<T025-09>文献の中のクライアントたち(9) 

 

 今回も『精神分析の理論』より抜粋する。この本から抜粋するのも本項が最後である。昔の本ではあるが、一冊の本の中に、多くの生きた人間の経験が含まれているものである。人の経験こそ知的財産である。僕たちはこの財産を、僕たちが会うことのなかった人たちの経験を、大切にしなければならないのではないだろうか。 

 ( )内は僕のコメント等。Clはクライアントを、thは臨床家を指す。 

 以下、本項収録のクライアントたち。 

 

 

(cl48)女性 性的伴侶選択 

(cl49)男性 白昼夢 

(cl50)男性 相棒を伴う白昼夢 

 

 

(cl48)女性 性的伴侶選択 

 彼女と彼女の姉とが幼かった頃、隣に住む少年と仲が良かった。特に姉はその少年と仲が良かったので、大きくなったら二人は結婚するだろうとまで言われていた。 

 彼女はこの二人からのけものにされていると感じ、彼らに対して嫉妬心を抱いていた。その関係は彼女と彼女の両親との関係とそっくりなものであった。 

 児童期に入ると、姉妹は隣人の少年と会わなくなる。この二つの家族がそれぞれ違うところに引っ越したためである。 

 思春期に入ると、この三人はふたたび結びつくことになった。この時、彼女は姉が大学に行って離れている間に、彼が姉よりも自分を好きになるように努力した。彼女はその目的を達成したが、彼が性的に言い寄ってくると、それを拒絶して、「いい友達」でありたいと願った。 

 その後、彼女は姉から引き離すことに成功したこの青年の友人に恋をして、結婚した。この友人は、彼女と出会った時、すでに別の女性と婚約していたのである。 

 こうして、彼女は少女時代から持っていた憧れを、その愛情生活の中で実現したのである。その憧れとは、家族三角形において、負け犬ではなく、勝ち犬になることであった。この経緯において、自分よりも姉の方を好いていた男に復讐をしたのである。つまり、彼女は他の男のために彼をふったのである。 

 こうして彼女は、姉とその友達に対して、無意識的に復讐し、勝利したのであった。 

 

 (空しい勝利である。結局、clは子供時代を生き続け、姉の生を送っているのだ。自分自身の生をこの人は持っていないのだ。彼女は勝利したかもしれないが、彼女が犠牲にしたものに値する勝利であろうか) 

 

 

(cl49)男性 白昼夢 

 ある面接において、彼は数分前に見たという白昼夢を報告した。それは次のような内容をもつものであった。 

 彼はthのオフィスへ向かって歩いている。thのオフィスの前でパトカーや救急車が止まっている。何か恐ろしい事件が起きていた。ある患者がthを銃で撃ち、thは血みどろで倒れていた。彼は一人でオフィスに入り、気の違った犯人と格闘し、犯人から首尾よくピストルを取り上げた。 

 以上が彼の見た白昼夢であった。これに関する連想を彼は話す。 

 彼は前夜に見た映画を連想する。暴力と殺人シーンの多い映画だった。性的描写もあり、それは彼を性的に刺激している。その映画で、ある男が自分の殺した男の未亡人をたらしこんでいるという場面があった。これは彼には恐ろしくもあり魅力的なことであった。また、映画の登場人物のうち、年をとった方は自分の父親を思い出させたと述べた。本当に父親に似ていたわけではなく、メガネが似ていたということであった。それから、彼は、父親がいかに信頼できる人であったか、いかに彼が父親に頼ることができたか、について話をする。そして、thとの面接日のスケジュールが変わることについての失望から、thに腹立たしさを感じていることへと、連想が移っていった。 

 この白昼夢は、clのthに対するアンビバレントな感情を表している。彼は自分のスケジュールをthに合わせて変更せざるを得ないことに苛立っている。同時に、彼は自分が腹を立てていることを恥じていた。なぜなら、彼はthの助けをありがたく感じており、thに好意を寄せていたからである。 

 白昼夢においては、これらの態度は、前夜の映画に影響された形で表明されている。すなわち、彼は自分のthを誰かに殺させることによって、自分の持っている怒りの感情を充足し、同時に、そのthを救うことによって、thに対して持っている好意的な感情を充足している。 

 Thを撃ったとされるのが、彼自身ではなく、他の患者であること、そしてその犯人と格闘することによって自分を危険に晒したことは、彼の怒りの感情に対する罪悪感が作用しているようである。 

 しかし、この白昼夢の連想はそれだけに尽きるものではなかった。彼が思春期の頃、彼の父親は、父のオフィスにて、精神病の従業員に射殺されたのだった。彼は父親の死をひどく悲しみ、自分が父親のオフィスにいて、犯人の凶器を取り上げ、父親の生命を救ったという場面を、しばしば想像していた。 

