<T024-24>高槻カウンセリングセンター便り集(24) 

 

(本ページの内容) 

・高槻カウンセリングセンター便り:70通目~悪化する人たち(10) 

・高槻カウンセリングセンター便り:71通目~悪化する人たち(11) 

・高槻カウンセリングセンター便り:72通目~悪化する人たち(12) 

・終わりに 

 

 

 

高槻カウンセリングセンター便り~70通目:悪化する人たち(10) 

 

 治療なりカウンセリングなりを受けて、良くならないだけでなく、悪化してしまうという人たちの考察を続けます。今回から「理想」に対す態度を取り上げます。 

 

 この「悪化」はごく一般的に認められるものであると私は思います。心の病に限らず、身体的な病においても見られる現象であると私は認識しております。 

 これはどういうものであるかというと、人は病気にかかったときに、「治ったらこうなっているだろう」とか「治ったらこれをしよう」といった「理想」を持つことが多いのでありますが、その理想がそのままの形で実現しないという経験をしてしまうというものであります。 

 つまり、「治ったらこんなふうになっている」と信じていたものが、実際に治癒に至るとそれが実現できないことが見えてくるわけであります。この時に理想を喪失するような体験をしてしまうわけです。この理想の喪失に対して抑うつ的な反応を示す人がけっこう見られるわけであります。 

 従って、このような抑うつ反応は改善がかなり見られる時期に現れることが多いのであります。順調に改善していった時期に抑うつ的になられるのであり、これを「悪化」と評価してしまう人がおられるわけであります。 

 しかしながら、この現象はそれほど特殊なものではないと私は考えています。 

 

 私も、6年ほど前になりますか、膝を割って入院して手術を受けた時にそういう経験をしました。退院したらこうなっていて、こういうことができているだろうなどと思い描くのであります。ところが退院しても、現実はそれができるにはほど遠い状態でありました。 

 その時はやはり愕然とした思いをしたのを覚えております。今頃はもっと治っているはずだったのに、そう思い描き、信じ切っていたのに、現実はそうではなかったのであります。なかなか辛い現実でありました。 

 それで私は「理想」を改めなければなりませんでした。現状ではこういう状態だから、一か月後にはこれくらい回復して、こういうことができるだろうなどと、理想を更新することになったのでした。 

 後で振り返ると、いろいろなことに思い当たります。入院中は焦燥感に駆られることもあり、そういう感情からかなり早急で短期間の見込みの理想を描いていたかもしれません。また、膝の骨折は経験がなく、治癒にどれくらいかかるのかも知らされておらず、なんら情報がない中で理想を思い描いていたことにも思い当たります。せいぜい過去の骨折経験だけに基づいていたように思います。 

 

 要するに、病中に思い描いた理想は、その後の治療経緯や治癒後の現実が含まれていないのであります。それらの現実はまだ訪れていないのだから当然であります。だから、そういう状況で立てた目標や理想は現実と食い違ってくるのも当然であります。この理想なり目標なりはどうしても実現できないものとなり、多かれ少なかれ、どの人も理想の喪失体験をしてしまうように私は思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

高槻カウンセリングセンター便り71通目~悪化する人たち(11) 

 

 私たちは病気になった時に、これが治ったらこうなっているだろうといった期待や理想を思い描くことがよくあると思います。その病気が当人にとって苦しいほど、こうした期待や理想が生まれるであろうと私は思うのです。 

 この理想は闘病生活を支えてくれることもあるでしょう。しかし、実際に治った時にはその理想が実現されないことを知ってしまうのであります。病中の理想は病後の現実が含まれていないためであります。 

 人は病気が「治る」時期に、思い描いていたのと現実とはまるで違っていることに直面してしまうのであります。この時、人はその理想を失うことになるのであります。かつて闘病生活を支えてくれてもいた理想を失ったように体験してしまうのであります。この喪失感が抑うつ反応など、否定的な反応を引き起こしてしまうことがあるというわけであります。 

 当然、個人差がそこにはあります。その抑うつ反応が非常に重いという人もおられるのでありますが、当人や周囲の人にとっては、それが悪化に映るのだと思います。 

 

 このような理想の喪失という体験は避けられないものであると私は考えています。そこから、程度の差はあれ、抑うつ反応が生じてしまうことも珍しいことではないように思います。それほどひどい抑うつまで至らなくても、ちょっとした失望感などを経験することもあるでしょう。 

 重要なのはその後であります。 

 病中に立てた理想は放棄されて、現在の現実に根差した理想を新たに形成するか、あるいは、かつての理想を現在の現実を踏まえて修正していくか、いずれかの道を進まなければならなくなると私は考えています。 

 しかしながら、病中の理想にあくまでもしがみつくような人もおられるのです。理想の状態になっていないから自分は治っていないなどと評価する例もあるのです。その理想がかつてはその人を支えてくれていた部分もあるので、それを放棄することが難しくなるのかもしれませんが、頑なに過去に形成された理想に執着してしまうのであります。 

