<T025-04>文献の中のクライアントたち(4) 

 

 文献の中で出会ったクライアントたちを綴ろう。この人たちのことを忘れないために。 

(clはクライアントを、thは臨床家、カウンセラー、医師を指す。( )内の文言は僕の解説等である 

 

 今回、取り上げたクライアントたち 

<cl16> 34歳男性海軍大尉 アルコール性幻覚 

<cl17> シーラ 14歳女子 薬物嗜癖 

<cl18> G氏 42歳男性セールスマン 抑うつ性反応 

<cl19> T氏 33歳男性 躁うつ性反応 

<cl20> グラディス 17歳女性高校生 破瓜型分裂病 

 

<cl16> 34歳男性 海軍大尉 アルコール性幻覚 トンプソンによる症例 

 彼は休暇期間中、ずっと飲酒を続け、その後、帰船して任務についた。何日間は変わった行動もなく過ごす。彼の症状は急激に現れた。後に、彼の上官は、彼がそのような状態に陥っているなんらの徴候も認められなかったと述べている。 

 彼は何時間も自分の任務をサボり、自分の部屋に鍵をかけて閉じこもっていた。上官がドアを開けるように命令すると、「あなたは私を逮捕することはできないし、私を殺すこともできない。私の方が先にあなたを殺すから」と答えて、ドアを開けようとはしなかった。そこで上官たちがドアをこじ開けて部屋に入ると、彼は剣を持って上官たちに斬りつけてきた。彼は剣を取り上げられ、皆に取り押さえられた。その時、彼は「昨夜、仲間の仕官たちが自分を殺そうと相談しているのを聞いた。だから自分は部屋に閉じこもったのだ」と叫んだ。そして、「この計画は自分が船に戻る数日前に立てられ、そのことを自分は船に戻ってから知った」と言った。 

 検査の結果、彼の知的能力は元のままであり、記憶障害なども認められなかった。注意力、認識力、理解力の欠損もなかった。彼はすべての領域でうまく適応していた。記憶においても確かであり、一般知識や知能も元のままであった。 

 しかし、唯一の障害として、洞察力と判断力の欠如、迫害者が絶えず自分を脅迫しているという幻聴が確認された。 

 彼は自分の船室に閉じこもり、毎晩飲酒していた。彼の幻覚は三週間にわたる治療の後、次第に除去された。幻覚の消失に伴い、洞察力や判断力も次第に回復し、元の任務に戻ることができた。 

 (僕にとっては耳に痛いアルコール障害の例だ。年齢的に若いことと急性の症状であったことで後遺症が残らなかったのだろう) 

 

<cl17> シーラ 14歳女子 薬物嗜癖 

 シーラは14歳、赤毛の健康そうな少女だった。父親は市内でレストランを経営しており、母親は病院勤務。 

 「私は13歳になるまでヘロインを使ったことはありませんでした。みんなと同じようになりたくて薬を飲み始めたのだと思います。私には尊敬する先輩や同じ年代の仲間がいましたが、彼らは薬を飲んでいました。私もみんなと同じようになりたかったのです。私はピルとポットに手を出しました。その後、夏休みにイスラエルに行きました。帰ってくると、友人たちはみんなヘロインをやっていました。しばらくの間、私は彼らを軽蔑し、叱りつけていたのですが、とうとう自分も常用するようになってしまいました。そして、その後、情緒障害児の学校へ送られたのです。町に出れば、ヘロイン以外の薬を手に入れることは簡単なことでした。ヘロインはなかなか手に入りません。ヘロインの魔力はすごいもので、私はその力に負けてしまったのです」 

 「私はみんなと同じように薬を用いなければ仲間に入れてもらえないのではないかと不安でした。私の気持ちは複雑でした。私は彼らに好かれたかった。彼らはすべてのことに飽きてしまったため、薬物を用いることへと陥ったのです。両親は、私がこんな状態になるまで一度も薬についての話をしてくれませんでした。薬物嗜癖に陥ってからも何度も父と会いましたが、父は何も言いませんでした。また、母も私を叱りませんでした。私は両親とそのことについて話し合いました。私は母のところへ行って、『これが最後よ』と私に言ってくれるように話したのです。しかし、母は何も言ってくれませんでした」 

