<T025-1>文献の中のクライアントたち(1) 

 

 僕が出会えるクライアントの数は知れている。一生の間に経験できるクライアントには限りがある。大部分の人と僕は出会うことがない。文献の中にもたくさんの出会うことのなかったクライアントたちがいる。僕は彼らと文献を通して関係する。出会うことのなかった人たちに思いを馳せて抜粋させてもらおうと思う。 

 clはクライアントの略。( )内の文章は僕の見解なり感想なりを示している。 

 本ページには以下の8例を収録 

 

<cl1> 42歳会社員男性 

<cl2> 30歳主婦 不安神経症 

<cl3> アニー 17歳女性 転換ヒステリー 

<cl4> 21歳女性 母親 解離性健忘 

<cl5> アルフレッド 37歳 事務機器セールスマン 閉所恐怖 

<cl6> 40歳男性 強迫性障害 

<cl7> 木恐怖の男性 

<cl8> 一兵士の経験 

 

cl01> 42歳会社員男性 

 このclは昇進のチャンスを何度も逃していた。彼は劣等感や不安定感をたえず抱いていた。そのため、彼は会社における自分の価値をいつも意識し、求め続けた。彼はそれを上司からの承認という形で得ようとしてきた。それによって自己の安定感を確保しようとしてきた。やがて、業務遂行の際に、監督者からの援助を求めるようになっていく。監督者は彼に対して寛大な態度を示さなかった。そうして、彼は監督者に対して自分の拒否的な感情をぶつけたり、仲間に対して監督者を批判するようになったが、そうすることによって彼は自分の感じている恐れや不安から逃れようとしていたのだった。 

 (かつて陽性の対象であった人が攻撃の対象になるものである。また、人は怒りによって自己の不安や恐怖をごまかすものだと思う 

 

<cl2> 30歳主婦 不安神経症 

 彼女は二ヶ月ほど前から神経過敏状態に陥り、精神科で外来治療を受けていた。このような状態に置かれている時、彼女は非常に過敏となり、怒りっぽく、心配性となり、さらに下腹部の痛みや手足の疼きを経験していた。 

 初回面接時、彼女はすでに過敏状態にあり、不明瞭な恐怖の襲来に耐えられなくなり、泣き叫んだ。 

 彼女には次のような経験があった。それは彼女の妹が入院している間、妹の子供たち(姪たち)の世話をしていた。彼女の不安発作は、妹が姪たちを急に連れて帰った時から始まったことが分かった。 

 彼女自身は7人姉妹の長女であった。子供の頃から妹たちの面倒を任されてきた。母親が出産のために入院した時など、彼女は妹たちの世話をすべてこなしたのだった。 

 彼女はたくさんの家族の中で生活することを望んでいたが、結婚8年目にして、彼女は自分が子供を産めないことを知ってしまう。 

 彼女の不安反応は、子供が欲しいという願望と、自分には子供を産む能力がないという事実との葛藤によって引き起こされたものだった。姪たちを手放さなければならないという事実が、彼女の葛藤を再燃焼させたのだった。そのために、症状も急激に展開されたのだった。 

 (彼女は自分が子供を産めないという事実をかなり致命的な事実として体験してしまったのだろうと僕は思う。そのため、養子を育てるとか、孤児院で奉仕活動するとか、幼稚園で働くとかといった代理行動を見出すことができなかったのだろうと思う) 

 

<cl3> アニー 17歳女性 転換ヒステリー 

 アニーは二週間ほど前から声が出なくなり、喋ることができなくなった。彼女のこの徴候は、両親から会うことを禁じられていた男性とのデートの後から始まった。 

 初回面接時、彼女は自分の症状について不安に陥ったり、狼狽している様子がなかった(感情が解離されているようだ)。そして、「私はもうデートできるとは思っていない」と小さな声で話した。 

