<T025-12>文献の中のクライアントたち(12)
引き続き『民間精神病院物語』よりケースを抜粋する。
本項収録のケースは以下の3例。
(cl57)病院を訴えた患者H
(cl58)医師を刺した男性
(cl59)キツネ憑きの老婆
(cl57)病院を訴えた患者H
昭和46年、入院中の患者から「自分は精神病ではないのに不法に拘束入院させられているので、人身保護法による救済をしてほしい」という請求が裁判所に寄せられた。
患者Hは人身保護法に基づいて「なんにも暴言、暴行、無理または不法な言動をしないのに、昭和45年、病院医師から診察を受けずに、自宅で面接40秒後に数名の者から無理に麻酔注射をされて、強制的に入院させられ、現在まで外出・外泊を拒否された拘禁および強要が続けられているのはまったく不当である。自分は医師が診断しているような精神分裂病ではなく、同意入院となっているが同意している者は家庭裁判所が認定した保護義務者ではないので、手続き上から言っても、不法強制入院であるから、一日も早く退院させてほしい」と訴えたのだ。
この訴えを受理した裁判所の判決は「患者Hをただちに釈放すること、手続き費用はすべて病院の負担とする」というものであった。人身保護法による救済請求は珍しいことではないが、この判決は初めてのものだった。
Hは妄想型分裂病で好訴性を持っている。今回の入院以前にも5回、通算7年の入院歴を有している。そのいずれの入院においても、Hは巧みに脱院しており、その都度、不法入院拘束、殺人未遂などの罪名で院長や担当医師を告訴し続けてきたのであった。
Hが精神病者であるかどうかについては裁判官は判断できないだろうが、どういうわけかこの裁判ではHの精神鑑定も行われず、病院の一方的な敗訴となってしまったのだった。
病院側が提示したHの入院理由は次の4点である。①好訴妄想を主症状とする精神分裂病、②病識の欠如と治療拒否のため入院治療が必要と判断されたこと、③異常行動があり、社会に迷惑をかけるおそれがあること、④保護義務者から入院治療の依頼があった。
裁判所の調査によっても、Hが過去3回入院して、いずれも不法強制入院であるとして脱走し、4回目の入院においても、転院した後、やはり脱走していることが明らかになっている。
しかし、このそれぞれの入院に際して、Hが精神分裂病者であると確認できる資料がなかった。今回の入院に関しては、好訴妄想を主症状とする精神分裂病と診断する精神科医の主張には疑問点が多いと裁判官は判断した。これが判決の理由であった。
Hは8年間に5回も入院を繰り返していた。社会生活を営むことができていたのはその半分あまりの4年間だけだった。病院はHを独断で強制的に入院させたのではなかった。入院にはそれなりの理由があった。そして、経験のある医師たちが診断しているのに、なぜ裁判官はその診断を信じがたいというのだろうか。
精神病は、それが正常に近いものであるほど、診断が難しい。Hのように8年間のうち4年間は社会生活を送ることができていたといったケースでは、それが妄想型分裂病に特有なパターンであっても、世間の人にその異常性、入院の必要性を説明することは不可能に近い。
裁判の判決理由をさらに追ってみよう。「・・・・・裁判所の訴訟指揮にも(Hは)よく従い、自己主張のみを押し通すような事実はまったく認められず、且つ、当裁判所がHのために附した国選代理人があるにもかかわらず、困難な本件手続き行為を独力で遂行し、且つ、十分その目的を果たしたのである」とある。この判決理由では、Hの性格の歪み並びに精神能力の低下が認められないことを述べている。
性格ではなく、自分が不当に自由を制限されていると思い込んでいるところに病的な歪みがあるのである。この不当性を証明するための裁判なのであるから、Hが裁判所の指示に全面的に従うのは当然である。それに、妄想型分裂病においては、精神能力がまったく低下していないのが特徴なのである。
判決理由は以下のように締めくくられている。
「一般的に言って、人間の共同社会において、多少の異常行動をなし、社会に若干の迷惑をかける人がいるとしても、元来この社会そのものが、多種多様な素質、思想、生き方を保有する人間によって成り立つ社会であることを考えれば、異常行動が健全な一般人の判断により許容しうる範囲内に留まる限り、他の干渉なくその行動を許されるべきであり、特に、自由の拘束によって制限し排除できるとする異常行動はできる限り限定して解釈すべきは当然である。
「この点において、請求者(H)が一般社会により許容しうる行動をなしうる者であり、なんら自由の拘束を必要としない社会人であることは、以上の認定の事実によって明らかである。従って、本件入院につき保護義務者の同意がある事実は、本件入院を正当化すべき理由にならず、また、請求者が、自己の病識なく治療を拒否することを、本件入院の理由とする拘束者(病院側)の主張も採用できない」
こうして精神病院側が一方的に敗訴となったのだ。しかし、精神病者か否かは精神科医が診断することであるから、この判定は裁判官の権限を逸脱していると言わざるを得ない。
