<T008-05>挨拶集(1) 

 

 本ページのコンテンツ 

1>平成23年11月の挨拶 

2>平成23年12月の挨拶 

<3>平成24年1月の挨拶 

<4>平成24年2月の挨拶 

5>平成24年2月の挨拶 

 

 

1>平成23年11月の挨拶 

 11月に入り、温かい日もあれば肌寒い日もありで、なかなか環境に適応するのが難しいと感じておられる方もいらっしゃるのではないかと思います。季節の変わり目は不調を来しやすい人も多いのではないでしょうか。私もそうであります。この時期は心身の調子を崩しやすいのであります。 

「履霜堅氷至」(霜を履(ふ)みて堅氷至る)という言葉に遭遇しました。これは霜を踏む季節になれば、やがて固い氷が張る時期が到来することを予想すべきであるという意味であります(『易経』上巻p101 岩波文庫)。今の時期、もしくは間もなく訪れる時期に相応しい言葉ではないかと私は思います。 

 少しの不調は、いずれ訪れる大病の兆しかもしれないと捉え、早めに対処することが望ましいと私は捉えております。日々の調子に注意して、変化を過小評価してしまわないようにお互い心掛けたいものですね。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

2>平成23年12月の挨拶 

 今年もあと残すところ一月となりました。今年は厳しい一年だったと実感されている方がたくさんいらっしゃるだろうと察します。私も厳しかったのであります。ただ、厳しかった分、鍛えられたところもあったというように私は体験しておりますが、これをお読みのあなたはいかがでしたでしょうか。 

 今年もまた、多くの人が不幸を体験されたことでしょう。「この不幸をバネにして頑張ろう」と言うのは、不幸から目を背けている人の言葉だと私は考えております。生きている限り、不幸や苦悩は絶えないものだと私は思います。望まなくとも、そういうことを人間は体験してしまうものなのだと思うのです。 

 私が毎日お会いするクライアントは、一人として幸福な人はいないのです。不幸であるが故にカウンセリングを求め、援助を必要としているのです。しかし、私自身の経験からも、私がお会いしたクライアントからも、またその他のいろんな人の生涯からも、不幸な経験がその人の何かを変えることがあるということを、私は教えられております。私はいつもそこに不幸を体験している人に希望を見るような思いがしております。 

 自分でもどうすることもできない状況を、哲学者のヤスパースは「限界状況」と呼んでいます。その限界状況において、人は挫折を経験するのです。ヤスパースは述べております。「人間が自己の挫折をどのように経験するかということが、その人間がいかなるものとなるかということを立証するのであります」(『哲学入門』カール・ヤスパース著 新潮文庫 第2講 p28) 

 私もまた、こうした言葉を支えにしながらも、あと一か月生き抜いて、今年を無事に締めくくることができるように努めるしだいであります。また、今後とも多くのクライアントと出会うことができ、同じく苦悩や挫折を経験する一人間として、模索しながらも、力になれることができるように努めたいと思っております。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

<3>平成24年1月の挨拶 

 新年、おめでとうございます。 

 新しい年を迎えて、皆さんはこの一年をどのような一年にしたいとお考えでしょうか。私の今年の目標は、今年もまた一つ年を取るということであります。去年よりも、何かで成熟しているということであります。 

 厳しい冬を迎えるロシアでは、長い冬休みがあるそうで、その冬休み明けに、「うつ病」や「出社拒否」が増えるというのを、何かで読んだことがあります。頷ける話であります。 

 日本でも年末年始は大きなイベントであります。イベントの後というのが、実はとても怖いものなのであります。人が心理的に不調を来すのは、イベント前ではなく、イベントが終わってからの方が一般的なのであります。つまり、祭りごとの後の方が調子を崩しやすいということであります。だから、お互いに調子を崩さずに、一月を乗り越えたいものですね。 

 私のところでは、毎年、一月から二月にかけて、新規のクライアントが増える傾向があるのです。やはり、この時期に調子を崩してしまう人が多いのだろうと思います。不調を感じられたら、速やかに援助を求めるべきだと私は考えております。私もその力になれればと願っています。 