 翌日の2回目面接から、催眠状態のもとで面接が行われた。彼女は速やかに催眠状態に入り、そこでは流暢に話をした。それによると、彼女は初めてのデートで、彼女の意志に反して、相手の男性とキスをした。その後、帰宅してからこの症状が始まったのだが、彼女は「妊娠するのではないか」「母親にどう話したらいいのか」ととても心配になった。ちなみに、彼女は口から受胎すると信じており、性に対する誤解や未熟さが起因となっている。 

 その後の面接から明らかになったことは、彼女は一人っ子であり、父親性犯罪のために投獄されてから、母親と二人暮しをしていた。彼女が6歳の頃のことだ。 

 また、彼女は父親が投獄される前に、父親から性的いたずらを受けたことがあった。母親は狂信的な信仰家であり、教会や宗教のことで父母は口論した。このような環境にあって、彼女はとても性的なことを口にすることができなかった。 

 このような家庭生活のために、一般的な性的感情を経験したり、自然な肉体的要求に対して、彼女は罪悪感を抱くようになった。 

 母親の意志に背いてデートをした時、当然の結果として生じた激しい不安に対して、彼女はなんら対処することができなかった。彼女の症状、声が出なくなるという症状は、彼女の「堕落」を母親に話さなくて済むようにしたのである。事実、この症状によって、彼女はその葛藤から逃れることができたのだ。 

 (古典的な転換ヒステリーの症例だ。性的にふしだらな父と厳格な母親の結びつきが興味深い。この両親はタブーで結合した夫婦であるという印象を受ける) 

 

<cl4> 21歳女性、母親、解離性健忘 

 彼女は21歳、既婚で幼児の母親だった。その性格は、外向的であり、多少軽薄なところがあり、未熟なところもかなりあった。 

 彼女は虫垂炎の手術を受けたが、麻酔から覚めた時、手術前の5年間の記憶を失っていた。彼女は16歳の時に交通事故に遭い、入院したことがあったが、彼女は自分が現在その交通事故のために入院しているのだと信じた。 

 退院後、自宅に戻ったが、彼女は自分の夫や子供が分からなかった。彼らが誰であるか、彼女には無関係になっていて、ただ「彼らはいい人たちだ」としか言えなかった。彼女は10代の若者が好んで読むような雑誌を読むようになる。現実には21歳の彼女は16歳に退行しているのだった。 

 彼女の夫は、大学を卒業後、彼の実家で自営業を営むことになった。彼女は友人たちとも別れたくないし、彼の母親の監視下で生活することも辛いことだと思った。 

 手術の前日、夫とその母親は引越しの準備のために彼女のもとにやってきた。そこでこの母親は、息子の嫁となる彼女に対して、家計のやりくりや服装のことなどを遠慮なく批判したのだった。 

 彼女の健忘は、彼女にとって、義母の存在を除去するものであった。つまり、彼女が結婚していなければ義母の存在もありえないことになる。また、結婚による責任も生じていないし、子供の世話をすることもなく、友人たちとも別れる必要もなくなる。彼女は現在の環境から逃れるために、10代の生活に戻ったのだった。 

 (夫や子供のことさえ健忘してしまうとは、この生活が彼女にとってよほど呪わしいものだったことを伺わせる) 

 

<cl5> アルフレッド 37歳 事務機器セールスマン、閉所恐怖 

 アルフレッドの閉所恐怖は治療の3ヶ月前に始まった。最初はエレベーターだったが、今では自動車や狭い部屋に対しても恐怖感を抱いている。 

 性格は消極的で、話し方や行動は控えめ、優柔不断、どことなく弱々しい感じを与える。セールスマンとして働いているが、この半年で数台しか売ることができなかった。彼はいろいろな会社でセールスマンとして働いてきたが、どこでも成績は最低であった。 

 現在の会社に勤め始めてまもなく、セールス中に心臓が高鳴ることに彼は気づく。その時から、彼はどれだけ寒い日でも汗をかくようになった。 

 ある時、事務機器のデモンストレーターに彼は選ばれる。エレベーターに乗り、会場の19階に向かう途中、突如「パニック」に襲われ、彼はエレベーターを飛び出し、階段を駆け下りて逃げ出したのだった。 

