2月1日(月):デリバリーサービス
今日から2月だ。新しい月の初日にも関わらず、仕事の方は壊滅状態だ。今日も2件のキャンセルとなった。一件は昨日の留守電に吹き込まれていた。もう一件はけっこう急だった。
風邪を引いたとか熱が出たとかいう人が僕の周りにも増え始めた感じがしている。確かに、毎年この時期にはそういう人が増えるのであるが、今回はコロナがあるだけに気が気でない。クライアントたちも感染していなければよいのだけれど。
病は気からというけれど、その通りであると僕は思う。この「気」なるものは生の衝動のことだと僕は捉えている。生きようという意志である。厭世観の強い僕でも生きようという意志を、意図的かつ無理してまでして、高めようと努めている。今、コロナなんかで死んでしまうわけにはいかない。生きていても今はいいことなんて何もありゃしないんだけれど、それでもまだ死ぬわけにはいかない。やり残したこともたくさんあるし、せめて生あるうちに自分の身辺の片付けだけはやっておきたい。
さて、午後からの時間が空いたので、まずは室内の整理をする。処分するものと残しておくもの、再利用するものなどを分別する。あとはひたすら読んで書いての一日となる。
お昼はちょっと外食した。非常にムシャクシャしておったのもあって、ガッツリ食いたい気分だった。周辺を歩く。15時頃だ。閉まっているお店なんかもある。
あれこれ迷ったわりには、いつもの選択肢となる。カレーかラーメンかである。今日はカレーにする。ココイチさんに入る。普段は何もトッピングしないが、今日は奮発してメンチカツを乗せてやった。
食べていると店内に呼び出し音が。そして「デマエカンです、配達員がもうじき到着します、商品を用意ください」との機械的な音声が響く。ほほう、これがデマエカンというやつか、店員さんにはそういうメッセージが届くのだな。
ウーバーイーツだのデマエカンだの、デリバリーのサービスが流行りだ。病気等で外出できない人にとっては便利なものだろうな。でも、ああいうものに頼り始めたら終わりだという気にもなる。自分のメシくらい、自分で歩いていけなくてどうするかと思ったりもする。店内で食べようとテイクアウトしようと、自分の足で行かなくなったら、人間ますます横着になってしまいそうだ。
それに、自分で歩いて行けるのに、人に自分の食事を届けてもらうなんて、一体、自分を何様だと思っているんだろうかと、そんな思いも湧いてくる。自分の足が動く限り、僕は出前なんか頼まないでいようと、そんな決意を固めた。
ところで、一番怖いのは携帯電話だ。会話は控えることができるし、会話している人たちに対して距離を取ることも可能だ。携帯電話だけは逃げられない。今日も喫煙場所でいきなり携帯で話し始める人がすぐそばにいたので、非常にまいった。逃げる時間がなかった。せめてその人に背中を向けて、飛沫が背面にかかるようにするしかなかった。
会食よりも、人中での携帯電話の方が感染の影響が大きいのではないかと僕は思うのだけれど、いかがなものだろうか。
さて、今日もあと帰宅するだけだ。帰宅後は4時間ほど本を読む予定を立てている。21時から翌1時までだ。それで2時ころに就眠というプランだ。
仕事が激減していることに対しては何らかの対策を立てていかなければならないんだけれど、今はジタバタやってもそれで仕事が増えるという見込みも薄いのだから、時間のあるうちに本を読んでおこうと決めている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)