<T010-11>夢の旅(11)
(夢47)「かくれんぼで女性を見つける夢」
(夢48)「ホテルでサバイバルゲームをする夢」
(夢49)「障害のある子供と観光する夢」
1月25日(1月24日~25日)
(夢47)「かくれんぼで女性を見つける夢」
広いお寺の境内のような場所で、みんなでかくれんぼをする。境内の中は人で混雑している。隠れる人のグループと探す人のグループに分かれる。私は探す側のグループに入った。私たちは探し始める。私は、隠れるのに適した場所を探すのが一番いい、と考えて、寺の建物の床下を覗く。女性を一人見つける。見つけて、良かったと思った。
(連想と感想)
かくれんぼは小学校時代によくした遊びだ。隠れる方が好きで、時に絶妙な隠れ場所に身を潜めることもあった。そういう時は、うまく隠れたと自慢げに思う反面、誰も見つけてくれなかったらどうしようという心配もあった。誰も探しに来ない時は、取り残されたような不安に襲われるあまり、自分から姿を現してしまうこともあった。夢では探す側なのだけど、隠れている人を見つけて良かったと思ったのは、その人を取り残すようなことにならなくて良かったという感じである。
夢では、その隠れていた人というのは女性であった。しかも寺の軒下のような所に、うずくまるようにして隠れていた。暗くて狭い場所に、彼女は一人で隠れていたのだった。暗い場所(光が当てられない部分)とか軒下(普段見られることの少ない場所)というのは、どこか内面や心、無意識を連想する。私の内面、無意識に隠れている女性を発見しなければいけないということなのかもしれない。そうでなければ、その女性は取り残される不安に怯えるようになってしまう。
1月26日
明け方まで溜めこんでいた仕事をしており、ほとんど寝ず。従って、夢を見ず。
1月27日
(夢48)「ホテルでサバイバルゲームする夢」
サバイバルゲームのようなものに参加する。建物の地下で待機することにする。そうすれば下から敵が来ないと考えたからだ。そこはホテルのフロアのような場所だった。敵が降りてきたようだった。私は装備を整える。
(連想と感想)
前々回の夢では途中まで海に入っていって折り返し戻ってきた。その先に何があるか分からずに終わった。前回では、軒下を覗いて女性を発見した。今回は、地下にて敵を迎え撃とうとしている。向き合うだけの準備ができているということかもしれない。
場所はホテルのフロアのような感じで、昔、一人で旅行した時に泊ったビジネスホテルと同じような雰囲気があった。私にとって、それは初めての一人旅で、不安も大きかったけど、自分で計画を立て、ちょっとしたアクシデントにも一人で対処しなければならなかった。ホテルに泊って、その一日を振り返ると、けっこう自分一人でもやれているなという実感があって、とても自分が頼りがいのある人間のように感じたのを覚えている。そういう自信や充実感を獲得した場所でもある。
夢では、そこで敵を迎え撃つことになっている。敵と向かい合うためには、その時の自身や充実感を取り戻すことが必要なのだということかもしれない。
1月28日
夢を見ず。見たかもしれないが、朝起きるとものすごく胸やけがして、気分が悪かったので、夢を振り返るどころではなかった。
昨夜は、仕事を終えて人と会ったのだけど、少しお酒も飲んでしまった。二日酔いではない。何か良くないものを食べてしまったのかもしれない。
1月29日
やはり夢を見ず。夢48で敵を迎え撃とうというところまで、会いたくないもの、見たくないものと向き合おうとしているところで、夢がぱったりと途絶えてしまった。
1月30日
(夢49)「障害のある子供と観光する夢」
数人のメンバーで旅行に行く。私はどういうわけか一人の障害児を受け持つことになった。その子は軽い知的障害のある子供で、足も悪いようだった。その子を自転車の後ろに乗せて、あちらこちらと巡る。雨が降った時のために傘を用意しておこうと思って、傘を選ぶ。大きさを比べて、二人分だから少しでも大きい方がいいと考えた。
(連想と感想)
旅行がテーマの夢で、一応グループで行くのだが、障害児の面倒をみることになり、基本的にその子と二人で観光している。足が悪いということで、私自身と共通している。私の悪い部分、不健康な部分の人格化された存在なのかもしれない。しかし、夢の中では、私はこの子の面倒をけっこうこまめにみている。この子のことを疎ましくも思っていないし、一緒に居ようとしている。
傘というのは、以外と厄介な物で、夢辞典などでは必ずのように、傘はペニスを象徴すると書かれている。そのように捉えれば、この夢は私の性に関する問題や困難を表現しているということになるだろうし、そのように読むことも実際には可能である。ただ、この夢については、そういう性的な色彩を帯びているという感じはなかった。
夢では二人で一つの傘を使うつもりでいる。従って、傘は、この子と共有される領域を示すものである。傘の下は守られた領域になるわけであり、その領域はこの子と共有されることになる。私とこの子をつなぐアイテムのようになっている。
あと、私は大学生の頃に、知的障害者の作業所でボランティアを少しだけしたことがある。その当時、作業所のメンバー、職員、ボランティアでの旅行に参加したことがある。思い返すと、あれ以来、グループで旅行に行くということを経験していない。この夢は、どこかその時の旅行を連想させる。
1月31日
なんとなく夢を見た覚えがあるがはっきりしない。昨夕は、仕事の後、知り合いと一緒にお酒を飲んだ。そのためかかなり深く熟睡したという感じがある。夢の中でもお酒を飲んでいたように思うのだが、はっきりしない。
<11週目を終えて>
先週は、少々きつい夢が続いたのだが、夢47で女性を発見してから、何か前回までの夢に一段落ついたような感じがした。隠れていた人を見出したわけであり、見捨てなかったわけである。また、夢48ではゲームとはいえ、敵を迎える準備ができている。夢49では、障害のある子供を抱えることさえできている。何となくではあるが、強さのようなものを取り戻していってるような感覚を覚える。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)