10月20日(土):ギャンブル依存1
依存症の問題に取り組みたいと思っている。特にパチンコやスロットなどの、いわゆるギャンブル依存の人たちを援助したいという気持ちが強まっている。少人数のワークショップをやってみたいと前々から考えているのだけれど、まだ、具体的な内容がまとまらないので、告知できないでいる。来年の1月や2月くらいには始められたらと計画している。興味のある方は、今後、告知欄や関連ブログを見ていただければと思います。
僕はパチンコをしない。負けると分かっているからだ。恐らく、パチンコ人口の大部分の人は負けているはずだって僕は捉えている。そうでないとパチンコ屋が儲かるはずがないからだ。
パチンコの上手い人、勝つ人もある。それは認める。しかし、そのような人でも常に勝つとは限らなくて、トータルするとやはりマイナスなのではないかと思う。大体、10取られて、7戻ってくればいい方ではないかと思う。戻ってきた7の方だけを見て、自分はパチンコが上手いと主張するのは間違いである。彼らは取られた方を忘却しているのだ。
それでも本当に上手い人がいるということも僕は認めている。彼らは動体視力がすごくいいようだ。個々のパチンコ玉の動きとか、中央のスロットの絵柄とかが見えると言うのだ。仮に僕がスロットマシンをしても、個々の絵柄の区別はつかなくて、一本の色鮮やかな線状にしか見えないのだけど、彼らは回転している絵柄の一つ一つが識別できると言うのだ。彼らがそう言うのだから、実際、そう見えているのだろう。
まあ、そんなことはどうでもいい。僕はギャンブルをやめなさいなどと言っているのではない。成人男女はパチンコをする自由と権利がある。それらを奪おうと考えているのではないのだ。だからギャンブルを続けたい人は続けて構わないのだ。
僕が関わりたいのは、ギャンブルをやめようと思っていながら、やめられないという人のことだ。彼らがやめようと思うのであれば、それの力になりたいと考えているだけのことだ。そして、僕の個人的な価値観においても、ギャンブルをやめることはいいことだと思えるから、力になれないかと思っているだけなのだ。だから、やめたいと思っている人にだけ来て欲しい。
なぜ、ギャンブルをやめることがいいことかと言うと、パチンコもその他のギャンブルも、大元が儲かるようにできているのだ。つまり、ギャンブルをする人は、始めた瞬間に負けが決定されているようなものだと僕には思われるのだ。たまに勝つということがあったとしても、それは大元の手のひらの上で踊らされているようなもので、基本的には負け続けの人生になるものだと、僕はそう捉えている。
実際、ギャンブルにハマってしまったという人たちを何人か知っている。言葉は悪いけれど、言わせてもらえば、彼らは「敗北慣れ」しているのである。「負け癖」が身についてしまっているのである。一度でも自分が勝者になる場面を体験しない生き方を送っているように僕には見えるのだ。せっかくの人生を敗北者としてしか生きられないというのは、非常に不幸なことだと思う。
よく「明日こそは勝つ」とか「次で取り返す」ということを彼らは口にするのであるが、これは「負け癖」がついていることの立派な証拠なのである。「勝ち癖」がついている人なら、そんな風には言わないだろうと思う。立て続けに負けているから、次の勝負に期待してしまうものではないだろうか。
僕はギャンブルをしない。ギャンブルをしない僕が、どこまでギャンブルをやめられないという人のことを理解できるだろうか。そこには一抹の不安を感じているし、いろいろ勉強して学ばなければならないことも多いだろうと思う。でも、この問題の本質はギャンブルそのものにあるのではなく、その人の生き方にあるのだ。そう思うと、僕もいろいろ力になれそうだという期待が生まれてきている。僕もまた僕自身の生き方を抱えてきているのだから。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)