<T026-02>衰退の道(2)~バイトテロ
生物の世界では、どの種においても、闘争する場面がある。この闘争には二種類あって、一つは異種間闘争であり、もう一つは同種内闘争である。要するに異種の生物と闘争するか、同種どうしで闘争するかということであるが、両者は相関的な関係にあるらしい。
相関的というのは、異種間闘争の能力を発展させた種は同主内闘争に弱くなり、同種内闘争の能力を発展させた種は異種間闘争に弱くなるということである。
そして、同種内闘争の能力を発展させた種は絶滅ないし絶滅危惧されることになるという。考えてみれば当然である。同種内で争いをして、同じ種を破壊していることに加えて、外敵に弱くなるからである。
種をどういうかたちで区分するかにはさまざまであるけれど、ここでは「日本人」という括りで考えよう。上掲の説を踏まえれば、日本人どうしが争いごとをやったりつぶし合いをやったりすると、日本は滅ぶだけでなく、諸外国に対しても弱くなるということである。
バカッターが一世を風靡したのは2013年のことであった。彼らが登場した時、僕はこの連中が日本を潰すと実感した。それ以前の、例えばモンスターペアレントや悪質なクレーマーといった連中に対しては、僕はそこまでの危機感を覚えなかった。けれども、バカッターだけは別だった。現実に老舗のソバ屋さんを廃業に追い込んだりしたからである。破壊は現実のものとなったという感じがしたのを覚えている。
どの業種でもいいのだけど、仮にソバ屋さんにしておこう。このソバ屋さんは看板を立ち上げ、試行錯誤して美味しい出汁を作り、長い年月をかけて評判を高めていったとしよう。店主にとっては一生をかけた仕事である。ここにバイトの学生が入る。本来なら、学生はここで多くを学び、社会に出る。彼もまた経済を支えていく一人になる。彼は時折、昔アルバイトをしたソバ屋さんに行きたくなるかもしれない。世話になった店主たちが元気かどうか見たいと思うかもしれない。店主たちもまた彼の来店を歓迎してくれる。多少昔話に花を咲かせ、彼らは別れる。彼はまたこの店に来れるように頑張ろうという気持ちになっているかもしれない。店主もまた彼が今後とも来てくれるようにと頑張って店を維持しようと思うかもしれない。店もアルバイト学生もこうしてともに育つのではないだろうか。
バカッターはこういう店をつぶすのだ。バカなことをやって、せっかく店主たちが築き上げてきた評判を地に落とすのだ。店は悪評判で沸き返り、廃業を余儀なくされる。この学生も損害賠償として何千万円かの借財を負うことになる。双方がつぶれるのである。これが同種内闘争である。
バイトテロとはよく言ったものだ。テロ行為なのである。そして、このテロ行為が容易に成功してしまうのである。恐ろしい世の中になったものである。日本はそうして弱体化していき、滅んでしまうだろうと僕は思っている。
現に、その兆候が見えているかもしれない。
今年は平成最後の年ということで、テレビなんかでも平成を振り返るといった特番が組まれたりした。30年前、平成最初の年の経済と今年平成最後の年の経済を比較している番組を偶然目にした。株券の発行数による比較であった。株券を発行しているということは、それだけ勢いがあるということである。そういう仮定に立った比較だったように思う。
さて、30年前においては、上位のほとんどを日本企業が占めていた。上位50位だったと思うけど、外国の企業はわずかだった。現在、上位50社は外国企業で占められている。50社中一社だけが日本企業という結果だったように思う。これはすなわち、この30年間で日本がどれだけ経済的に弱くなったかを示しているのである。
外交においても同じことを僕は感じる。例えば日韓関係がある。それ以前に比べて、韓国が日本にモノを言うようになってきている。韓国がそれだけ力をつけてきているのも確かだと思うのだけど、日本もそれだけ弱くなったのかもしれない。
話が飛躍しすぎたな。僕は経済や外交の専門ではないので、僕の見解は表面的であるかもしれないし、一面的すぎるかもしれない。そのような指摘をされても僕としては反論しようもないのだけど、日本が弱体化しているという印象を僕は受けているという、あくまでも僕の個人的感想として捉えていただければと思う。
我々はどれだけ同種内闘争をしているだろうか。バカッターやバイトテロも僕は同種内闘争として見ている。他にも児童虐待や親殺しといった家族内での闘争もある。ネットでの誹謗中傷行為も然りである。同種内闘争をし続ける限り、僕たちは破滅の道を突き進むことになる。それらの行為をしている人はそこまで考えていないかもしれないけれど、その行為は結果的には自分の首をも絞めることになるのだ。
これを読む人の中には次のように思う人もあるだろう。「確かにバイトテロは日本を壊滅させるかもしれないけど、自分はそういうことをしていないし、それに、そういうことをしているのはごく一部の人だけだ」と。この思考はもう一つのテロである。この思考とバイトテロたちの思考との間にどれほどの差があるだろうか。無関心は共通ではないだろうか。
そのような行為をする人は一部かもしれないけど、その一部の人たちが我々現代人を代表していると考えればどうなるだろうか。僕も無縁ではないのだ。同時代の人のする行為、同時代の人に起きる出来事はすべて現在の僕に無関係ではないのだ。
(付記)
生物の闘争に関して、同種内闘争と異種間闘争の話は、S・I・ハヤカワ著『思考と言語における行動』(岩波書店)に記載されているものである。印象的な話なので、引き合いに出させてもらった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)