<T024-22>高槻カウンセリングセンター便り集(22)
(本ページの内容)
・高槻カウンセリングセンター便り:64通目~教団に寄付せず天国へ行く方法
・高槻カウンセリングセンター便り:65通目~悪化する人たち(5)(権威に対する態度)
・高槻カウンセリングセンター便り:66通目~悪化する人たち(6)(権威に対する態度~嫌悪、嫉妬、服従)
・終わりに
高槻カウンセリングセンター便り:64通目~教団に寄付せず天国へ行く方法
クライアントたちはさまざまな経験をしているもので、それを僕に話してくれる。
前世の記憶を持っているという人にも何人かお会いしたことがある。一人の女性は特に詳細にわたってその記憶を語ってくれた。
かいつまんで話そう。
彼女の前世は男性で、戦争に行ったそうだ。剣あるいは銃刀のようなもので戦ったというのだからずいぶん昔のことなのだろう。
戦争から帰ると、婚約者は他の男と結婚しており、その他の不幸も重なって、彼は自殺したのだ。倒れている自分を上空から眺めたという記憶も彼女は語った。
肉体から離脱した彼は上空へと昇天していき、やがて人々の列に連なった。列の先頭には「閻魔様」(彼女の表現通りである)のような人がいて、お前はこっち、お前はあっち、と人々を振り分けている。一方が天国で他方が地獄なのだろう。要するに煉獄の場にその人は臨んだわけだ。
いよいよ彼の番が来た。閻魔様は彼を見るなり、「お前は十分に生きなかった。だから生まれなおす」と言い渡した。そうしてその場を突き放された彼は、ある女性の胎内にやどり、そうして生まれたのが彼女であるということだ。
僕は人の話を信じるので、彼女の話は実際に彼女が体験したことなのだと信じている。煉獄の場は確かにあるし、閻魔様も存在していると信じよう。
この話で大切なことは、閻魔様は「お前は統一教会にいくら寄付した」などと問わないということだ。人のためにいくら投資したか、なども問われていないのだ。カネで天国は保証できないものなのだ。
やはり、正直に生きるのが一番いいのだろう。正しく生きること、人のために尽くすこと、ウソもつかない、そういう人が天国へ行くのだろう。
そういうお前はどうなのかと問われると、僕は間違いなく地獄行きだ。そもそも今日のタイトルがすでにウソなのだ。教団に寄付せず天国へ行く方法など少しも語っていないのである。こういう嘘つきは地獄へ落ちるものであり、僕自身が身をもってそのことを証明しようと思う。
教団に寄付しすぎて家族をないがしろにした人も、どれだけその宗教を信奉していようと、やはり地獄に行くのではないかと思う。家族に対してなした罪を現世においてしっかり償っていかなければならないのではないかと思う次第である。
この手の話で僕がお会いするのは宗教1世の人だ。数は多くないけれど、そういう立場の人が来る。一介のヘボカウンセラーに救いを求めるなんて、もはやその宗教がその人を救済していない証拠なのだけれど、それは脇へ置いておこう。
この人たちは自分の子供からも絶縁されていたりする。それがこの人の罪の償いとなるのであるが、この人たちには分からない。一体、その教団はその人に何を教えてきたのかね、と問いたくなる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り:65通目~悪化する人たち(5)
カウンセリングや心理療法を受けて却って悪化したという人たちのことを考察しています。今回から「権威に対する態度」を取り上げてくことにします。
クライアントから見ると、カウンセラーとか医師は権威ある人間として映ると思います。クライアントに限らず、専門家に対して人は何らかの権威性を付与してしまうものであると私は思います。
カウンセラーの中には自分から権威性を払拭しようと努める人もおられるようであります。あくまでもクライアントと対等でいようとするカウンセラーがおられるのでありますが、私はそれは不可能であると考えています。
カウンセラーとか医師とか、あるいは心理士とか、肩書がついている時点でクライアントは臨床家に権威を付与してしまうものであると私は考えています。どうしても権威というものが専門家にはつきまとうのであります。
権威を取り除くことよりも、むしろ、権威の性質を変えていく方が理に適っていると私は考えています。
エーリック・フロムは権威を二種に分けていて、合理的権威と非合理的権威と名付けているのですが、要するに好ましくない権威(非合理的権威)とより好ましい権威(合理的権威)とがあるというのです。
簡潔に述べると、非合理的権威とは主人と奴隷のような関係性であり、支配することが主軸となるような権威であります。合理的権威とは師匠と弟子のような関係性であり、育てるとか教えるとかいった行為が主軸となるような権威であります。