 (14歳の少女がよく話したなあと感心する。依存症者には周囲に気づかれないという人が多いように思うのだけど、彼女もそうだったのかもしれない。彼女の場合、仲間に入りたいという欲求が主要な動機であり、薬物そのものは副次的な意味しかなかったことは幸いである。薬物に対して敗北宣言をしている点も素晴らしい) 

 

<cl18> G氏 42歳男性セールスマン 抑うつ性反応 

 G氏は極度の憎悪、泣き叫ぶ、抑うつ、自殺念慮といった症状を訴え、入院した。 

 入院面接時の彼の話し方や動作は非常にゆっくりしたものだった。病気のことや経済状況について話すとき、大きなため息をついたり、周期的に泣き叫んだりする。自分は食欲がまったくなくなり、注意の集中に欠け、睡眠障害も引き起こしていると訴えている。 

 彼のこうした徴候は4ヶ月前に母親の遺産を受け取った頃から始まっていることが分かった。 

 彼は、母親とは上手くいっていなかったが、母親の遺産は自分が受け取れるものと信じていた。そのため、彼は通常以上の出費をしたのだが、現実には、母親は遺産のほとんどを慈善事業団体に寄付してしまっており、彼にはわずかばかりの金額を残しただけだった。そのため彼は非常な経済的圧迫を蒙るようになった。 

 それに伴って、彼は考えたり、決断を下したりすることができなくなっていった。そればかりか、一日中、家に閉じこもって、大酒を飲むようになっていった。 

 入院する一週間ほど前から寝られなくなり、ベッドの中で過ごす時間が多くなっていく。家族とも話をしなくなった。家族が彼を勇気づけようとすると、彼は激しいため息をつき、泣き出し、部屋を飛び出していった。 

 入院してから、彼に効果が見られたECT(電気痙攣療法)を継続する。二週間もすると、食欲は戻り、眠れるようにもなっていった(これは薬の効果もある)。 

 入院中は、他に集団療法も受けている。彼は自分がなぜこのような状況に陥ったかについて、理解できるとようになっていった。 

 退院後、自らの希望で、彼は外来で精神療法を継続して受けた。 

(母親と上手くいっていなかったとは言え、G氏は彼なりに母親喪失の経験をしたように思う。彼からすると、母親は息子よりも慈善事業を優先したように見えたかもしれない。また、過剰な出費があったということだけど、躁的防衛であったかもしれない。母親が死ぬ前から、母親の死後の自分を生きようとしていたのかもしれない。) 

 

<cl19> T氏 33歳男性 躁うつ性反応 

 T氏は小規模の町の助役という管理職の立場にあった。彼は他の町で助役をしていたが、彼の能力を見込まれて、現在の町にスカウトされたのだった。 

 最初の年は順調であった。市民へのサービスを向上させる多くの施策が開始された。さらに多くの施策が計画されていた。 

しかし、結局、彼は何も成果を上げることができなかった。そのため、市民や委員会、労働組合の人たちは、彼の努力に対して、単に調子を合わせるだけになった。 

彼はいつでも電話をかけていた。42の州知事に対して電話することもあった。その頃から彼の社会的行動には多くの問題が現れはじめた。そして、まったく軽率な性的問題で、彼は町の婦人たちと衝突することになってしまった。 

 T氏の行動はキューバ危機の頃にはさらに激しくなっていた。彼は兵役を志願し、キューバへ進撃するための志願兵によるゲリラ部隊を組織しようとした。この組織に市民を引き入れることに彼は失敗し、彼は州兵になることにした。州兵になっていれば、必ず非常事態には呼び出されることになるからであった。 

 彼の行動はますます突飛で、騒々しくなってきたために、妻や友人たちによって病院に連れてこられた。彼が、共産党に入っている人たちを陰謀者として非難し、収監しようとした直後のことだった。 

 初回面接時、彼はひっきりなしに動き回り、次から次へと話題を変化させながら話し続けた。彼の情緒状態は非常に調子の高い様相を呈していた。 

 彼は落ち着きがなく、興奮しやすく、周囲の集中に欠け、さらに外側からの刺激に心を乱された時には激しい怒りの状態を示すが、それでもすぐにもとの状態に戻って、意気揚々となり、自分の一代記を書いて、それを映画化するのだと熱っぽく話し続けたりする。 