 こういう人の中には、治らなかったと言って、さらにはもっと悪くなったと評価して、治療やカウンセリングを中断してしまう人もおられるのであります。 

 

 ところで、理想が修正されるにしろ、作り直されるにしろ、それはその抑うつ反応が治まってからの話であります。抑うつ状態で新たに理想を形成しても、同じことを繰り返してしまう可能性が高いように私は思うのです。病中や状態の悪い時に立てた理想は、どこか正しくないものを含んでしまうからであります。そのように私は思うのです。 

 私のクライアントも改善前に抑うつ的になられることがよく見られるのです。その状態を経る例が多いのです。その状態が悪化と評価されてしまうにしても、抑うつ反応が鎮まるまでは前に進めないのです。つまり、一旦、その喪失から立ち直る時間を要する必要もあるのです。 

 中には非常にもったいない話もあるのです。その状態が鎮まったら前に進めるのに、その道を選ばず、中断の方を選んでしまうのであります。その抑うつは、悪化ではなく、改善による理想喪失に対する反応であるかもしれないのであります。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

高槻カウンセリングセンター便り~72通目:悪化する人たち(12) 

 

 病中、治療中、あるいは苦しい状況にある時など、人は治ったらこうなっているとか、ここを通過するとこういうことができるようになっているとか、さまざまなことを思い描くものであると思います。それを「理想」とここでは言っているわけですが、現実に改善なり苦しい状況から脱却の兆しが見られるようになると、その理想と現実が違うことが見えてくるのであります。この時、人はその「理想」喪失を体験してしまうのであります。この体験から抑うつで反応を示す人が多いのでありますが、不安やパニックで経験する人もおられるのです。当人は周囲の人にはこれが悪化のように見えてしまうのですが、いずれにしても、理想の喪失がもたらす反応であることが多いように私は考えています。 

 

 私のクライアントたちにもそれが見られるのであります。この抑うつは、当人には苦しいものでありますが、やがてそこから抜け出るものであります。 

 そこから抜け出た人たちはこれを「悪化」とみなさないのかと言いますと、そうではないのです。具合が悪くなったと評価されていることも多いのです。カウンセリングを受けていて具合が悪くなっているのに、それでもこの人たちがカウンセリングを継続しているのはなぜかという疑問も生まれることと思います。 

 私の見解を述べて、この悪化の理由に思い当たるとか、納得できるといったケースでは、苦しくてもこの状態が終わるのを待とうという気持ちになられる人が多いように思います。 

 また、改善までの経験の記憶を頼りにしている人もおられるようであります。つまり、カウンセラーがこれまでの改善の過程に付き合ってくれたことへの信頼感を支えにして乗り切る人もおられるように思います。 

 加えて、理想の方ではなく、現実の方を受け入れようと努力される方も見られるのであります。あるいは、今の現実の方がその人にとって大事であると思えるようであれば、過去の理想へのこだわりは減少していくのかもしれません。そうして徐々にこの苦しい状況を乗り切っていかれるようであります。 

 当然ながら、退院後の私がそうしたように、その理想を現在の現実に根差した理想へと置き換えていく人たちもおられます。新しい理想が過去の理想喪失による反応を緩和してくれるので、この状態を耐えやすくするようにも思います。 

 一番大きな要因は、この「悪化」反応を起きるべくして起きているものとしてみなすことができるか、まったく「異常」なことであり、「あり得ない」ことであるとみなすかの違いにあるようにも思うのです。このような相違はその人の自己意識(自分がどういう人間であるかという意識)によって生まれるものであると私は考えています。前者はこの状態に耐えることができても、後者はこれに耐えることが一層苦しくなるのではないかと思います。 

 今の話を補足しておくと、例えば「自分はおかしい」などという異常意識に囚われている人は、この「悪化」をより畏怖する可能性が高くなるだろうと私は思うのです。一旦は改善が見られたけれど、この「悪化」は自分が異常であることの証拠であるように体験されてしまうかもしれません。そして、本当は根拠はないのだけれど、普通の人はこんな経験はしなくて自分だけがその体験をしているなどと思い込んでしまうこともあるのではないかと思います。 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

<終わりに> 

 本ページでは高槻カウンセリングセンター便りの70通目から72通目までを収録しています。 

 70通目から「理想に対する態度を取り上げています。こで取り上げているのは改善が見られた時期に生じる現象であります。人は病中にさまざまな理想を思い描いてしまうものですが、治癒に至る頃にはその理想と現実がかけ離れていることが見えてしまうのであります。この理想喪失体験から抑うつやパニックのような反応を示す人も多く、それを悪化と評価してしまうのであります。 

 71通目は前回の続きであり、では、なぜ病中に思い描く理想が現実とかけ離れてしまうのかについて考えてみました。病中の現実と病後の現実の違いによるところが大きいと私は考えています。 

 72通目では、クライアントは理想喪失体験をして具合が悪くなったと評価しているのに、それでもなぜカウンセリングを継続するのかについて、私が実際に見聞したところに基づいて考察しています。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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