臨床家は合理的権威を目指す方がいいというシンガーの説に私も賛同します。権威性を自分から除去することではなく、自分に付与されてしまう権威を合理的な権威に近づけていく努力をする方がより建設的であると私は考えています。
さて、権威に対する態度という本題に戻りましょう。
人は権威に対してさまざまな態度を取るものであります。ここでは三つほど取り上げることにします。
一つは権威に対して「嫌悪」の態度をとる人たちがいます。もう一つは権威に対して「嫉妬」の態度を取る人もいます。そして、三つ目として、権威に対して「服従」の態度を取る人がいます。
その他の態度もあり得るのですが、上記の三つだけを取り上げたいと思います。それらの態度がどのような形で現れるのか、そして、それが「治らない」こと並びに悪化することにどうつながるのかといったことも述べたいと思います。
ただし、分量の関係で今回はここまでとして、次回に続けることにします。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
高槻カウンセリングセンター便り:66通目~悪化する人たち(6)
カウンセラーや医師、臨床家はクライアントからは権威ある人とみなされてしまうのですが、権威に対する態度にはさまざまなものがあります。ここではそのうちの三つを取り上げます。
権威に対して「嫌悪」の態度を取ってしまう人たちがいます。その人が権威主義的ではなくても、権威があるように見えるというだけでその人のことを嫌悪してしまうような人もおられるように私は思います。
この嫌悪は、ハッキリとした拒絶の態度として表面化することもあるでしょう。従って、クライアントの場合、この態度を取る人は臨床家を拒絶・拒否するような言動をするでしょう。
また、嫌悪からハッキリとした反抗を示すという人もいるのですが、そういう反抗があまり目立たない感じの人やもっと別の形で示す人などもあるのです。しかし、何らかの嫌悪感を体験しているように思われるのであります。
次に権威に対して「嫉妬」の態度を取る人たちがいます。私の経験した範囲では、むしろこの態度をとってしまうクライアントの方が多いように感じています。
カウンセラーとか医師とか、その他の専門家でもそうでありますが、自分の選んだ分野で成功している人たちであるようにクライアントには見えることが多いようであります。現実にはそんなこともないのですが、好きなことをやって成功している人のように見えることがあるようです。非常に恵まれた人たちのように映ることもあるようです。クライアントは自分にはそれができないので、それができている(とみなされている)人間を妬む気持ちが生じてしまうのでしょう。
こうした嫉妬から、一部の人たちは落ち込み、抑うつ的になることもあるようです。専門家に比べて自分がかに卑小であるかなどと思い込み、落ち込んでしまったりするというわけであります。
一方で、嫉妬の態度はやはり反抗的な態度に発展することもあるように思います。極端に言えば、自分が持っていないものを相手が持っていることに耐えられないので、相手を自分と同じ地位にまで引き下ろしたい気持ちが生じることもあると私は思うのです。
最後に権威に対して「服従」的な態度を取る人たちがいます。これは、権威者を信頼して付き従うというものではないのです。当人たちは意図せず服従してしまうのでありますが、どこかに強制感があるように思うのです。ここで言う「服従」はそれを強いられているというニュアンスが濃いわけであります。
この人たちは、しばしば、最初のうちは権威者に対して非常に従順なのでありますが、いずれ反抗に転化してしまうこともあるのです。時に、これまでの「服従」の埋め合わせを求めてくるような人もおられるのであります。
さて、もう少し詳しい話をしたいと思うのですが、分量の関係で次回に引き継ぐことにします。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<終わりに>
今回は高槻カウンセリングセンター便りの64通目から66通目までを再録しています。
64通目は前回までの流れで書いたものであります。教団に寄付せず天国へ行く方法などと、我ながらデタラメなタイトルをつけたものだ。お遊びもこの辺りにして、継続中のテーマに戻ることにしました。
65通目は、前年まで続けていた「治る人・治らない人」シリーズの番外編である「悪化する人」の続きであります。ここから「権威に対する態度」を取りあげます。臨床家は権威ある者とみられがちですが、権威を払拭するよりも、より健全な権威に修正していく方が大切であります。
66通目は権威に対する態度を、さらに嫌悪、嫉妬、服従と下位分類をして考察を試みています。
(2023年7月)
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)