 妻の話では、彼は以前にも2度ほど、同様の理由により、入院しなければならないような状態に陥ったことがあった。そして、彼のこの躁状態の間にもうつ状態が見られ、そういう時は、彼はまったく働こうとせず、何日でもベッドの中に閉じこもり、人を避けていたという。 

(躁病というのは、ある意味で、とてもタチが悪いと僕は思っている。そういう人の行動は、いわゆるヴァイタリティのある人の行動とはまったく違っているという点に注意してほしいと思う。躁病の活動は、極端から極端に走り、根が張ってなく、筋が通っていないという印象を受ける。この一貫性の無さが一つの特徴だ。そうした点を読み取ってくれればと思う 

 

<cl20> グラディス 17歳女性 高校生 破瓜型分裂病 アリエティによる症例 

 グラディスは17歳の高校生だった。三人姉妹の末っ子で、二人の姉は良好な適応を示していた。両親はうつ病で治療を受けた経験がある。両親は金銭問題でしばしば喧嘩をする。 

 学校での彼女は、始めはうまく適応していた。しかし、試験が近づくにつれて、彼女は急に心配になりはじめ、とうとう試験に失敗してしまった。 

 3月、診察に来た彼女は非常な興奮状態にあった。すぐに「私は試験を受けなければならない。しかし、まったく勉強していない」と彼女は話す。そして、絶えず「私は学校へ行ってもいいですか? 試験を受けてもいいですか?」と、同じ質問を繰り返すが、安心を得ることが彼女にはできなかった。 

 見たところ、彼女は敏捷であり、情緒的にも活発であって、よい接触状況にあるかのように思われたが、thの言ったことを彼女は何一つとして覚えていなかった。 

 ある夜、彼女は非常な興奮状態に陥り、自殺念慮にとりつかれ、入院となった。入院時の彼女は極端に困惑しており、活動過多で、反抗的であった。質問をされても、喋ろうとするが言葉を発することができないかのように、唇を動かすだけだった。時折、かすかなすすり泣きの声を発するだけだった。 

 入院二日目。彼女は他の患者の前で自慰をしたり、自分の顔の皮を引っ張ったりした。落ち着きが無く、絶えず動き回り、大声を出していた。その他の時は、窓辺の椅子に座り、ぼんやりと外を眺めているだけだった。そして、彼女は拒食反応を示したので、チューブにより食物をとらなければならなくなった。普段の彼女は、馬鹿げたことでゲラゲラ笑い、気まぐれで、高揚した気分を示し、ペラペラお喋りをするが、内容はまったく支離滅裂なものだった。 

 数週間後、ロシア人が自分を収容所に入れたという観念に彼女はとりつかれる。電気ショック療法を受けたが、彼女はその時、一人の看護婦を母親であるという誤認をした。 

 彼女はさまざまな行動を現し続けた。治療スタッフは、彼女に精神療法は不可能と判断し、電気ショック療法とインシュリン療法が施されることとなったが、彼女の症状にはなんの変化も現れなかった。そして、彼女の退行はますます激しいものとなっていった。 

 8月にはソラジンの多量投与が行われた。その後、彼女はしだいに精神療法に動かされるようになり、感応を示すようになった。 

 9月、彼女は退院が許された。危険な状態から脱したと判断されたからである。しかし、彼女にはソワソワした態度とか不適切な冗談を言う傾向はそのまま残された。彼女は、その後も精神療法を受けたが、回復は非常に遅々としたものであった。 

(以前は精神分裂病と呼ばれていたが、その破瓜型の症例である。動き回ったり、笑い転げたりと、何となく躁病のような印象を受けるかもしれないけど、幼児的というか児戯的な感情に支配されている点が破瓜形分裂病らしいところである。暴力行為も不適切な行為も、どこか幼児的感情で彩られているところが特徴的である) 

 

<テキスト> 

『異常心理学』(J・N・ブッチャー)福村出版 より 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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