10月18日(木):シフトは大目に
昨夜はYさんと会っていた。彼女の方は仕事のシフトがうまくいかなくて困っている。特に昼間の方の仕事だ。夜の仕事の方もいささか不安定だ。時代が時代なので、バイトのシフトも不安定にならざるを得ないのだろう。こうした不安定さに耐えるだけの強さがYさんにもう少しあればいいなと思う。
僕もコンビニのバイトを再開している。当然、シフトの希望を出している。しかしながら、この希望通りにシフトが組まれたのは、今のところ、一回だけである。だから毎週予定が変動することになる。時には都合の悪い時にシフトが入ってきたりもする。それでも何とかして都合をつけて、店側の事情に合わせようとしている。
僕が学生の頃には考えられなかったことだ。例えば、20時から24時まで働くことになっているとする。でも、今日は暇だからということで23時で帰らされる。働く側は24時まで勤務するつもりでいたのに、店側の事情で一時間短縮させられてしまうのだ。そして、短縮した分の時給は発生しないのだ。週3回で希望を出していたのに、いつのまにか週二回とか週一回になっていたりする。こういうのも珍しくなくなったように思う。これも一昔前では考えられない状況である。
だからシフトの希望を出すときには大目に出しておく方がいいのだ。本当は週三回希望のところを、週に四日入れますと言っておいた方がいいのだ。週に12時間くらい働けたらいいと思っていても、希望を出すときには週に20時間働きたいと言っておいた方がよかったのだ。状況に応じて労働時間が増減するのが今のバイト生の状況だからだ。
Yさんにもかつてそういうことを伝えたことがある。大目に希望をだしておいたらいいということを。昼だけでなく、夜も都合がつけば入れますと言っておけば良かったのだ。それをYさんは、そんなこと自分で決めると言って、僕の忠言など聞き入れなかったのだ。それで、今、勤務時間が短縮されて嘆いているのだから、僕からすれば自業自得というものだ。
僕のバイトの方も、僕の希望よりも雇い主側の事情でコロコロ変動する。電気の点検の方などは、現場の作業員が足りないという時にしか呼ばれない。だから不定期に呼ばれるわけだ。コンビニの方も、6時間の夜勤を週に二回だから、最低でも12時間は働きたいのだ。時間帯も曜日も僕の希望通りにはいかなくとも、週に12時間を切らない限り、僕は文句は言わないつもりだ。たとえその12時間が一日で消化されても文句は言わないのだ。
あまり政治や経済の話はこのブログではしたくないのだけれど、日本はすでに無職時代に突入している。日本全体に仕事がないのだ。仕事があっても利益をきちんと出している所は限られているだろう。大半は赤字ないしはカツカツの状況だろうと思う。大手の電機メーカーでさえ大規模な人員削減をしている状況だ。このままいけば、いずれ日本経済は破綻するだろう。
よく人は誤解しているのだけれど、この不況はリーマンショックのためだと考えている人が多いようである。そうではないと僕は考えている。それ以前から積み重ねてきたものが、リーマンショックで爆発しただけのことだ。それ以前の企業買収が合法的になったことも影響している。企業はライバル企業よりも優れた商品を開発することではなく、ライバル企業を買収することに熱を上げてしまって、それもまた労働の縮小を生み出しているわけだ。そして、企業買収以前の出来事も現在の状況と結びついている。くどくどと述べないが、要は過去からの積み重ねが現在を作っているわけで、ある一時点の出来事がもたらしたものではないということなのだ。
世の中は先が見えない。僕の仕事も不安定だ。仕事がある時とない時の格差は本当に大きい。どの職種でもそうだろうと思う。正社員として雇用されることは困難であるが、バイトの募集は極めて多い。一つのバイトにたくさんの応募が殺到したりするし、バイトの採用が決まっても、希望通りには働かせてもらえないという状況があるわけだ。極めて不安定な基盤の上に僕たちは生活している。これはYさんだけに限ったことではない。常に揺れ動き、不安定な状況の中で、僕たちはどうやって自己の同一性を保ち、職業的アイデンティティを築き上げ、自己を確固としたものにしていけるだろうか。僕もまたそういう問題に取り組んでいるのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)