<T025-19>文献の中のクライアントたち(19) 

 

 引き続き性格異常よりシュナイダー精神病質分類に基づくケースを抜粋する。 

 

 本項収録クライアント以下通り 

 (cl82)I・K 昭和2年生まれ、26歳男 顕示欲型 

 (cl83)H・Y 昭和5年生まれ、女 気分易変型 

 (cl84)M・T 20歳男 爆発型 

 

 

 (cl82)I・K 昭和2年生まれ、26歳男 

 早発、持続、同種傾向の累犯者。母親の姪に精神鑑定を受けた者がある。 

 東京に生まれる。三歳の時に両親が離婚。母はclを連れて再婚したが、継父は自分の子供と差別してclを虐待するので反抗的になったという。 

 小学校時代から空想的傾向が強く、ホラ吹きと虚言癖が著しかった。工業学校三年生ころからサボりだし、家出をして、親戚知人の家などを回り歩いた。それから初犯までのことは、本人の言うことがまちまちなので不明である。彼の虚言がひどいので、継父は彼を精神病院へ受診に連れて行ったこともある。 

 初犯、16歳。戦時窃盗、その他窃盗、詐欺。懲役1~3年。犯罪は主として詐欺である。昭和20年から12回にわたり、少年飛行兵として応召した者だと称して、出征軍人留守宅を訪れ、饗応を受けた。 

 二犯、19歳。詐欺、懲役2年。自分を身分の高い者として触れ回り、次いで金品を詐取したものである。例えば、「自分は侯爵武者小路幸徳であるが、第一復員局で軍服を払下げしているから、払下げしてあげる」といって信用させ、代金を詐取した。 

 三犯、21歳。詐欺、懲役1年6か月。やはり家出をして偉くなった気になり、各地を騙し歩いた。保育園へ行き、「自分は南郷少佐の弟だ」と偽って泊まり込み、次の日は「お世話になったお礼にお土産を買ってくるからボストンバッグを貸してくれ」と持ち逃げした。また、他の所では、体の具合が悪いから泊めてくれと偽って一泊し、翌日一度立ち去ってからまた来て、「ご主人に紹介された病院に行ったが、途中で金を落としたから金を貸してくれ」といって借用し、さらに「寒くて仕方がないから着物を貸してくれ」と作業服一式を騙し取った。 

 四犯、25歳。詐欺、懲役1年。自動車で負傷したと偽り金銭を借用。その他、身分を偽り、まことしやかな話を拵え、金品を騙し取り続ける。 

 その他、自分は東大学生で古賀大将の息子であり、八王子の下宿を追い出されたから下宿させてほしいと申し出る。八王子の下宿で金を盗まれそうになり、犯人は捕まったものの、金は証拠として警察に押収された、八王子から荷物を運ぶのに金が要るから貸してくれと言って詐取した。 

 また、「お話があったと思いますが、K氏が先生の作った像を貰いたいと言っているのでいただきに来ました。ついでに私は途中でお金を盗まれたので少しお借りしたい」とか、「私は東大生で古賀大将の子ですが、安養院の屏風はお宅のものと聞きました。買いたいのですが、妹が今日お金を持ってきます。それまで時間がありますからカメラとフラッシュを貸してください」などと言って金品を騙し取る。その他、類似の手口で金品を詐取する。 

 cl自身は、交際は多くなく、むしろ孤独を好む。 

 精神的態度は愛嬌はあるが、多弁ではなく、朗らかな基底気分は見られない。むしろ大人しく、人懐っこい感じである。 

 そんな素直な話しぶりであるが、内容は虚栄的なホラが、少しの不自然さもなく、巧みに流れ出てくるところは注目すべきものであり、発揚情性の欺瞞者に見られるような見え透いたウソではない。 

 騙している時は全く自然で、そう思っていると言う。道を歩いている時はどうして騙そうかなどと考えているが、いざ話しだし、相手が信用してくると、自分も本気になってしまい、そうなると自然に言葉が出てくると言う。 