病院は直ちに上告をした。差戻し法廷で今回はまったく逆の判決を受けることになった。病院からの顛末報告から抜粋する。
「昨年、当院に入院中の分裂病患者が裁判所に人身保護の請求をし、最初の判決で当院の不法行為であるとされました。ただちに当院は最高裁に上告し、原判決破棄、差戻しの判決を受け、今回の再審によって勝訴しました。(中略)なお、患者(H)は入院に同意しない妻を得たと称し、相手の知らぬ間に未婚の女性を戸籍上の妻にするという犯罪行為をした後に姿を消しました」
(被害妄想者は自分がかくかくの被害に遭ったと訴える。好訴妄想では自分はしかじかの権利を侵害されたなどと訴える。こうした訴えは受け取り手の感情を強く刺激するものだと思う。そのため、無知な人はこれらの言葉を鵜呑みにしてしまうと僕は信じている。
このケースは昭和46年、つまり1971年のものであるが、この種の話は後を絶たない。現在では、もっと違った形で、しかももっとお手軽にこれができる世界が用意されている。そう、インターネットの世界だ。
ネット上にはさまざまな掲示板なるものが作られ、個人攻撃がなされる場になっている。僕が叩かれているページも存在しているそうだ。ある書き手が訴えを起こし、「便乗屋」がそれに乗っかる。しかし、書き手が正常であるかどうかはまったく不問にされている。「書き手が正常であるかどうか」って言葉がきつかったとすれば、それを書いた時点での書き手の精神状態が正常な状態にあったかどうかと言い換えてもいい。
いずれにしても、読み手、便乗屋にはそういう観点を持つことはないだろうし、そういう観点があることすら考えもしないかもしれない。闇雲に騒ぎに便乗しているだけの衆といった姿が僕には浮かんでくる。
Hの請求は、自分が何をされたかは詳しく述べられているが、自分が何をしたかにはまったく触れられていない。もし、Hの言うことが正しいとすれば、いくつかの矛盾を指摘することができる。彼が何もしていないのであれば、数名の者によって麻酔注射をされるはずがないのである。彼が本当に何もしていないのであれば、おそらく無抵抗に、進んで麻酔注射を受けたことであろう。現実には、数名の力を要するようなことを、彼は何かしているはずである。
しかもそれが面接40秒後であると言う。そうであれば、Hは冷静を保つことができない状態であったことを証明していることになる。麻酔注射は妥当な処置であったかもしれないということになる。また、「医師の診察も受けずに」とHは言うが、Hが診察を受けることのできる状態ではなかっただけかもしれないし、診察の前にHを鎮静しなければならなかっただけかもしれない。
さらに、入院すれば、外出や外泊が禁止ないし制限されるのは普通のことである。これは身体の病気でも同じではなかろうか。この当然とも言える出来事をHはかなり迫害的に解釈しているということが伺われるのだ)
(cl58)医師を刺した男性
昭和46年のこと。昼休みで、自宅にて休息していた医師は、「先生、ちょっと」と呼ぶ声に目を覚まされた。
「なんだ」と医師が表に出て行くと、いきなり、外来で通っていた男性患者が鋏を持って体当たりしてきた。
医師は防ぐだけで精一杯で、声も立てられなかった。この医師は腹部、左右の手の甲、その他数箇所に傷を受けたが、その後、すぐにこの患者は取り押さえられた。
分裂病であったこの男性は、「先生、すみません。女の人が先生を刺せと私に命じたのです」と謝った。
ちなみに、彼は数年前に父親を刺したことのある理容師であった。
(かつて父親を刺したように、今度は自分の医師を刺したということである。彼の中では医師が父親と同一視されている。彼にそう命令するのは女であるらしい。女の声で命令されており、彼はそれに歯向かうことができず、言いなりになってしまうようだ。ここにはこの人の家族関係があるのかもしれない。
しかし、こういう事件は予測がつかない。僕もいつか誰かから刺されることを覚悟しているのだけど、こういう事件は突発的に生じ、完全に防ぐこともできないものである)
(cl59)キツネ憑きの老婆
ある晩秋の日の夕方、キツネつきのおばあさんを診察している時、thはおばあさんに背中を叩かれた。それはゴミを払うような叩き方だった。
「どうしたの」と、ビックリしたthはおばあさんに尋ねる。すると、
「ほら、先生の背中にキツネがいたから追ったのじゃ」とおばあさんは言った。
おばあさんは、辺りを見回し、シッシッと追い払う仕草をするのだった。
(最後にほのぼのした一場面を。キツネに憑かれている(憑きもの妄想)と体験しているおばあさんが、医師に憑こうとしたキツネを追い払ってあげているわけだ。患者であるおばあさんが医師を助けようとしているのだ。
こういう妄想があると、分裂病と診断されたりするのであるが、このおばあさんは分裂病かもしれないけど、医師としっかりとした人間関係を形成できているように思えてきて、僕は非常にホッとする。なんか、内に暖かいものを僕は感じてしまうのだ。
<テキスト>
『民間精神病院物語』(谷口憲郎 著) 有明堂
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)