<T010-01>夢の旅(1)
(夢1)「霧の中を道に迷う夢」
(夢2)「会場準備の夢」
(夢3)「地下機械室で働く夢」
(夢4)「海軍士官と会う夢」
11月15日(14~15日)
(夢1)「霧の中を道に迷う夢」
私は友人の営む飲食店に食事に出かける。みんなと一緒に食事する。その後で、どういうわけか、私も友人と一緒に働いている。
電車に乗って帰るところ(もしくは行くところだったかもしれない)。車両の扉が開かない。その電車は乗客がボタンを押さないと、扉が開かないという造りになっていた。私はそれを知らなかった。ボタンを押して、扉を開ける。私の後ろには、電車を降りようとする人たちが列を作っていた。私のせいでみんなが降りられないでいたということに気づいて、恥ずかしいように感じた。
町中を歩いている。しだいに、どこを歩いているのか分からなくなる。見知らぬ人の家に上がる。彼らは私に親切に接してくれる。その親切がたまらなく嬉しかった。
再び、歩きはじめる。私は家に帰ろうとしていたのだった。相変わらずどこを歩いているのか分からない。少し小高い丘に上がる。自分の居場所がわかるかと考えたからだ。見晴らしのいい場所に出る。すぐ近くに小倉山が見える。そうすると、その向こうに見える大きな山は愛宕山だと判断できた。昔、よく登った山だ。しかし、その二つの山は、大きな植物で覆われており、私は怖いような思いに襲われた。
自分が大体どの辺りに居るのかという目安がついたので、私は丘を降りはじめる。濃霧が発生し始め、周りは真白になった。私の足元も見えないほどだった。慎重に歩く。左足をぬかるみに突っ込んでしまう。引き上げようとするけれど、なかなか上がらない。両手で左足を引っ張り上げた。くるぶしの辺りまで泥に浸かっていた。その私の傍では、地中に潜ろうとしていた蛇が、途中まで潜って息絶えていた。尻尾だけが地面から出ている。地面が相当に固いのだなと考えた。
心細い思いを抱えて、私は再び歩き始めた。道はやがて、舗装道路に変わる。霧は相変わらず濃い。近所の見慣れた風景が見えてきた。両親をはじめ、家族が迎えに来てくれた。私が帰らないので心配していたようだ。
(連想と感想)
私は友人や知人と有意義な時間を過ごした後、深い孤独感に襲われることがある。この夢を見た前日は、数人のクライアントと面接し、彼らは私に深い印象を残していた。その上、夜は少しお酒を飲みに出歩いて、そこで顔見知りの人たちとも会話を楽しんだ。最初の楽しい雰囲気はそこから来ているのかもしれない。その後に感じる孤独感を夢が先取りして示してくれたのかもしれない。
電車のエピソードは、昔、京都の亀岡で実際に経験したことと似ている。電車が駅で停まっているのだけど、扉が閉まっている。乗ってはいけないのかと思った。実際は、扉の横のボタンを押して、自分で開閉するのだった。夢では、私がそれを知らなかったために、多くの人が降りられないでいた。自分の無知で人に迷惑をかけるのではないかというのは、私が日頃抱える心配の一つである。また、亀岡のある山に一人で登山した時に、深い霧に囲まれて、心細い思いで下山したことがある。夢の中における、濃霧の中で歩くという体験は、その時のことを思い出させる。
自分の居場所が分からないという感覚。何かに行き詰ったり、苦悩している時には、私はよくこういうテーマの夢を見る。どこに自分が居るのかを知ろうとして、一人で試みるところも私の一面を表しているように思われた。
小倉山から愛宕山へは、昔よく登ったものだった。夢の中で、私は嵐山から嵯峨方面を向いているというのが分かった。しかし、夢の中では、毎月のように登っていた山は、すっかり様変わりしてしまい、ジャングルのようだった。以前、馴染んでいたものが、失われ、変わっていくというような儚さを覚えた。
ぬかるみに足をとられる。左足は、私の悪い方の足である。また、左足が悪くなるのかと心配になった。あるいは、左足にもっと注意して、大切にしなさいということかもしれない。蛇が死んでいたのが印象的だった。冬眠に入ろうとしていたのだろうか。地面がものすごく固く、途中まで潜って、力尽きたのだろうと思った。蛇は怖いのだけど、夢の中の蛇は怖く感じなかった。余裕があれば、土に埋めてあげたいと思う。
丘から、町に戻る。家族が迎えに来てくれる。私は「旅」をテーマとする夢をよく見るのだが、迎えにこられたのは今回が初めてではないだろうか。私が天涯孤独になっても、家族は迎えに来てくれるという、変な安心感みたいなものを感じた。
濃霧のため、周りはおろか、自分の足元さえも見えない状況であるが、地面のしっかりした感覚があることは、救いだと思った。道に迷っても、足元をしっかり見ていれば大丈夫だろう。
