでなければ、そういうことはとても考えられないものなのです。 

 彼女は来談した時からすでに怒りと一体の関係にありました。それはとにかく表現し、表現することで、徐々に、その怒りと自己との間に距離を生み出していくしかないのです。彼女に関する情報がほとんど得られないとしても、それでもこの作業の第一歩にはなっただろうと私は信じていました。 

 彼女に関する情報がほとんど得られないと述べましたが、それでも私に分かるものもありました。まず、彼女は怒りの感情に支配されているということ。そして、恐らくですが、彼女は自分の生活や人生から何一つ満足あるものを得ていないだろうということです。この両者はともに絡み合っているだろうと推測しました。満足が得られないので、彼女はますます欲求不満を体験するだろうし、怒りの感情は彼女が満足を経験することを妨害しているだろうからです。 

 この事例はまだまだ続くのですが、分量が長くなりましたので、ここで一旦、項を改めたいと思います。彼女の不幸な経験から、そしてその後の私の手痛い失敗から、多くの人が真摯に学ばれることを私は望みます。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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