<T010-22>夢の旅:第2期(2)
<夢6>「飲み会に誘われる夢」
<夢7>「車椅子で旅をする夢」
<夢8>「発明家と母の夢」
<夢9>「踏切をくぐる母の夢」
<夢10>「隣人と誕生日の夢」
<夢6>「飲み会に誘われる夢」
飲み友達だったY君と久しぶりに会う。彼は今月はお金を使いすぎて、もう百万円くらいつかってしまったと笑いながら話す。私はそれを聞いて、「ちょっと使いすぎだね」などと答えている。私たちはどこか堤防のような所を歩いていた。飲み会の会場へ向かっている最中だった。
飲み会の会場は、お店ではなく、普通の一軒家だった。その家の二階で宴会が行われているということだった。すでに始まっていて、部屋の中は賑やかだった。私は「僕はお酒をやめているから、ここで帰る」と言って、会場には入らなかった。すると、この家の女将さんらしき人が出てきて、私を気の毒に思ったのか、それならこれを持って帰りなさいと、手土産をくれた。私はお礼を言って、会場を後にする。
外に出ると、私はなぜか走った。坂道を下るような感じで、身体が自然に疾走する感じだった。風を切って走っているようで、私はとても爽快だった。
(連想と感想)
これまで使っていたパソコンが壊れてしまった。それは仕方がないとしても、中に入っていたデータがすべて開けられなくなってしまった。そこには未完成の原稿が二百ほどあったのだけど、すべてやり直しである。夢の記録も同様である。この夢は、後で思い出して書いたものであり、日付が欠けているのは、正確な日付が残されていないためである。
夢に登場してきたのはY君であるが、そのエピソード(百万円くらい使ってしまったという)は、私の女性友達のことである。彼女は車の事故やバイクの故障などが重なって、たいへんな出費になったと嘆いていた。それで総額が百万円くらいになったと語っていた。私は気づかなかったが、彼女とY君とは、私の中で確かに共通しているのである。二人とも、私が望んでも得られなかったものを、私が生きることのなかった生を有している。
飲み会の会場は賑やかだったが、私はその中へ入ることをしない。酒を止めているが、夢の中でも私は飲まなかった。それは喜ばしいことであるけれど、集団の中に入ることを拒否する私がここには見られる。
そういう私を女将さんが気にかけてくれている。この未知の女性はそういう慈悲深さがあったように思う。この女性との接触が、その後の爽快感へとつながっているように思う。
私は坂道を駆け下りる。これは転落するイメージではなかった。むしろスーッと自然に引き戻されていくような感覚であった。こういう女性像と接点がある限り、私はがむしゃらに上を目指さなくても許されるような感じを受ける。この女性は、「都市観光の夢」における、会計を握っている女性に通じる。あの夢では、私はこの女性と離れて、暴走する男性につき合ったために、階段を駆け上がらなくてはならなくなったからである。
Y君にしろ、女性友達にしろ、この二人は良く言えば自由なのであり、悪く言えば自分勝手なのである。どこか子供っぽさを人一倍残しているようなタイプである。私は彼らのようには生きられないということが分かっているし、彼らのようなタイプに憧れもある。彼らに惹かれてしまうのもそのためだと思う。彼らのように生きるとは、私にとっては衝動に任せるということになってしまう。彼らのようには上手くできないのを感じる。つまり、彼らのような生き方をしようと思えば、暴走する男性(「都市観光の夢」)のようにしかできないということだ。
この夢では、それを目指すのではなく、むしろ未知の女性である女将さん(あるいは「都市観光の夢」における会計女性)のような存在と接点を持っていなければならないことを示しているように思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<夢7>「車椅子で旅をする夢」
なぜか私は車椅子で走っている。景色からして、家の近所であることは分かった。私は帰ろうかとも思ったけど、もう少しどこか行ってみようという気になって、そのままぶらぶらする。
オフィスビルのような建物に入る。いくつも自動ドアを通過する。車椅子のブレーキが緩いのか、ブレーキをかけてもドアに衝突しそうになる。紙一重でドアが開く。衝突こそしないものの、何度も冷や冷やした。
地下のエレベーターホールのような場所にたどり着いた。時計を見ると、お昼前だったので、そろそろ会社員の人たちが殺到するだろうと考えた。私はここからは早く去った方がいいだろうと思って、その場を後にする。
(連想と感想)
足が悪いわけでもないのに、私は車椅子に乗っていた。それがなかなか快適だったのを覚えている。足に関しては、私の心配の一つである。若い頃に無理をしてきたのが祟ったのか、足はよく怪我をしたし、持病も抱えている。車椅子に関しては思い浮かぶものが少ない。クライアントで車椅子が怖いという人がいた。また、父が今後必要になるかもしれないからと言って、将来の自分用に車椅子を購入している。それくらいではなかろうか。