11月16、17日
二日間、不眠症になる。あまり眠っていない。夢も、何か見たような感じはあるが、記憶に残っていない。(夢1)のような詳細まで覚えている夢を見た後は、反動であまり夢を見ない日が続く。
11月18日(17日~18日)
(夢2)「会場準備の夢」
何かの会場のような所。私と二人の女性が働いている。催しの準備みたいだ。
基本的に自分に割り当てられた仕事を各々がこなしている。何かあった時だけ、お互いに相談しあったり助け合ったりする。私はこの仕事がもう終わりに近づいているということをなんとなく意識している。いいメンバーだという感じが残っている。お互いに邪魔し合わず、困った時は助け合えるという感じで、仕事がやりやすかった。
(連想と感想)
契約社員のように、期限付きで仕事をしている感じだった。それが終わりに近づいている。
男性は私一人で、二人の女性が一つの場所で働いている。女性性を今以上に働かせなければならないということか。もしくは男性性が足りないということか。いずれにしろ、男性と女性の比率、バランスの悪さを思わせる。
前回の(夢1)は、一人でいる場面が多かったが、今回は、一つの室内に三人でいる。基本的に私は一人で仕事をしているのだけど、他者の存在が少しずつではあるが、入ってきているのかもしれない。
仕事が終わりに近づいているという感覚は、ちょうど、面接で終了時間が近づいている時に感じる感覚と同じようなもの。少し、寂しいような気分を経験する。
どのような催し物がなされるのであろうか。何か公演のようなものという感じだった。裏方の仕事をしている。表立った仕事ではない。どこか、仕事をしている時の私の存在の在り方を表しているようでもある。
11月19日(18日~19日)
(夢3)「地下機械室で働く夢」
建物の地下にある機械室のような場所で働いている。狭い一室に大勢の男たちが働いている。色様々な作業服姿の作業員たちが、忙しなく働いている。私もその中の一人。荷物を運んだり、機器を清掃したりしている。作業員どうしがぶつかりあう。場所を譲り合いながら、私は自分の割り当てられた作業をする。
(連想と感想)
地下の機械室のような場所。父がそういう場所(電気室だったが)で仕事をしていて、父の手伝いで電気設備の点検のアルバイトをしていた。今でも定期的に声がかかり、呼ばれると行くようにしている。普段の生活ではなかなか目にすることができない世界だけに、いろんな発見もある。かれこれ20年近くやっている。そして、そのアルバイトに行く前には、こういう感じの夢を見ることが多い。実際、数日後にそれを控えている。アルバイトの方に注意を向けようとしているのかもしれない。
(夢2)とは対照的に、今回は男性ばかりの現場である。女性は一人も出てこない。ただ、今回もどちらかと言えば裏方の仕事に相当する。
地下とか裏方というのは、無意識を連想する。無意識の活動が、今は活発なのかもしれない。それも、今回は男性の要素が活発に働き始めているのかもしれない。
他の作業員たちと衝突しないように注意している。また、自分に割り当てられた仕事を忠実にこなしている私がいる。トラブルもなく、スムーズに作業が進んでいるという感じだ。このままの状態が続けば、順調に作業は終了するだろう。
(夢1)が、基本的に独りだったのに対し、徐々に夢に登場する人物の数が増えている。今回は大勢だったが、それほど混雑感はなかった。作業員が往来する度に、通路を空けなければならなかったが、それほど苦でもなかった。流れがスムーズである。
機械からは、自動的に動くものというイメージがある。その機械を手入れしているわけである。習慣のように、自動的にやってしまっていることに対して、もう一度、点検してみる必要があるということか。
11月20日(19日~20日)
(夢4)「海軍士官と会う夢」
「知人と二人でテレビの映画を観ている。この知人は男性で、私と同じくらいの年齢だが、特定の誰かというわけではない。そして、映画を観ていながら、いつの間にか、私自身が映画の中に入っている。
映画の舞台は大型の船で、遭難船や難破船の救助に向かう船だった。船員は女性もいれば男性もいる。今、女性従業員たちがストライキを起こしている。彼女たちは、勤務が過酷であることを、男性従業員のグループに訴えている。
私は、どういうわけか、女性グループの代表として、男性グループの代表と面会しなければならなくなった。男性側の代表は、私よりも年配の男性で、軍服に身を包んだ、厳格な海軍士官といった人物だった。私は、彼女たちの言い分を伝えたが、彼はまったく耳を傾けようとしない。私は、彼女たちの所へ戻って、話し合いは無意味だったことを伝えた。
