<#015-18>2回目面接解説編(9)
S氏の二回目面接について、個々のやり取りを通して解説を試みてきました。ここから全体を通して述べきれなかったことや補足などをしておこうと思います。
(自己像の快復)
まず、二回目面接に至る経緯を振り返っておきましょう。
S氏は私のカウンセリングを受けたいと望んでいましたが、妻と義母はそれに反対していました。彼の要望は却下されるという状況がありました。その中で、妻と義母は私に対して否定的な見解を述べるようになり、そんな矢先に彼が妻に手を上げるという事件が発生したわけであります。彼はその勢いで私のカウンセリングの予約を取ったのです。S氏がどういう感情状態にあったことでしょう。
予約時の「私のことを覚えていますか」というS氏の発言、面接開始時の抑制した感じ(2)などから、どこか後ろめたいような気持ちも抱えているようであり、それに対して私は罪悪感を仮定しました。彼はどこか罪悪感のようなものを抱えているように思われるのであります。
しかし、その罪悪感は何に由来するものなのでしょう。彼が妻に手を上げた時、いつもなら「やってしまった」などと思うところが、今回は何の感情も抱かなかったと言います(8)。つまり、少なくとも今回に関しては、妻に対しての罪悪感という感じではなさそうであります。
むしろ、公平・公正でありたいと願っているのにそれが実現しないこと、手を上げるようなことはしたくないのにそれをしてしまっている自分であることなどに起因するように思われてきます。つまり、この罪悪感は、相手に対しての行為に基づいているのではなく、自己像の破綻に基づくものであるようであります。こうありたいと願う自己像から自分がかけ離れていってしまうことへの後ろめたさといった意味合いがありそうであります。
彼は理想とする自己から自分がかけ離れていくように体験されているので、こんな自分でも受け入れてくれるだろうかといった思いが強くなっていたのかもしれません。それくらい自分が堕落した人間のように体験されていたのかもしれないと私は考えています。
彼は自分自身をそのように体験していたので、(9)のような応答には彼にすごく訴えかけてくるものがあったのでしょう。それに対して彼は感情的に反応しているわけです(10)。さらに(19)の私の発言に対しては安心感さえ抱いている節が見られる(20)のです。自分が思い描いている自分ではなくなってしまったという思いがあるから、そういう状況であればそうしてしまうのも当然であるといった働きかけが彼にとって救いになるのだと私は考えています。
従って、今回の彼の問題は、DVというよりも、傷ついて堕落した自己像の快復にあるといってもよいでしょう。
彼はいわば自己の快復を求めている、それが今回の面接における一つの主要なテーマとなっていたようであると私は理解しています。
彼は自分はそういう人間ではないということを信じたいわけでありますが、妻と義母は彼がそういう人間であるという認識を(ある意味では)押し付けてくるわけです。妻と義母は彼が否定したい事柄を否定しにかかってくることになり、彼は否定したい事柄を強制的に受容しなければならないという状況に追い込まれることになります。
DV専門家のカウンセラーは、最初から彼がそういう人間であるという前提に立っているように彼には見えるのでしょう。そして、彼の不満は、そこで彼は自分はそういう人間ではないということを訴えることができなかったところにあるようです(4)。
彼の中では私は彼がそういう人間ではないということを信じてくれそうなカウンセラーに見えていたのでしょう。しかし、妻と義母はそのカウンセラー(つまり私)の方がおかしいという見解を彼に押し付けてくる(4並びに6など)ので、彼にとっては二重に否定されるような体験となったように思われます。彼が自分はそういう人間ではないということの否定に遭い、彼がそういう人間ではないということを積極的に認めてくれる人(これはつまり私のことだ)は間違っているとか異常だとみなされることになるので、彼にとっては二重の否定に直面するような思いだっただろうと私は察するのです。
そのような経緯があるので、彼は彼が信じているところの本来的な自己を回復したいのであると私は考えています。しかし、彼が本来的な自己を回復しようと試みることは、妻に対して公平・公正でありたいと願う彼の在り方とどうしても齟齬をきたしてしまうことになるので、彼はジレンマに陥ることになるのであります。一方を目指すと他方が挫折するという状況があるわけであります。
このジレンマに対して、彼が公平であるか否かではなく、公平・公正が通用しない相手であるという形にリフレームされ、それによってこのジレンマのいくらかは緩和されたように思います(23~27)。
さて、彼が本来的な自己を回復させたいと願う領域は夫婦に限定されていなくて、仕事に関してもそうであるようです。彼は現在の働き方は彼の願うところのものではなくなっているようであります。
クライアントは自分と似た傾向のあるカウンセラーを選ぶものであります。S氏はいろんな仕事を幅広くこなすようなマルチな人間になりたいのではなく、むしろ一つの仕事を極めたいとか、一つの領域で業績を残したいとか、一つの仕事で一人前になりたいとか、そういう願望が強いようであります。そういう意味では、彼は心的には「内向的」な傾向が強いのであります。
それでも、彼の言うところでは、最初の1年くらいはそれでもよかったそうであります。おそらく、その辺りが限界だったのでしょう。2年目からはムリをするようになっていたのでしょう。そして、その時期からDVのようなことが発生しているということであります。彼は今の働き方を変えたいと願っているのだけれど、自分のためにでもなく子供のためでもなく、もはや妻のためにこれを続けているという思いが強いようであります(42~48辺り)。加えて、彼はそれを変えたいと申し出ても、妻には却下されてしまったという経緯もあります(58)。S氏にとって、妻に関してもっとも許せない思いがするのはこの辺りなのかもしれません。
次に、S氏たち夫婦には子供がいます。10歳くらいの男児です。この子のことはほとんど話題に上がりません。妻と義母の存在がそれだけ大きいからなのだろうと当時の私は考えていました。つまり、妻と義母のことが彼の意識を占めているので、子供のことが意識に上がる余裕がないのだろうなどと思っていたのでした。実際は、彼の中でどこか子供のことを回避したい気持ちがあったようであります。
それはさておくとして、少なくとも、子供のことに関しては、彼は自分の出番はないと考えていることが伺われます。妻が何でもするからということなのですが、息子にとって自分は重要な存在ではないと思っているところがあるようです(52)。子供に対しての感情がどこか希薄なのであり、それがなぜなのかはこの時点では全く見えないのであります。
さて、もっと探求しようと思えばいくらでもできるのですが、私たちはS氏との3回目の面接を見ていくことにしたいと思います。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)