<T025-15>文献の中のクライアントたち(15) 

 

 I・B・ウエイナー『青年期の精神病理(上巻)』の第4章「精神分裂病」より、断片的な記述を拾う。 

 

<本項収録のクライアントたち> 

 (cl63)15歳男児 未熟性 

 (cl64)15歳女児 未熟性 

 (cl65)15歳男児 偽りの成熟 

 (cl66)16歳女児 偽りの成熟 

 (cl67)14歳男児 偽りの成熟 

 (cl68)13歳男児 相互関係能力の欠如 

 (cl69)13歳男児 行動の逸脱性 

 (cl70)17歳高校生男子 

 (cl71)14歳男児 会話の不連続性 

 (cl72)ジャック 13歳男児 初回面接時の言動 

 

 (cl63)15歳男児 未熟性 

 彼は将来の計画を尋ねられて、「大学へ行くことと、ロデオの乗り手になることです」と答えた。彼は都会育ちで、馬にも乗ったころがなかった。 

 (これは単に空想的願望を述べたものと考えられる。つまり、「あれもしたい、これもしたい」と言っているだけである。ロデオの乗り手になること、これは要するにカウボーイに憧れるようなものである。さらにロデオの乗り手になることと、大学に行くこととは相互に関連性がない。要するに、この子はなんらかの計画性のある将来を、あるいは将来のヴィジョンと呼べるようなものを何一つ語っていないということである) 

 

 

 (c64l)15歳女児 未熟性 

 学校を出たら何をしたいかと尋ねられて、彼女は「私は外に出たら遊ぶわ」と答えた。先の男児もそうであったが、こういう言葉は8歳か9歳くらいの子供が言いそうなことなのである。10代の青年にしては未熟さが認められる。 

(「学校を出る」というのは、校門の外へ出るということではなくて、卒業したらという意味である。この子はそういう意味世界を共有できないでいるようである。当然、「外へでたら遊ぶ」という内容は小学生くらいの子供の言葉である) 

 

 

 (cl65)15歳男児 偽りの成熟 

 15歳、一人息子。級友から意地悪くされていることについて、彼は「なぜ今どきの若い者は非常識なのか」と表現した。両親の社交性に関しては、「うちには昨日友人が何人か来たよ」と表現した。彼の知能指数は90。両親の交際以外、なんらの活動に参与していない。校長先生など大人は、彼の最初の印象を「この聡明で、注意深い、はっきりした青年は、私とたいへんあけっぴろげに、繊細に大人びて話をした」と言う。 

 (偽りの未熟性とは、大人びた見せかけに見られる。自分は青年期を生きているのではないという、あるいは青年期はとっくに過ぎたという、不適応的努力である) 

 

 

 (cl66)16歳女児 偽りの成熟 

 16歳のすれた少女は、ある少年が彼女にキスをしようとした瞬間、恐慌状態に陥った。彼女はキスをすると妊娠するといった子供っぽい空想からまだ抜け出せていなかったからである。 

(「すれた」というのが見せかけの大人の部分である。大人がするようにキスするところ、子供っぽい空想が彼女を支配したものである) 

 

 

 (cl67)14歳男児 偽りの成熟 

 この14歳の男児は、自信に満ちていた。しかし、初めてキャンプに参加した時、友達ができず、学生相談員にしがみつき、寝かせてくれと泣きついた。一週間後、キャンプの途中で、両親によって、彼は連れ戻されなければならなくなった。 

 (これは要するに、自立を求められる場面で一気に退行してしまうといった子供である。普段は自信に満ちているように見えても、依存対象がなくなると破綻しつぃまうのだ) 

 

 

 (cl68)13歳男児 相互関係能力の欠如 

 この13歳男児は、思考障害を示している、孤独な少年である。 

 th「君はクリスマスは何をするつもりなの」 

 cl「分からないけど、多分、誰か友人の所へ行って、僕がボーリングに連れて行ってやると言えば、彼は僕の家に来るだろうと思う」 

 th「君がボーリングに連れて行かなければ彼は君の家に来ないのかい」 

 cl「来ないよ」 

 th「もし、彼がボーリングに行きたいなら、割り勘にするように提案してみたらどうだい」 

 cl「えっ、そんなふうにしたら、僕は誰とも一緒に行けやしないよ、先だって、僕がそれをしようとしたときも、彼に払ってやるよと言う前に、あいつは電話を切ってしまったんだ」 

