10月5日(金):女性友達を見かける
昨夜、かつての女性友達を見かけた。ただ見かけたというだけだ。僕の中で何かが動くこともない。見かけたのは、僕がいつも夜中に訪れる喫茶店でだ。
昨日は21時まで職場で仕事をしていた。その後、夜勤があったので、23時には電車に乗って、現場に向かわなければならなかった。その間の時間、僕はいつもの喫茶店にいて、少し食事をして、書き物をしていたのだ。
彼女は僕に気づいたのかどうか知らない。ただ、彼女はそそくさと店を出て行った。どうぞご勝手にという感じだ。僕には僕の現実がある。この後、夜勤をしなくてはいけない。それまでに終わらせたいことがある。一々彼女のことで動揺している暇はない。
実際、何も感じなかった。ただ、ああ、彼女だなと認識しただけであり、感情的には何も生じなかった。彼女は僕にはもう過去の人なんだ。お互いに交わることのない人生を送っている他人同士だ。
こんなことを言う僕は冷たい人間だと思われるかもしれない。でも、どうしようもないじゃないか。こうなったものは。
僕は少し変わっているようだ。男性にしてはという意味だ。他の男性の話を聞くと、別れた女性の物を何か残していたりするそうだ。僕はそれを一切しない。過去に交際した女性や好きになった女性のものは僕は何一つ残さない。それでいて苦しくないのだ。
何一つ残さないというのは言い過ぎだな。振り返ると一つくらいは残っていたりするけれど、多くは残さない。記念の品を残すほどロマンチストじゃないんだろう。
それと言うのも、別れたらそれまでだと思うからなのだ。いくら記念品を残しておいたとしても、その人自身が戻ってくるわけではないだろう。その人がいなくなるのなら、記念品を残しておいても、僕には何一つ助けにはならない。残していいのは記憶とか思い出だけだ。
女性友達には未練もない。今は僕にはYさんがいてくれるので、全然辛くない。Yさんもまたプレゼントとか交換したがるという困った傾向がある。贈り物はいただくけれど、別れたりしたら、僕はそれを破棄する。交際している間は残しておくけれど、別れたり、他人同士になった時には、遠慮なく処分させてもらう。そうでないと、あまりにも辛すぎるからだ。つまり、残しておく方が僕には辛いのだ。
昨年、いや、一昨年だったかな、このブログでも書いたけれど、僕が若い頃からお世話になったアルバイト先の社長さんが亡くなった。その頃、僕は酒を断っていて、クライアントから貰ったお酒が封も開けられずに家に置いてあった。その社長さんがお酒を嗜むそうなので、社長に呑んでもらおうと思っていた。でも、それが実現する前に社長が亡くなったのだ。その人が亡くなり、その人に呑んでもらおうと思っていたお酒が残ったわけだけれど、こういうシチュエーションが僕にはとても辛いのだ。それから、そのお酒を目にする度に、もう少し早くやっておけばよかったっていうような後悔の念に襲われたものだ。
品物が残っていると、そういう気持ちに襲われることは必至だ。だからその人と決別した暁には、その人に関する品物は処分しようと決めている。
女性友達の話からちょっと広がり過ぎたようだ。女性友達が置いて行ったものが一つだけある。それも近いうちに処分しようと考えている。Yさんに言わせると、品物には罪がないんだから置いておきなさいよということになる。それは確かにそうだ。品物には罪がない。でも、その品物にまつわる感情に罪があるわけだ。女性友達がくれた品を処分して、新しく買い換えようと考えていた頃、僕の骨折事故が生じて、有耶無耶になっていたな。足の具合も良くなってきたし、次の休みの時(いつになるやらだけど)には、これをきちんと終わらせようと思っている。過去のものは過去に置いておく。いや、過去にしていくと言った方が正しいかな。処分するのはそのための儀式みたいなものだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)