 その後も彼はエレベーターを恐れ、近づかなかった。重い機器を持って階段を昇降することもできず、彼の行動範囲は極端に狭められることになった。その後、二週間もすると、彼は自動車も恐れるようになり、そのため自宅から一歩も外に出ることができなくなってしまった。 

 このケースでは、セールスマンとしての失敗経験に伴う不安がエレベーターに置き換えられている。この恐怖によって、葛藤の原因でもあったセールスの仕事をしなくても済むようになったのである。症状にはこうした保護機能がある。また、彼の閉所恐怖は、彼が抱いている不安の真相を覆い隠すことに役立っている。つまり、セールスマンとしての自分の失格を覆い隠すという結果にもなっている。 

 (アルフレッドは自分に不向きな仕事ばかりを繰り返してきたのだなと感じる。案外、そこにもっと深刻な葛藤が潜んでいるかもしれない。) 

 

<cl6> 40歳男性 強迫性障害 

 入院中の40歳男性患者。彼の生活は極端に抑圧され、統制されたものだった。毎朝目覚めると、ベッドの足の部分の毛布とシーツをきっちりたたみ、それから服を着る。必ず彼が決めた順序に従って行動する。また、就眠の時はそれと逆の手順を踏む。毎日、これらの作業を遂行するのに2時間を要する。 

 食事においても、着席する前に食器を一列に並べ、一定の順序で料理を取る。 

 彼の日常行動は、食事のための往復とベッドまで歩くことであった。歩き方や歩く場所にも非常に気を使う。ホールに下りる時も、決められた歩数で辿り着かなければならなかった。その通りにいかなかった場合、彼は不安に襲われ、元の場所に戻ってやり直す。 

 エレベーターに乗る時も彼は非常に長い時間を費やす。彼は自分の決めたエレベーターに乗ることにしており、尚且つ、正しい時間に乗る。その時間に、そのエレベーターに乗れないと、彼は不安になり、自分にとって安全なエレベーターに乗るために、いろいろな組み合わせの順序にボタンを押す。 

 彼のジェスチャーや表情は、まるで操り人形のようであり、儀式的であった。彼の示すしかめ面や動作の一つ一つは、危機を回避して、パニックに陥ることを防ぐために計算されたものだった。 

 (この人はもはや生きていて生命感情を経験できなくなっているように思う。身近でこういう人がいたら、僕はその人をつまらん人だと思うかもしれない) 

 

<cl7> 木恐怖の男性 

 木の傍に寄ったり、木を見ただけで恐怖におののくようになった男性。彼のその恐怖心は屋内に入ることによって解消される。 

 この男性は朝鮮戦争に出兵した経験がある。その時、森の中でキャンプしている彼らを敵兵が襲撃してきた。彼は森の中を逃げ惑った。 

 彼の恐怖症は、その時の恐怖対象が木に置き換えられたものと考えられる。木という脅威をもたらす対象は、危険の象徴ともなっている。 

 (どうして、砲弾や爆音、銃声、敵兵の声といった他のものではなく、木なのかということは不明である。しかし、次のことを知っておくと、こういうケースが起こり得ることも頷ける。事故に遭ったときなど、その時の情景を鮮明に覚えていることがある。その時に、普段なら気にも留めないような小さなことまで知覚していたりして、それが後々まで記憶に残っているというような経験を人はすることがある。この男性にもそれに似たような経験があるのかもしれない 

 

<cl8> 一兵士の経験 

 彼は休暇まで歩兵隊に属していた。彼の所属する隊が前線へ復帰する前日、彼は見当識障害や幻覚の徴候を現した。 

 彼は経験不足の士官であった。明日からの戦争に対する推測だけで、彼の挫折を引き起こすのに十分なストレスになったのだった。 

 (現実に悲惨な体験をしなくても、悲惨な体験を予期するだけでこうした症状が生まれることもある。特に生命に関わるような出来事であれば尚更だろうとも思う。) 

 

<テキスト> 

『異常心理学』(J・N・ブッチャー)福村出版 より 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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