 従って、この白昼夢では、彼が現在のthに対して持っているアンビバレントな意識的願望とともに、父親に対する殺害的でしかも愛情のこもった無意識的願望をも表していたと考えられる。 

 彼は、無意識のうちに、thと自分の父親とを同一視し、彼が依然として無意識のうちに有している父親に対する感情と欲望を、thに転移していたのである。 

 その上、彼の連想は、その転移された願望がエディプス期に端を発するものであることを示唆している。この白昼夢を見る刺激となったのは、前夜の映画での性的に刺激的なシーンであった。ある男がもう一人の男を殺し、その男が殺した男の未亡人を誘惑するというシーンである。それは、彼の心の中で、彼は父親について思考していたことと結びついている。つまり、彼が父親に抱いていた性的嫉妬、父親を殺害したいという怒りとその後に続く悔いの感情である。 

 これらはすべて彼の子供時代、エディプス期の遺産であって、彼はその白昼夢の中で、これらを意識的に満足させていたのである。 

 人の白昼夢は絶えず変わるものであるが、無意識の本能的願望、葛藤を反映しているが故に、本質的なところでは常に変わらないものでもある。 

 こうして、彼は自分の父親の生命を救うという白昼夢を繰り返し反復してきたのである。彼の空想は決まって、親殺しと結びついていたのである。 

 

 (この男性は現実に父親が射殺されるという経験をしている。彼の白昼夢や空想には常にこのテーマが入っているかもしれないが、現実の出来事よりもエディプスの方をより見る辺り、正統派の精神分析という感じも受ける。 

 この人は治療で欲求不満を経験しているので、こうした白昼夢を見ることができたと僕は思う。白昼夢も夢と同じ働きをするものだと思う。そして、彼が白昼夢を見ることができるのは、彼の心がそれだけ働いているからでもある。そうでなければ、この人はthに対する不満を行動化するだろう。行動化で発散せず、白昼夢で発散できているのは、考えようによっては、この人の健康さでもあるのかもしれない) 

 

 

(cl50)男性 相棒を伴う白昼夢 

 彼は子供時代に、自分が軍隊にいて、機関銃を操作しているという情景を繰り返し空想した。彼はこの空想の中で何千人という空想上の敵を殺した。彼には「相棒」、すなわち戦友がおり、この相棒は、いつも重傷を負うが、彼の英雄的で自己犠牲的な活動で救われるのだった。彼はいつもこうした空想を思い描くのだった。 

 この白昼夢において、軍隊という場面構成を決定したのは第二次大戦であった。彼は、大きくなったら、男らしい軍人になりたいと願っていた。 

 しかし、現実生活における彼の「相棒」、つまり遊び相手は、4歳年下の妹であった。妹は母親のお気に入りであった。 

彼の嫉妬深い怒りは家族全員に及んでいたが、それを表出することはできなかった。 

 その代わり、その怒りは競争的活動の症状や禁止にはけ口を見出した。そればかりではなく、愛国的な大量虐殺の空想にもはけ口を見出したのである。 

 その感情は、また、自分が少女であるという願望をも彼にもたらした。彼の心の中では、少女になるということは、自分のペニスを失うことを意味しており、この想像は彼に強い不安をもたらした。 

 このような背景があるので、彼が繰り返し空想する白昼夢において、少女であったのは彼ではなく、すでに男になっていた妹であったことが伺われる。 

 それだけでなく、彼は自分がペニスを失っていないことをさらに象徴的に自信づけるものとして、彼は大きな機関銃を持っていた。 

 最後に、彼が妹を憎み、妹の死を願っていることを、もっとも強く否定するために、彼は自分自身の生命を投げ打ってでも彼女(相棒)を救い、彼女の傷を優しく看護したのである。 

 

 (この男性が何歳なのかは分からないが、子供時代の空想を回想しているわけである。彼の嫉妬心や怒りは空想で処理されている。それはいいのであるが、この男性が本当に知らなければならないのは、彼が男らしい軍人ではないこと、それでもそれで構わないこと、そして、そうした嫉妬心や怒りがもはや不必要なものであるということだ。僕はそう考える。彼の空想は彼の生きにくかった子供時代を救ってきたことだろうと思う。もう、その救いが必要ではないこと、その子供時代はもう終わったのであると、彼は本当に知っていかなくてはいけないのではないだろうか) 

 

 

<テキスト> 

『精神分析の理論』(C・ブレナー著) 誠信書房 

 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

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