そうこうするうちに、一部の女性グループが船内でクーデターを起こし始めた。男性陣と激しく戦闘し始めたのである。私と、戦闘に参加しなかった女性陣とで、船を捨て、脱出した。
私たちは近くの島に漂着した。着いた途端に、近くの海域で船が転覆し、乗船していた
子供たちが漂流しているという報告が入った。彼女たちはすぐさま海に飛び込んで、救助に向かった。
私は、再び観客に戻っている。彼女たちが泳いで子供たちを助ける場面を、上空から観ている。空撮された場面である。エンド・ロールが流れて、映画か終わる。
一緒に観ていた知人が、「テレビだとCMが入ってつまらないね」と言う、私は「そうやな。CM のせいで、一気に現実に戻される感じがあるな」と答えた。
(連想と感想)
ユングによれば劇場は(映画もそうであるが)、個人のコンプレックスが演じられる場所であるそうだ。この映画も、私のコンプレックスが演じられていると捉えてもいいのだろう。
(夢2)では女性のみ、(夢3)では男性のみが現れているが、今回は両者が争い合っている。この男性、女性というのは、特定の誰かを指しているわけでなく、集合的で、むしろ、私の中の男性性と女性性というように私は捉えている。その両者が戦闘を開始したのである。私は、それに参加せず、残った女性陣たちと一緒に逃げている。逃げた一団は、間髪を入れずに、子供を救助するという任務に向かっている。私自身は、この両者の争いから身を引いてしまっているのかもしれない。カウンセリングで人を援助しようとしていることで、自分の中の葛藤から目を背けようとしているのかもしれない。
男性陣の代表は、厳格な海軍士官である。私の中では、ある種の父親イメージを連想する。また、海や船というのは、女性を象徴するとも言われるが、私もそれは同感である。
その父親イメージに対する私の態度というのは、なんとも頼りないものであった。私は彼女たちの言い分だけを伝えて、自分の意見や考えといったものは何一つ主張していない。私のこれまでの生き方を見せつけられるようだった。
女性陣の一部は、私の対応に憤って、クーデターを起こしている。女性陣はここで分裂してしまう。半分は戦い、半分は逃げている。逃げた方が人を助けに向かっているわけである。私の中の戦いを避ける女性性が援助しているだけなのかもしれない。男性も女性も、メンバーはもっとたくさんいるはずなのに、彼らは闘う(葛藤する)ことに動員されて、援助に向けられる人員が限られてしまっているのだ。もし、彼らがこのような争いに従事しなかったなら、もっと多くの援助が与えられただろう。これは私自身の問題なのだ。
一緒に鑑賞していた知人に関しては、特定の人物を示すようなものは何もない。男性であることと、夢の中では、けっこう仲の良い知人として登場していた。最後で交わされる、彼との会話も、私には重要である。私と彼とは、映画を観ていながら、映画の方ではなく、間に挿入されるコマーシャルについて話し合っている。どこか、大切な部分を話し合っていないという印象を受ける。私が、友人とお喋りする時も、案外、こういう傾向があるなと気づいた。お互いに大事なことは言い合わないのである。どうでもいいような、周辺的な事柄だけを喋りあって、その場をやり過ごしていることが多いのかもしれない。これもまた、目を背けようとしていることになるのかもしれない。いずれにしろ、この知人は私のコンプレックスには参加していない。
11月21日(20~21日)
夢を見ず。何か見たというような感覚もない。
私の場合、(夢1)の後のように、詳細な夢を見た次の日は夢を見ないことが多い。今回もそのように捉えることができる。また、前日の(夢4)が、私のコンプレックスに触れるものであったために、私の心が、それから距離を取ろうとしたのかもしれない。コンプレックスに常に直面することは、精神的に苦しくなるので、心はその防衛のために距離を取ることがある。
<1週目を終えて>
これまでも夢の記録を付けていたけれど、こういう形で人が読むかもしれないとなると、夢の詳細まで見るようになった感じがする。
夢と関連があるかどうかは定かではないが、今週は比較的落ち着くことができた。仕事も日常生活でも、どこか落ち着きが戻ってきた感じがある。
夢については、その夢の意味を考えるよりかは、夢の流れを追う方が大切であると、私は考えている。これから先、私の夢がどんな風に流れていくのだろう。それは、当然、私にも分からない。分からないだけに怖さもあるが、反面、分からないからこそ面白いという気持ちもある。今後とも、どういう旅が展開されるか楽しみである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)