11月25日(日):時刻表
今日は仕事を休みにしている。ちょっとした招待をされて、ある所に出かけることになっていた。そこへは行ったことがない。僕が、初めて行くからということを言うと、親切にも先方さんが時刻表と乗換案内をFAXで送ってくれた。今日はそれに従って、現地に行ってみることにした。
便利なものもあるものだと僕は思った。それには「○○駅何時発」から始まって、「××線乗換、待ち時間4分」とか、何番線に乗り換えるとか、乗降口は前であるとか、かかる時間、費用まで、逐一掲載されている。そして、それに従って、電車に乗る。間違えることもないし、考える必要もない。とてもラクだ。
しかしながら、それに従って、確かに現地に到着することができたとは言え、この何とも言えない空しい感じは何であろうか。
初めての場所に赴く際、いつもなら、どれくらいの時間がかかるかを概算して、それから時間を逆算して、家を出る時間を決めていただろう。そして、実際に乗り換えの駅に着くと、何番線に乗り換えたらいいのか調べ、次に来る電車は何分かなとか、いろいろ考える。待ち時間があるとすれば、その間に何をしておこうとかを考えることもある。
こういう作業は不便なようでいて、実際には、主体的に動いているという感覚を僕に与えてくれている。僕にとってはけっこう意義深い作業だったんだなと改めて思う。
先方さんがわざわざ送付してくれたから、それを利用しないと悪い気がするので、今回はその時刻表に忠実に従ったわけだ。でも、それは「何時の電車に乗りなさいよ」「××駅で前の方に降りて、何番線に乗り換えなさいよ」ということを逐一指示されているような感じである。僕の思考も行動もすべてそれが規定する。僕はそれの支配下に置かれてしまっているようなものだ。僕は何も考えなくてもいい、何も決めなくてもいい、それが僕のすること考えることを決定してくれているのだから。それが指示するままに、それが導くままに、僕は自分の意志を持つこともなく、動くだけである。これは本当に便利なツールなのだろうか、僕は疑問に思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)