良くないことは、その不調を過小評価し過ぎてしまうことです。最初のちょっとした兆しが、放置されてしまい、後々まで尾を引くというような例もたくさんありますので、早めに対策を立てられることをお勧めします。 

 さて、年の変わり目には「時間」を意識する人も多いのではないかと思います。「河は同じでも、その中に入って行く者には、後から後から違った水が流れてくる」(『ヘラクレイトスの言葉』 田中美知太郎訳 弘文堂)という、私の好きな文句がありますが、時間の中に生きる私たちには常に違った時間が流れ、新しい時間に私たちは直面しているのであります。生きられる時間を大切にして、お互いによりよい生を築いていくことができれば 

いいですね。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

<4>平成24年2月の挨拶 

 最近、ある男性クライアントが「損な人生を送っていたな」としみじみと語られて、私は深く共感しました。これはたいへん大きな洞察であると私は思います。 

  「心の病」とか「心の問題」を抱えることは、人生の多くの面で損をするものであります。クライアントは当然「問題」を抱えて来られるのでありますが、彼らの話を伺っていると、過去に於いて、その「問題」に取り組む絶好の機会があったということが分かるのであります。私もそのような経験をしましたし、ほとんどすべてのクライアントにそれが確認できるのであります。 

 冒頭に挙げた男性クライアントには、今から10年くらい前に、それに取り組む絶好の機会が訪れていました。もしその時に彼がその「問題」に取り組んでいれば、今頃、彼は違った人生を歩んでいただろうにと思うのであります。それを先送りしたがために、彼は10年間それを抱えなければならなかったのであります。 

 今になって彼はそれに取り組んでいるのですが、どうやらいい方向に向かう兆しが見え始めております。この10年間に多くの損失を彼は体験したのですが、それでも今取り組むことで、次の10年はもっと違ったものに、より望ましいものになっていくことでしょう。 

 これをお読みのあなたは、人生で損をしていませんか。それとも、自分自身に取り組む絶好の機会が未だ訪れていないのでしょうか。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

5>平成24年2月の挨拶 

 私は自分の一生を全うすることだけを望んでいます。人が自分の一生を生ききることほど価値のある仕事はないと捉えております。 

 一生を全うするとは、私の中にあるより真実なものに触れていくことであり、その真実を少しでも実現化していくことであります。 

また、この一生の中で、私は一人でも多くの人と出会いたいと願い、その人たちの力になり、またお互いに助け合い、共に生きていくことを望んでいます。それ以外に欲しいものは何もないのであります。 

 

 人が生き辛いと感じるのは、その人がどこかでその人の真実の生き方をしていないからであります。 

 私はどの人も内面に真実なものを有していると考えています。しかし、多くの人は、今の自分が真実の自分を生きているのか、周囲から期待された自分を生きているのか、そういう区別がつかないまま生きて、苦しんでいるのだと私は思うのです。カウンセリングに訪れるクライアントたちもそうなのであります。 

 真実なものを有していながら、それが何一つ実現されていないのを発見する時、クライアントは自分のこれまでの生き方が間違っていたということを知るのです。これを知ることは苦しい体験です。そこで絶望してしまう人や以前の生き方に戻ってしまう人もあります。私はそのような人たちを非難するつもりはありません。自分の真実に従うことよりも、周囲の誰かの望む生き方をする方が、はるかに安全であり、安楽でもあるからです。自分の真実を知っていこうとする人や、真実のものをより良くしていこうとする人は、こういう苦しみは避けられないものであります。そして、苦悩から始めなければならないのであります。 

「病者が自分をとりもどすには、そのまえに自分の地獄を通り抜けなければならない」(『臨床精神療法』ガエターノ・ベネデッティ著 小久保享郎・石福恒雄訳 みすず書房 p199より)。「悪いことから始めなければならないのは当然なのに、それをしようとする人はほとんどいない」(『パトゾフィー』ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼガー著 木村敏訳 みすず書房 p17より)。こういった言葉は事実であると、私は特にそう思うようになりました。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

  

 

 

 

 

 

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