 以上のような打算的目的がないわけではないが、自分の虚栄心、空想的欲望を満足したいという動機が大きい。 

 顕示欲性精神病質の空想虚言者ということができる。 

 

 (シュナイダーの顕示欲型には二つの下位分類があり、一つはヒステリー型とされ、もう一つは虚言型である。この事例は後者に該当する。顕示欲型のさらに虚言型である。朗らかな気分がなく、見え見えのウソと感じさせないところで発揚情性型の虚言とは区別できるわけだ)  

 

 

 (cl83)H・Y 昭和5年生まれ、女 気分易変型 

 旧制女学校を卒業、成績は中の下だった。間もなくM会社の販売部に勤務していたが、その間に進駐軍の兵士に強姦されたことがあるという。15歳ころより、家にじっとしていられなくなり、フラフラと家を出て、諸所を歩き回り家に帰らないということが起きるようになった。ついには警察に世話になり帰って来るが、その間の記憶は正確であった。そのような家出の際にアドルム(睡眠薬)を電車の中とか広場とかで服用し、警察に収容されることが数回あった。家で睡眠薬を服用することはなかった。 

 急に寂しい気持ちになり、一人になりたくなる。淋しいところに行きたくなる。父母と別れるのはいやだが、無性に淋しいところに行きたくなってしまうと言う。家庭は別に悪くなく、不自由もなく、父母の態度にも問題はなく、和やかで、本人も家庭に対して別に不満は持っていない。家出をしても特に犯罪を犯すわけではなく、遊興にふけるわけでもなく、人のいないところを放浪するのみである。 

 あまりに家出が多いので、I病院に入院。電撃療法などをやったらしいが、比較的落ち着いているということで昭和27年4月に退院した。しかし、相変わらず家出・放浪の発作は止まらなかった。 

 同年8月にT病院に入院したが、一週間で逃走。警察に保護されて帰院。同時にK病院に転院となり、thが観察する機会を得る。 

 口数は少なく、大人しく、落ち着いている。同室患者とはあまり話をせず、比較的自閉的であるが、特別な異常体験もなく、態度にも病的な所見はなく、精神病は考えられなかった。 

 しかし、ひねくれていて、わがままな感じを受ける。家族の言でも大人しく、社交性が少ないとのことである。普通は従順であり、よく作業もやり、何の問題もない。外出や買い物にやっても真面目にやっており、信用できる。しかし、時々、原因なしで不機嫌となり、無口となり、質問しても答えなかったり、仕事をしなくなり、理由なく帰らせてくれとか、家族が来ないと不満を言ったりする。 

 そのような場合に頭痛とか腹痛などの心気的な訴えもある。しかし、数日経つと自然におさまり、表情も柔和となり、活発に仕事をするようになる。ただ、このような時期に不注意に外出させたり、油断をすると、普通では決して逃走しないのに、逃げ出してしまう。行き先は一定しないが、家には帰らず、横須賀や横浜、その他を放浪し、ついには必ず警察に収容されて帰されている。 

 このような逃走は、27年10月、28年1月、7月、9月、11月とあり、最後のものはなかなか行き先が分からなかったが、大阪にて警察に保護されていた。そのまま退院となった。 

 本人から逃走の心理を聞いてみると、言葉少ないので詳細は分からないが、例えば次のようなことを言っている。 

 「別に逃げるつもりはなかった。ただ、その朝、なんとなく落ち着きがなくなり、イライラしてきて、無性に帰りたくなったので、帰してくれと言ったら許可がなかった。それでいくらか反発的になり、ブラブラ歩きだしたらバスが来た。それに乗ったら港が見たくなって、横浜へ出た。それから横須賀に回った。病院にこのままいても何にもならない。非常に淋しいところか、それとも非常に賑やかな派手なところへ行きたい。自分の過去を知っているもののすべてから離れたい」 

