<T025-18>文献の中のクライアントたち(18) 

 

 クルト・シュナイダーによる精神病質10類型は、現在では人格障害概念に組み込まれて、過去のものとなってしまっているが、これを性格類型として見るとそれなりに有意義であるかもしれないと僕は思っている。 

 ただ、シュナイダーは各類型の説明はしているものの、具体的な事例として提示してくれていないので、なかなか使い勝手が悪い。今回、その10類型に基づいたケースを提示してくれている論文からケースのみを抜き出すことにした。 

 テキストは、『異常心理学講座』(みすず書房)の1956年版より、「性格異常」(懸田克躬、菅又淳) 

 

 本項収録クライアント以下の通り。 

cl79)K・T 男 発揚情性型 

cl80)K・Y 男 発揚情性型 

cl81)T・H 68歳 女 狂信型 

 

 

 (cl79)K・T 男性 明治11年生まれ 

 箪笥業の家に生まれ、間もなく農家に養子に行った。学校には行かず、遊び歩き、10歳ころより勝負事を好むようになった。不就学のまま成育し、12歳ころから家庭窃盗をはじめた。15歳で家の大金を盗んで家出をし、上京する。博徒の親分のところで世話になっているうちに犯罪生活に入るようになった。 

 その犯罪歴は以下。 

 1・17歳、窃盗。1か月半の重禁錮 

 2・17歳、監視違反。11日の重禁錮 

 3・19歳、詐欺。6か月の重禁錮 

 4・21歳、窃盗。8か月の重禁錮 

 5・22歳、強盗。4年の重禁錮 

 6・26歳、強盗未遂。5年の重禁錮 

 7・32歳、強盗。懲役18年。減刑により10年11か月。 

 8・44歳、強盗窃盗。懲役20年。 

 9・66歳、殺人。懲役6年。減刑により4年9か月 

 10・70歳、窃盗。懲役1年 

 11・71歳、窃盗未遂。懲役1年 

 12・72歳、窃盗、強盗。懲役5年。減刑により3年4か月 

 13・76歳、窃盗。懲役8か月 

 以上、生涯のほとんどを刑務所で過ごしている。出所しても次の犯罪まで1年と社会生活をしていないことが大部分であり、その間も賭博で暮らしているばかりだとうそぶる。 

 thの会った感じでは、全く多弁であり、朗らか、元気がよく、自信が強い。言うことがみな大きなことばかりで、口から出まかせでほとんど信用できるものはない。虚言というよりは誇大妄想に近い。例えば、自分の生まれは明治3年で現在107歳であると言って譲らず、「あと10年は大丈夫です。死んだら解剖してください。なんなら死ぬ前に殺してくれてもいいです。どうせもう女には用はないから」などと言う。 

 前科を聞くと、「みな殺人のはずですよ。書類にそうなっていないのは、いいかげんに書いてあるんです。無期があるはずです。少なくとも6人は殺している」 

 「外へ出れば、親分のところにいけば遊んでも食っていけます。どこでもおじさんよく来たねと言われます。みなを助けるために人殺しして入っているんですから」 

 「私の生涯を取り扱った私小説が小石川のS社から出るはずです。『明治小僧』という題です。国定忠治よりも面白いです。人を助けたり殺したり。私はこれで10万円もらうことになっております。3月14日に出るから、出たらもらいに行こうと思います」 

 以上のような誇大妄想的なことを喋りまくる。すべて事実ではないと思われる。 

 進行麻痺を思わせる所見は無し。躁病との区別が大切であるが、経歴から見ると、生来性の発揚情性の精神病質とみるべきである。この例では、定職に就かず、持続的累犯者であり、軽佻者の型をとるが、殺人等の暴力犯もあり好争者の型も持っている。虚言性が高度であるが、犯罪に虚言性のものはなく(つまり詐欺等の犯罪がなく)、典型的な欺瞞者には属しない。爆発性や情性欠如型の精神病質も混合しているが、発揚情性の顕著な性格である。 

 (このケースは、発揚情性型がメインで、爆発型と情性欠如型が混交しているということになる。シュナイダーの類型の難点がここにある。その型の純粋型が見られず、常に他の型が混じり合っているのである) 

 

 

 (cl80)K・Y 男 

 父親は朗らかで大酒家だった。母は三度変わった。中学2年でカンニングで停学、同時に退学した。幼児よりおしゃれ、気が強くケンカをよくやり、盗癖もあった。19歳ころから不良化し、家出、不良集団に仲間入り、銀座や新橋で強請りをやり、警察拘留が8回、一人で押し入った事件もある。 