その父の車椅子に関して、私は不安になったことがある。私は母のために杖を購入したことがある。百円ショップで衝動買いしたものだが、いずれ母の足腰が弱くなったときには、こういうものが必要になるだろうと思って買ったものである。しかし、私の足が悪くなって、私は母のために買った杖を自分が使わなくてはならなくなった。まさか自分が使う羽目になるとは思ってもみなかったのである。その杖は私の面接室に置いてある。私の苦い経験の形見として飾ってある。私は母に買ってあげたつもりでいたが、どこかで母を年寄り扱いし、いわば上から目線でそういうことをしていなかっただろうかと反省するのである。
こういう経験があったから、父が車椅子を購入した時に、もしかしたら私がそれを使うようなことになるのではないかと不安を覚えたのである。
次に、夢では建物の中に入っている。ブレーキが緩いということは、その車椅子の整備がきちんとされていないということであり、私がまだそれをうまく乗りこなせていないということでもあるようだ。私の不安に対しての対処がそのようなものだったのかもしれない。
それでも自動ドアを紙一重で通り抜ける。ギリギリの所で、私はやりこなしているだけなのかもしれない。
その後、ちょうどお昼時だから人がたくさん降りてくるだろうということで、私はその場を去っている。集団を避けるという前回の夢でも見られた傾向がここにも見られる。しかし、避ける理由は前回よりもはっきりしている。つまり、人が大勢降りてくるのに、私のような車椅子の人間は彼らの邪魔になるということだ。つまり、夢がそのまま示してくれているように、私は集団の中で足手まといになってしまうことを恐れているのである。その恐れは、実際、私が子供の頃に特に強く感じていたものである。私が一人でいることを好んできたのも、私が全員にとって厄介者であると感じていたからである。この恐れはほとんど克服されていて、もちろん他の人たちの足を引っ張るようなことはしたくないが、自分をそれほど厄介者だとは感じなくなっている。夢は、昔よく経験した感情を思い出させてくれたように思う。
なぜ、この時期にそのようなテーマの夢を見るのかということも重要なことだ。今も、私は基本的に一人でいるのが好きである。その一人でいるということが、昔の体験を連想させるのであろう。一方、誰かの足を引っ張っていないか、厄介者になっているのではないかという心配を(以前していたように)、どこかでしてしまっているのかもしれない。そういう点にもう少し気づく必要がある。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<夢8>「発明家と母の夢」
暗い部屋で私はテレビを見ている。明かりといえばそのテレビ画面の光だけだった。チャンネルをいろいろ変えてみる。番組は違えど、放送している内容はすべて同じものだった。それはある発明家のことだった。彼は食物の食べられる部分と不要な部分をきれいに分割する器具を発明したのだ。それは大変便利なもので、世界中で愛用されているという。テレビでは、イギリスの風景が現れ、そこで彼の発明品が使用されていることを報じていた。そしてまた、ジャングルに住む未開民族の人たちまでもがそれを使っているという場面が流れた。
私が見ていると、部屋のドアがすっと開いた。入ってきたのは、何か得体の知れないものだった。暗かったのでそれが何なのか判断できなかったが、シルエットからすると人間のような動物のようなはっきりしないものだった。やがて、それが母だと分かる。母は私のために食事を運んでくれたのだった。
(連想と感想)
暗い部屋で一人でテレビを見ているというのは、どこか私の子供時代のイメージである。
テレビの中の発明家は、私の生きることがなかった私であったかもしれない。夢では、何か素晴らしい発明をし、世界中から注目されたとしても、それは所詮テレビの中の出来事であって、現実のものではないのだということを示しているようだ。現実の私はむしろ、一人でテレビを眺めて、そのテレビを通して外の世界とつながっているに過ぎない。自分の卑小さを思い知らされるような感じがする。
そこに母親が入ってくる。母の登場はこの夢では救いだった。私は最初、入ってきたのが何だったのか把握し損ねている。人間のような獣のような感じで、はっきりしない形の物だった。それは私に恐怖感を呼び覚ます。それが母だと分かることで安心している。不明瞭な対象に対して、恐れているだけでなく、よく見て、それが何なのか分かれば恐れは失せていくということだと思った。肝心なのはよく見るということか。
この母親は私のために食事を運んでくれている。母親の料理は、私が唯一経験できる母親の愛情だったという気がしている。母のことでイメージできるのはそれだけなのだ。夢の中の母親は、私がいかに孤立していても、愛情を注いでくれる人物として登場しているようだ。
