10月3日(水):ラクになる関係
月曜の朝から昨日の午後まで、とても多忙に過ごした。昨日午後からはYさんと一緒に過ごす。そこで気づいたことがある。Yさんと付き合うのが以前よりもラクになっているということだ。付き合いやすくなったという感じがある。
ところで、この「感じ」ということを僕はとても重要視している。心理的な変容とか成熟とかいうものは、目には見えないものだ。どこでそれが分かるかというと、自分が体験している「感じ」の変化である。僕はそう考えているので、自分の中で生じる「感じ」というものをとても大切にしている。
以前と何か違った「感じ」があるとすれば、それは以前とは何かが変わっている、それも内面の何かが変わっているということになる。
では、僕とYさんとの間で何が変わっただろうか。それを何とか言語化できればいいと思うのだけれど、なかなか難しい。簡単に言えば、僕もYさんも共に以前よりも成熟したからだろうと思う。精神的と言うか心理的な成熟度が、以前よりも高くなっているのだと思う。Yさんの体験している「感じ」は知る由もないが、僕はお互いに成熟があったのだと思う。
お互いが心理的に成熟すると、その人間関係はラクになるものだ。これは夫婦間であろうと、恋人間であろうと、友人同士の関係であろうと、みなそうである。もっともよく分かるのは親子関係だ。子供が成熟すると、親との関係はラクになる。子供が成熟すればするほど、子供にはその感じが増えていく。だから親離れ・子離れを達成した親子は、却って仲が良くなるのである。それもお互いに相手に対して一個人として付き合えるということなのだ。
若い頃に家出をして、それから20年近く親と絶縁しているという人もいる。その時家出した青年も今では立派な大人になっているが。自分が親になることは何があっても避けようとしている。この人の生き方なので、それはいいとか悪いとか言う権利は僕にはない。ただ、彼は未だに親との呪縛の中に生きている。現実には親との接点がなくても、親子関係に縛られたまま生きているわけだ。その人の親が何をしたか、どういう人なのか、僕は知らない。詳しく話してくれないからだ(これも呪縛の一部である)。この人は生涯独りで生きていくかもしれない。その人が自ら選んだ人生なのだから、それもいいだろう。でも、相当しんどい生き方をしているなとは思う。その人は自分がもっと成熟したら、もっと生きやすくなり、今よりももっと活動的になるということが自分でも信じられないのだろうと思う。「これが自分の生き方だ」と自ら限定してしまっているからで、そのような限定は常に人の視野を狭めるものだ。違った生き方ができるなんて、今のその人にはとても信じられないことだろうと思う。
とりとめもない話をしたが、僕もYさんも以前とは違っていると感じる。それも望ましい方に変わってきていると思っている。一昨日、一年前の僕とは全然違った生き方をしていると書いたけれど、恐らく、Yさんの方も同じだろう。お互いに変わっていくことができ、成熟していくことができるなら、これからもいろんな望ましいことが起きそうに思えている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)