 意志欠如型の軽佻性も加味しているとは思うが、何ともない時は非常に元気に真面目に仕事をするのに、理由なしに不機嫌、抑うつ的となり、外出衝動が高まって、飛び出してしまうところはあきらかに気分易変者とみるべきものと思われる。 

 

 

cl84)M・T 20歳男 爆発型 

 洗濯業の家に生まれた。同胞6人中4番目。すぐ上の兄が17歳ころからグレて、不良集団に入った。やはり爆発性の性格である。現在は家に帰って父の手伝いをしているが、わがままで粗暴な点は変わりがない。clは、小学校時代は問題はなかった。12歳で工業学校入学時に戦災を受け、疎開した。疎開地から都心の学校に通っていたが、間もなく、退学した。成績は中位で、先生にも可愛がられていたが、悪友ができ、ずる休みをするようになったため、また空襲で通学困難なため退学させたとのことである。 

 14歳でパン屋に勤めたが、休みが多く、間もなく辞職。半年くらい競馬場の草刈りに臨時に雇われた。16歳で銀座の菓子屋に勤めたがこれも三か月くらいで止めてしまった。16歳の暮れには、肉屋で住み込んで働いたが、給料のことで主人とケンカをして解雇された。19歳の春、上野のパン屋で住み込んだ。その5月、慰安旅行で温泉に行き、泥酔の末、旅館の三階から転落して、頭部外傷、意識喪失をきたし、翌朝に発見された。意識はまもなく回復したが、軽い意識障害が数日続いた。一週間で退院し、半月ほど休んで出勤した。特別な神経学的後遺症は残していない。母親によると、負傷前後の性格変化には気づいていない。10月にはここも止めてしまった。 

 翌年の正月、近所のパン屋に勤めたが、何か言うとすぐふくれる、同僚と折り合いが悪く、すぐ腕力沙汰のようになるからということで、3月に解雇された。帰る時、同僚とケンカして、その背広を持ってきてしまい、質に入れた。この勤務中も仕事に精励せず、しばしば無断で帰宅し、無為徒食し、両親を脅迫して金銭をせびることが多かった。 

 同年4月にまた別の製パン工場に就職したが、一週間と続かず、逃げ帰ってしまった。以来、就職の意思はなく、終日家の中で寝転んですごし、あるいは金銭をせびり、勝手に外出する。 

 家人の忠告には反抗的な言動を示し、時には暴力も振るう。例えば、夕食に兄にハンペンがついているのになぜ自分にはついていないのかと、突然怒って七輪を蹴飛ばした。 

 父に、大阪に行きたいから一万円よこせと言い、無いと父が答えると、父を足蹴にした。また、その件で、包丁を持って、父に外に出ろと脅し、止めに入った兄の手を傷つけた。さらに、兄と勝負をつけると言い、医者のところまで兄を追って行った。 

 また、母に対しても、衣類を引き出し、破棄したり、妹を脅かしてわずかな用事を言いつけ、従わないと殴打し、蹴るなどの暴行を加えた。 

 家人は恐ろしさのあまり、しばしば他所に避難したり、金銭を与えて機嫌を損なわないようにしている。虞犯として、家庭裁判所へ通告されて、thと会うことになった。 

 接触はよく、話はよくする。全く反省がなく、自分は何も悪くない。記録にあるのは全部ウソだ。兄こそ不良で悪い。家族はみな兄を恐ろしがって、自分に助けを求めているのだと言う。話がうまく、ウソが上手。自分の悪行に対してはいちいちうまい理屈をつけて弁明する。精神病的なところは見られない。 

 爆発性の精神病質であるが、そのほかに意志欠如性や、狡猾さなどの情性欠如性などが混合した悪質な異常者である。エルンストの原始的無形式者とはこのような者を指していると思われる。生来性のこの傾向は脳外傷によりさらに増強されていると判断しなくてはならない。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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