 以後の犯歴は以下の通り。 

 1・初犯。23歳。押込み窃盗、および詐欺。懲役1年 

 2・24歳。詐欺。懲役10か月。 

 3・25歳。詐欺。懲役1年。 

 4・27歳。詐欺。懲役1年8か月。 

 各々の詐欺の手口 

 1・周旋屋に行き、家屋や土地を買うと言って信用させ、自転車を騙し取ったもの3件。 

 2・蒲団屋に行き、自分が一か月前に結婚した時に友人にお祝いに布団をもらった。今度彼が結婚したので布団を一揃い作ってあげたいと事実無根の話をして布団を届けさせ騙し取った。また、家具屋へ行き、自分は川口の鋳物工場の息子だ、今度大宮市の元厚生大臣の邸宅を65万円で買うことになっている。また妻帯するので箪笥が必要である。同邸宅まで運んでくれと言って、搬送させ、騙し取った。 

 3・布団屋にて2同様の手口。 

 4・水道屋へ工事を依頼しに来たと言って訪れ、そこで電話を借り、酒屋へ電話し、「会社で新築祝いの宴会があるから、ここへ特級酒10本届けてくれ」と注文して届けさせ、代金は宴会場で払うと言ってその使いを連れ出し、その隙に共犯者に酒を持って逃げさせた。また「自分は米国為替信用組合調査課ヘンリーの使いだが、新聞広告に出ているピアノを15万円で買い受けにきました。東京ビルの奥さんの所で現金引換えにします」といって同所まで運搬させてだまし取った。さらに、布団屋にて同様の手口の詐欺が8件ある。 

 以上の犯罪はすべて出所後4か月で再犯しており、持続型累犯で詐欺の早発犯である。 

 名の付く職業にはほとんど就いたことはない。虚言、特に誇大的なホラ話風のウソが多い。海軍少尉になったというが、一等下士までしか知らない。父がソ連大使館のマネージャーだったというが当てにはならない。刑務所に入ってまでウソの手紙を出している。ダンスが大好きで銀座のホールには大抵行っていると言う。女も数人と同棲したという。 

 社交性に富んでいて、浪費的である。金が足りなくなれば犯罪でも受けますと平気で言う。母親は「性質は悪くありませんが、何しろ見栄坊で、虚栄心が高くてたまりません」と言っている。 

 面接ではよく喋り、よく笑い、話し上手で口達者である。朗らかな感情に満ち溢れている。しかし、その言うことは当てにならない。言うことはみなウソと言ってよいほどの虚言者である。出まかせでいい加減なことを無責任に言うし、恥ずかしいとも思わない。 

 「会社員になったなどと言っても、いつも名目だけで三か月と居たことはありません。一か月くらいで人に使われるのがイヤになり、金が来ないうちは出ない。そのうちクビになります。金がなければ、家に行くと子供たちが居るから食うには困りません」 

 「今まで金の入る仕事はしたことがありません。みな犯罪で儲けて遊んでいるだけです。家におれば食ってゆけるからです」 

 これらの言葉はまったく真面目さがない。 

 虚言は自己宣伝的、誇大の虚言であり、真の意味の顕示欲というより発揚情性である。 

 顕示型の虚言は、一見して分かるようなホラは吹かず、もっと自然で誰でも騙されてしまうようなものである。あからさまな虚言は発揚情性のものである。 

 彼は「みな計画的にやります。ウソを本当と思ったことはありません」と言っているように、意識的な虚言であり、一定の功利的な目的をもって行っており、欺瞞ということができる。しかし、虚言の目的から見てやや不必要な程度のものが散見され、それに自己宣伝的、誇張的な虚言である。この点、自己過信性空想虚言の混入が見られる。 

 

 (発揚情性型に分類されている。虚言は、顕示欲型と発揚情性型とでは性質が異なるわけだ。発揚情性の虚言は、とかく大げさでそれがウソと丸わかりなものである。自分を大きく見せようとかいった意図ではなく、躁的な気分が大風呂敷を広げさせるのだろう) 

 

 

 (cl81)T・H 68歳 女 

 材木商の末子として生まれた。小学校及び裁縫科を卒業した。 

 28歳で結婚して一女を生んだが、間もなく離婚。 

 32歳で二度目の結婚をしたが、これも間もなく離婚。 

 以後、家政婦をやったり、清掃業をやったり、会社に勤務したり、寮母などをやりながら生活している。その間にいろいろな職業や運動に手を付けているらしい。 

 本人によれば、「ハルピンで家政研究会を主催し、日本精神、日本婦道の振興につとめ、白鳳会となづけた」とか、「58歳ころ、泰安幕(天皇の写真を泰安するところにかける幕のこと)の頒布を営み、筑紫会と名づけた。また両陛下の写真の頒布にもあたった」などと言っている。 

