7月19日(水):痛みとともに
ずっとブログを放置したままだった。ブログだけではない。他の多くのことも放置したままになっている。全身至る所が痛かった。昨年5月の悪夢がよみがえる。
膝とか足とかの痛みは幾度となく経験するところだが、腰とか首とか背中とかまで痛みが広がる。関節という関節が痛む。これを経験するのが昨年の5月以来ということだ。
ただ、昨年5月の方がひどかった。あの時は本当に動けないほどだった。寝た切りになるとはこういうことなのだと改めて体験したのだ。動けなくなるというのは本当に惨めなものだ。
体が動き始めてからバイトも始めたのだ。体が動くうちに働こうという気持ちと、常に動かしていなければ再び動けなくなりそうだといった恐れの気持ちからである。あれから一年以上になるが、なんとか体は動いている。日々、ストレッチなんかもやって体に気をつけている。昨年5月の悪夢も一過性のものだと思い始めた矢先に今回のこれだ。
体のあちこちが痛い。でも、無理をすれば動かせる。その点で昨年のものよりましである。体にムチを打ってバイトに行く日もあった。無理をしてなんとかなるならマシな方だと言える。
この痛みは体を動かす時に生じる。不動の姿勢でいる限り痛みは知覚されない。安静にしている限り痛みを体験することはない。そういうわけで、できるだけ動かないように生活していた。仕事以外はほとんど寝て過ごす。
そこから動き始める時が特にたいへんである。横臥姿勢から立ち上がる時が難しい。痛みが走るのでどうやって立ち上がるかを工夫しなければならないのだ。昨年5月の時は本当に難儀したものだが、今回はそれもましである。
7月に入って3週間近くになる。この3週間ほどで痛みがかなりマシになっている。昨年5月は本当に一か月ほど続いた。そこにも違いがある。前回よりも痛みの期間が短くなっている。
何はともあれ、痛みと一緒に生きていかなければならないものだ。
こんなふうに昨年の経験と比較できるのも、痛みがマシになっているからである。痛みが激しい間は痛みしか意識に上がらない。
これが不思議なもので、現在の痛みを経験していると、昨年5月のことが思い出されてくるのである。その時の情景や記憶などが思い浮かんでくるのである。昨年5月の経験が見えている一方で、経験されている痛みは現在のものである。昨年5月の情景が思い出されていても、昨年5月の痛みを思い出しているのではないのだ。
こういうのは意識の二重性と言えばいいだろうか。過去の一時期のことが意識に上がると同時に、現在のことも意識に上がり、両者は混合することなく、並列的に意識に上がっている。過去が思い出され、現在が経験されている。
過去の痛みの経験は、現在の痛みの経験によって覆いかぶされているようだ。過去の痛みの場面が思い浮かんでいるものの、現在の痛みの経験によって、過去の痛みの経験は消去されているような感じである。過去の痛みは思い出そうにも、現在の痛みによって、それが不可能になっている。どう言っていいのか、つまり、過去の痛みを思い出そうとしても、現在の痛みが前景に出て、思い出すことができないのである。その時、僕は過去のその痛みを失っているのだ。
自傷行為とはこういうものなのだろうなとも思う。現在の痛みで過去の痛みを消し去ることなのだ。過去の痛みを再体験するということではないように僕は思う。
ともかく、少し回復の兆しが見え始めている。痛みから解放されつつある。体がより動かせるようになっている。3週間近い停滞があったが、少しずつ挽回していこう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)