<#016-15>「断る場合もありますか」
<Q>
「カウンセリングを求めているけれど、断る場合もありますか」
<状況と背景>
直接このように質問されることはありませんが、間接的にこれが表現される場合があります。
カウンセリングをもとめているけれど、カウンセラーから拒否されるのではないかといった不安を持っておられるのかもしれません。
また、「どのような人が来られるのですか」という質問にも、一部では断られることの恐れがあるのかもしれません。。
<A>
基本的に断ることは少ないのですが、以下の場合においては、初回だけお会いするか、もしくは初めからお断りする場合もあります。
まず、その人から真剣さが感じられない場合はお引き受けしない場合があります。
ルール、枠組みをあまり守ってもらえないと思われる人も極力引き受けないようにしています。後で長引く問題が生まれる可能性が多いからです。
私の能力をはるかに超えたところのものを期待されている方も引き受けないようにしています。
ただ、クライアントの「問題」の種類や人格的な部分に関して断るということはほとんどないということだけはお伝えしたいと思います。
<補足と説明>
断ることはしないけれど、次のような人に関して一言述べておこうと思います。
カウンセリングを受けに来た動機が、「なんとなく興味があって」とか「面白そうだから」とか、あるいは「フロイトの信奉者なので」というような、不鮮明な場合は、カウンセリングを受けて、後で重篤な症状が見られるケースがあります。
このような人たちは、確かに何らかの問題を漠然とはあれ感じ取っているのです。ただ、それが「問題」とか「症状」という形で結晶化されていないのです。そういう形で結晶化する力が不足しているのです。だからその人が自分の抱えているものに取り組むためには、それを一旦「問題」とか「症状」という形にしなければならないという段階を経るのです。
逆説的なのですが、自己が明確な人ほど明確な「症状」を呈するのです。「神経症」者ははっきりした「症状」を示すけれど、「精神病」者は実に多様な症状を示すというのもそれに関係していることだと思います。
従って、自己が曖昧な人ほど曖昧な動機、問題意識でカウンセリングを求めて来られるのです。この人にはっきりとした「症状」が現れるのは、その人の自己が一部分でも明確になってきていることの証拠だと考えらえるのですが、しばしば、そして不幸なことに、この人たちはそれを「悪化」として捉え、自分を悪くしたと言って臨床家を叩き上げることをするのです。そういう例を私は自身でも経験しています。
「どのような人が来られるのですか」という問いや、「断る場合がありますか」と問い合わせる人の中には、カウンセリングを受ける動機が非常に曖昧だという人も含まれているのではないかと思います。明確な問題を提起できないので断られるのではないかといった心配をされている方もおられるかと思いますので、一言申し添えておいた次第です。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)