 (交友関係における相互性を欠いている。著者が述べるように、友達の願望に従って言いなりになる青年は、友人が一人もいない者と比べて関係能力をより持っているわけではない) 

 

 

 (cl69)13歳男児 行動の逸脱性 

 この13歳の少年の両親は、彼の情緒的未熟さや理屈っぽさを気にかけていたが、ふとした言葉のはずみに彼が時計に興味を持ち、何時間も時計を見て費やすということを話した。腕時計や時計に没頭することは、単なる一つの非生産的趣味に過ぎないのである。 

 (何かが目指されるわけでもなく、何かが達成されるわけでもなく、いつまでも一つの状態に置かれ続けるわけである。つまり停滞するわけだ。こういう停滞を伴う活動は、人格的空虚を防衛するものと僕は思う。どこにも進展しないし、発展もしないけど、それをしていないと自分の空虚を見てしまうのだと思う。おそらく、人格的なかかわりを欠いた趣味なんだろうと思う) 

 

 

 (cl70)17歳高校生男子 

 翌年、大学へ入学した時には、フットボールをしたいと彼は言った。高校でどのくらいフットボールをやったのかと尋ねられると、彼は一度もフットボールをしたことがないと答えた。それは怪我をする危険を避け、「成功の時」を目指して力を蓄えていたからだと彼は説明した。 

 (この種の思考はひきこもりの人から聞くことがある。社会に出ることを回避し、社会にでるために準備をしていると言ったりするのだけど、その準備なるものは何もなされていなかったりする。行動を回避し、準備さえ整えば自動的にそれができると思い込んでいるような思考、判断の逸脱さが見られるわけである) 

 

 

 (cl71)14歳男児 会話の不連続性 

 (場面1) 

 th「どんなことをするのが好きかね」 

 cl「バスケットボールが好きさ。僕はよく得点するもの」 

 th「君はいいショット(shot)をするんだね」 

 cl「うん、去年のキャンプで、僕たちは本物の弾で標的を撃った(shot)んだ」 

(場面2) 

 cl「学校の連中が僕をバカにして、僕のことをありったけの名前で呼ぶんです」 

 th「どのような」 

 cl「バカとか、精薄とか、うすのろとかです」 

 th「同じ学校に通っている君の弟についても、彼らはそんなふうに呼ぶのかい」 

 cl「いいえ、誰も僕のことを『弟』なんて呼びません」 

(最初の場面では、shotという単語から連想が広がり、会話に不連続性が生まれている。一つの観念、話題が持続せず、一つの単語によって搔き乱されるようだ。場面2では、逆に会話や観念が引きずられている) 

 

 

 (cl72)ジャック 13歳男児 初回面接時の言動 

 最初の面接で、thのところに来たことについてどう思うかと尋ねられたジャックは、いきなり、いつも彼に不満を述べている父親について長々と喋り始めた。そうして面接中よどみなく話し続けたが、なぜここへ来たのか、我々が何をしようとしているのかについて、彼は少しも疑問を差し挟まなかった。彼は突然自分の話を中断して、『何か僕に訊きたいことがありますか』と尋ねた。それは相互関係の文脈からかけ離れたものだった。彼の情動は、大部分は適切なものであったが、時に非常に変わった歌うような話し方をして、話の内容に対して適切ではない情緒的表われを示した。 

 (僕はこういう人を「無防備すぎる人」と呼んでいる。通常、初対面の臨床家と面して、適度に緊張したり、警戒したり、用心したりするものである。そして、通常では、そうした緊張や警戒、用心は、比較的速やかに消失するものである。「防備が堅固すぎる人」になると、それらが過剰であったり、いつまでも消失しなかったりするわけだ。何人もの「無防備すぎる人」ともお会いした。初対面で、いきなり自分の父親がどれだけひどい人間であるかということを、20分も30分も話し続けるという人である。この人は自分の言っていることは「おかしな」ことではないと信じていたが、その行為が「おかしな」ことなのである) 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

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