 昭和22年頃、クライアント62歳の時、娘A子が恋愛結婚をし、娘夫婦と同居することになった。 

 65歳の時、土地の問題で争い、民事訴訟を起こしている。 

 その間、娘夫婦と折り合いが悪く、常に虐待されていると言って争っていたが、66歳で争いの後、家出して睡眠薬による自殺企図を起こしている。問題の土地で倒れていた。 

 67歳の時、前記の民事裁判にて、判事が自分の思うようにしてくれないとして、裁判所の廊下でその判事に短刀をつきつけ脅迫したため、暴力行為等処罰に関する法律違反として拘留された。 

 拘置所に収容中は、歯痛、眼痛、胃痛等の訴えで診断治療をよく要求した。秩父宮が死んだと聞いたときは大きなショックを受けたから健康診断をしてくれと申し出た。また、別の時は、診断の医師に「先生、目が腫れているでしょう。金森徳次郎閣下がおかくれになったことを大声あげて泣いていたからです」と言った。同房の者にウソをつかれたと言う。 

 116日拘留されていたが、その間に85通の手紙を出し、受信は18通だった。一年の刑、三年の執行猶予が言い渡されたが、直ちに控訴している。 

 娘夫婦との紛争に関しては、数度にわたり家庭裁判所に調停を申し立てている。昭和25年9月・扶養調停申立て(調停成立)、昭和27年6月・さらに扶養調停事件申立て(成立)、同11月・調停条項履行調停事件申立て(不調)、昭和28年・さらに親属間の紛争調停事件申立て。その他、昭和26年6月には人権擁護局へ虐待の申立て、昭和27年11月に尊属脅迫強要遺棄事件として告訴している。 

 その他、本人から聴いたところでは、過去において、両陛下の写真の頒布を企てていた時、宮内省からの写真を印刷屋が取ってしまい、不履行となり、「天皇」という本を出しての筑紫会の発表会が開けなくなり、10万円の損害賠償をとったことがある。 

 昭和17年に娘A子が不良に驚かされて精神異常を来たしたことがあるが、信用防御ならびに傷害教唆の告訴をした。その後、ハルピンに行ったが、ハルピンからこの事件に関係した刑事に手紙で抗議を申込み、謝罪状を取っている。 

 その他、公の機関に訴えない闘争は数限りなくあるという。これらの謝罪状や紛争記録、証拠物件などはすべてスクラップブックに保管してあり、それを持参して見せている。今回の娘夫婦に虐待されている証拠として、家屋内外の写真数枚も持参して見せている。 

 娘夫婦によると、クライアントは、虚栄心が高く、自分が困っていても他人に与えようとする。人に良く思われようとしてである。しかし、同時に我が強く、利己的であり、人に与えればそれ以上のものをもらうと言う。恩にかける。そして、それを取ろうとすると執拗にやる。何度でも交渉して最後まで戦う。自分の主義・権利を貫徹するまでは決して止めない。何年前のことも飽きずにやる。何人弁護人を換えたか分からない。相手が変わるが常に闘争している。若いころから裁判沙汰が好きで、また、いろいろな事業に手を出す。口上手でいい人を次から次へと捕まえる。つかまえるのは非常に上手だが、あの性質だから一緒にやっているとみんな離れて行ってしまい、成功したことはない。弁護士に逆に金を払わせたりする。ウソつきである。自分に注目を引かせたり、自分が同情されるような内容であり、ある場合にはウソではなく本当にそう信じ込んでしまうものもあるらしい。娘夫婦が留守中に地震があって、二人の孫を抱きしめてどうしようかと思っていたと話していたが、孫の一人は外出中であった。娘の夫が仕事の上で必要な薬を保管しているが、彼が毒をもろうとしていると吹聴したので、刑事が調べに来て突っ込まれたらクライアントは本当のことを言った。また、彼がA子を精神病にして財産を取ろうとしているなどと言う。また、娘が自分に刃物を向けるなどとも宣伝する。 

 ヒステリー性、心気的な傾向も多く、疲れたと言って今にも死にそうな様子で寝ているが、いざ闘争で裁判所へ行く時とか、何かの会に行くとなると、シャンとして人が変わったように元気に出て行き、「先生」などと呼ばれると上機嫌である。詐病も多い。例の自殺も狂言自殺であろう。そのようなことは昔から何回もあった。 

 面接では、誇大的、自己宣伝的、わざとらしく、もったいぶって話す。その一方で、争いの問題は実にしつこく、詳細に訴えて離れようとしない。 

 誇大性の狂信者で、闘争的・好訴的な形を取るが、他方で顕示性が顕著でヒステリー的・虚言的(中には空想虚言も見られる)である。妄想的発展も多く、パラノイアとして解釈できる例である。 

 

 (狂信型の精神病質の例である。この狂信型はパラノイアとの関係性が高いのであるが、本例もそうである。ただ、どこまでパラノイアと重複するかは意見が分かれることだろうと思う。それでもこの型は、好訴的傾向とか、訴訟妄想などと関連性が高いように僕は思う) 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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