10月21日(日):早朝にて
昨日は夜まで仕事をして、夜から早朝までアルバイトに行く。このアルバイトは電気の設備点検の方のバイトだ。朝の4時ころ解散となる。始発電車が出るまで、京都の木屋町辺りで時間を潰す。ファストフード店で軽く食事をする。考えてみると、昨日は夕食抜きでそのまま徹夜しているので、さすがに腹が減ったのだ。それから近くのコンビニに入って、タバコを買い、一服する。あの辺りは人通りが絶えない。朝の4時だというのに。道端で寝転がっている人や、この時間で呼び込みをしている違法店の人たちもいる。なんとまあ賑やかなことだ。
それから始発電車に乗る。5時発の電車だ。けっこうそれに乗る人が多かった。いや、これは正確に言うと、かつてほどの多さではないが、僕が思っていた以上に乗客があったという意味だ。木屋町や河原町も年々廃れていっているのは明らかだ。だから思っていた以上に乗客があって、びっくりしたというだけのことだ。その乗客の大半は夜通し飲んでいた人たちだ。かつては僕もそれをしていた。朝まで飲むのだ。高槻に来てからはそれをしなくなった。年に一回あるかないかという程度になった。そこまでお酒が欲しいとは思わなくなっている。
5時発の始発電車に乗ると、高槻には5時半に到着する。そこから喫茶店に入って、これを書いている。あと二時間もすれば事務所の建物が開く。それまでここで書き物をしていよう。
一旦帰宅しても良かったが、家に帰ると必ず寝てしまう。そうすると朝の仕事に間に合わなくなるのではないかと心配になる。だから、帰らずに高槻に直行して、ビルが開くまで作業をしていようというわけだ。事務所に入れば、そこから仮眠を取ればいい。とにかくそうしておけば遅刻の心配はない。
夜中でも働いている人たちは多い。ファストフード店やコンビニなどの24時間営業の店はもちろんのこと、飲み屋やタクシーの運転手、ホテル、そして警官と。すべて今朝目にした人たちだ。女性も多い。大半は飲み屋とか風俗店とか、そういう所で働いている人たちだろう。見た目に派手なのでそう思う。彼女たちを見ても何もいいとは思わない。彼女たちにお酒の相手をしてもらうくらいなら、独りで飲む方がましだと思うようになっている。
いつだったか、飲み友達のY君に連れられてガールズバーに行った。足の怪我で、まだ杖を突いて歩いていたころだから、今年の夏の話だ。梅田にある店で、とにかく安いというので連れられたのだ。確かにあの手の店にしては格安の料金だったけれど、女性たちとはあまり楽しめなかった。Y君との付き合いという感覚しかなかった。
今朝のように、朝の4時に解散となったら、昔だったら、そこから飲みに行っていた。今はそんなことをする気力もない。いや、気力がないというだけではないな。他にやることがあるからそれをしないのだという感じでもある。それよりも、外側の快楽にはだんだん興味が失せている自分を発見する。これをどう捉えるかは現時点では何とも言えない。それにどのような意味があるかとか、そういうことは常に後にならないと分からないものだ。人生を楽しめなくなっているのか、それともより内的な価値が重要になってきているのか、今のところ、どちらとも分からない。
取り留めもない話をしてしまったな。外はぼちぼち明るくなってきている。夜明けの時間帯ってけっこういいなと思う。今日も一日始まる。どんな一日になるかではなく、今日をどんな一日にしたいと僕が望んでいるかで、今日の一日が決まるものだ。今日もしっかり生きようと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)