テレビに登場する発明家のようになるのではなく(つまり、虚栄心や野心、肥大したなど自己愛を実現することではなく)、それは非現実のものであるということであり、愛情関係において、私はその非現実のものを克服しなければならないというように感じた。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<夢9>「踏切をくぐる母の夢」
電車に乗るところだったか降りたところだったのかは分からないが、私は母と一緒に駅の辺りを歩いている。踏切の遮断機が下りた。母がそれを潜り抜けて向こう側へ行こうとする。私は慌てて後を追う。つまり、私も遮断機をくぐって、母に追いつき、母を向こう側へ連れて行った。
(連想と感想)
再び母が夢に登場した。今回の母親は、「都市観光の夢」に登場した男性のような行動を取っている。以前の夢では私はいくら潜り抜けて、追いかけても、追いつくことができなかったが、今回は追いついている。母に追いついて、安全な場所(踏切の向こう側)まで導いている。私は自分の何かがコントロールできているような感じを覚えている。衝動を抑えることが比較的楽にできている。
今回、衝動的に飛び出して、私が後を追うのは母親である。母親は、前回の夢では、私に愛情を差し出してくれる人物として登場した。自分に対して愛情を示すということであるから、これはどこか「自己愛」の領域が関係しているのかもしれない。この夢では、自己愛が行き過ぎてしまわないようにという警告とも感じられた。一方で、母親と愛情ということが関係しているのであれば、飛び出す母親は行き過ぎる愛情ということにもなるかと思う。そして、この行き過ぎる愛情は、恐らく相手をダメにしてしまう類のものだと思う。従って、衝動だけでなく、愛情もまたコントロールされなければならないし、それをうまく導くことで、私たちは安全な領域に辿り着けるのかもしれない。
また、誰かが飛び出して、私がそれを追い、抑えるということは、私自身は常に抑制する側に立っているということだ。私を抑制してくれる対象が外部にはないということでもあるようだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
<夢10>「隣人と誕生日の夢」(6月21日)
隣人が部屋の畳を裏返していっている。彼は、時々このようにして畳の裏側や床下を確認し、きれいにしなければならないと言う。私が立っているすぐ脇の畳まで、彼は裏返していく。私は後にしてくれたらなと思った。
両親が出てきて、「うちもそれをしなければ」と言う。私は「悪いけど、それは手伝えない」と答えた。
その後、両親は、今度の私の誕生日にどこかへ連れて行ってやろうと言う。私は奈良のとあるお寺に行きたいと答えた。そこは交通が不便で行きにくく、なおかつ、珍しいものが奉納されているということで話題になっていた。
(連想と感想)
私の家族神話に関する夢であったかもしれない。
隣人は自分の家の畳や床下を外していって、普段見えない部分を確認して、きれいにしなければならないと言っている。それが私の立っているすぐ際まで来ているということは、私が早急にそれをする必要があるのだということを示しているように思う。つまり、それをする時期が来ているのだということである。
それに被さるように、親が「うちもそれをしなければ」と言う。私は「手伝えない」と言って、その作業から逃げようとしている。
場面が変わって、私の誕生日のことになる。私は奈良のとあるお寺に行きたいと言っている。そのお寺は若干特殊なのである。まず、不便で行きにくいということであり、その不便で行きにくい所に、珍しいもの(滅多に人目に触れないもの)が収められているということである。
床下にある物と奉納されている物との関連が気になった。どちらも普段は人目に触れないということで共通しているように思われる。床下にある物に対しては、私は見たくないと言っているのに対して、お寺に奉納されている物に対しては見たいと言っている。この違いは、私の誕生日であるということとそこがお寺であるということの違いにあるように思う。誕生日は私の生存、存在に関することであり、お寺というのは何か宗教的な感情なのかもしれない。隣人というのは、私のクライアントたちであるかもしれない。
つまり、クライアントたちがしている作業を、私はもう一度自分でしなければならないということではないだろうか。それを隣人のものとして眺めている限り、私はそれに取り掛かれないだろう。しかし、その作業が私の存在に関することであり、より宗教性を求められていることを知るなら、私はその作業に携わることができるのかもしれない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)