<#015-16>2回目面接解説編(7)
S氏の2回目面接の解説を続けます。
(57)T:なかなか踏み出せない?
(58)S:ええ。(以下、少し話がまとまらない感じがあるので要約する。S氏は正規雇用のことを妻とも話し合ったことがあるそうだけど、取り合ってもらえなかったということである。妻は、彼がそんなことを考えるのは、子供のことを考えていないからだとか、私(妻)がやりたいことをやっていることに対して嫉妬しているからだとか、私(妻)の足を引っ張りたいためにそういうことを言っているのだとか、そんなことを言うらしい。彼はそんなことをまったく考えていないのだけれど、妻がそういう反応を示してくるので、この件に関する話し合いはきちんとなされることなく、彼は最後に混乱してしまうそうである)
(59)T:なんだか論点がズレていくようですね。Sさんは正規雇用で働きたいと望んでいるだけで、妻に店を畳めとか、そんなことを言っているわけではないんでしょう。
(60)S:実はそうでもないんです。(T:ほう!)。店を辞めろとまでは言わないけれど、これまでに何度か経営のことで僕が口出ししたことがあるんです。それで妻が激怒するんです。妻の事業に口出しするなんて夫としては最低だとか、そんなことまで言いだすんです。僕が正規雇用で働くということは、妻には自分の事業が失敗しているとみなされているように感じるのだと思うんです。
(解説)今の生活とか働き方を変えたいとS氏は願っているが、なかなかそれの実現に踏み出せない感じを受けるので、私はそのまま伝えています(57)。
(58)のS氏の話はいささか散漫な感じでありましたので、内容を要約して提示しています。話がまとまらないのは、さまざまな思惑とか場面とかが浮かび上がってくるからでありましょう。分かりやすく言えば、彼の中で混乱が生まれるのでまとまらない感じになってしまうのでしょう。というのは、前項で述べたように、彼にとって重要なテーマが一度に顕現したからであります。一つのことを話している最中にもその他のことが頭に思い浮かんだりして、それを逐次話していくので内容にまとまりを欠くことになったのだろうと私は考えています。
とりあえず押さえておきたい点は、彼は正規雇用で働きたいこと、正社員で働きたいことを妻に訴えても、妻はそれを取り合わないという点であります。それに関して話し合いをしても、論点がズレていくので、最後は彼が混乱してしまうということであります。端的に言えば、彼が正社員で働きたいという要望を出すだけで、妻はそれを「被害的」に解釈しているようであります。なぜ妻がそういう受け取り方をするのか、この時点ではまったく不明でありました。
(59)は私の思うところのものをそのまま述べたものであります。
(60)のS氏の発話は、妻の被害的解釈に関しての言及が見られます。彼は妻に店を辞めろとまでは言わないけれど、これまでにその経営に関して口を挟んだことがあるようです。そこに何か問題があったのでしょうけれど、ここではそれが具体的には分かりません。とにかく、彼が口を挟まずにはいられない何かが起きていたのでしょう。妻はそれを自分が経営失敗者であることを指摘されているように感じるようであります。彼が現実にどういうことを口にするのかはよく分かりませんが、やはり、妻は被害的に解釈しているように思われてくるのであります。
(61)T:なるほど。(時間がそろそろ終わりに近づいてくる)。もう少しその辺りのことも聞いてみたい気もあるのですが、ちょっと前へ進むのは止めましょう。今日、Sさんは妻と義母の反対を押し切ってまで僕の面接を受けたのだけれど、この後、Sさんに対しての風当りが厳しくなるのではないですか。
(62)S:なるでしょうね。きっとあれこれ訊かれると思います。
(63)T:前回はどうやって切り抜けたんですか。
(64)S:先生に言われたように、正確な診断をしたいから家族が干渉して刺激しないように言われていると伝えました。妻と義母は、「何、それ?」といった反応でした。それで、「そんなカウンセラーあかんやん」とか言いだしたのです。でも、今回もそれでいこうかなと思います。
(解説)ここから面接終了に向けての話し合いになります。(61)では私が心配していることをそのまま打ち明けます。今回のことで妻と義母の彼に対する風当りが厳しくなるのではないかということであります。彼はそれを覚悟しているよです(62)。そこで前回はどうしたのかと私は尋ね(63)、彼はそれに答えています(64)。
いちいち指摘するまでもないことですが、妻並びに義母は「主体の言葉」が欠落している節が見られるのです。「私はそれを受け入れることができない」とは言わず、「相手がこうだ」といった形で言うということです。このことは(4)での義母の発言、(6)での私に対しての悪口、(16)では催眠暗示をかけられているという義母たちの解釈、(38)の妻の解釈、(58)におけるS氏が正社員で働きたいという要望に対しての妻の発言、(60)における妻の事業への口出しに対しての妻の応答などで見られたものでありました。
当人に主体の言葉が欠落するので、相手のことを言うことになり、なかば一方的な決めつけのような様相を呈したりするのであります。DV問題に関して言えば、私の経験では、「被害者」立場の人に見られる傾向が強いように感じています。こうした表現がパートナーのDVを引き出してしまうことに一役買っていることが多いように思います。
主体の言葉が欠落するのは、その人に主体の感覚が希薄であるからであると私は考えています。主体の感覚が希薄であるということは、その人は自分自身をしっかり持つことができておらず、自分が自分の人生の主体であるとは体験できなくなっていることを示すものである、と私は考えています。要するに自分が幸せになるのも不幸になるのも、自分にかかっているのではなく、相手次第(あるいは自分以外のものすべて)によって決定されてしまうのだという、そういう体験をする(またはそのように認識してしま)機会が増えるでしょう。妻と義母がもしそういう人であるならば、自分たちの不幸や不具合はすべてS氏に還元されてしまうということも生じ得ることなのであります。
しかしながら、妻と義母がどういう人であるかはS氏の問題にそれほど深くかかわるものではないとも私は思っています。あくまでもクライアントはS氏であるので、S氏のことを中心に考えていきたいと思います。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)