<#015-13>2回目面接解説編(4)
S氏の2回目面接の解説を続けます。
(21)T:そうでしょうか。Sさんがキレて、妻に手を上げたので、事態が急転したのでしょう。それでこうして2回目が実現しているのでしょう。
(22)S:確かにそうですけど、それでいいのかなあという気もする。
(23)T:暴力は確かによくないことだとは言っても、普通の手段では相手は応じてくれないのでしょう。つまり、普通に説明したり、正当に頼んだりが相手には通用しないのでしょう。
(24)S:特に義母はそうですね。でも、そうか(何か気づく様子)、これまでもそうだった。物事を説明したり、あるいは説得したりが通用しない感じだった。依頼しても常に断られる感じがあった。それは僕の説明が拙くて伝わらないのだとか、頼み方がよくなかったのだとか、そんな思いに駆られていた。
(解説)まず私の(21)のような発言に関して少し述べておきましょう。他のどのような領域のことであっても同じことが生じると私は考えるのですが、トラブルや問題、病気とか事故とか災害とか、その他さまざまな不幸な出来事にはその人を前進させるといった側面があります。そういう出来事を体験して、その人の生き方や考え方が変わるとか、新しい目標が生まれるとか、生き甲斐が生まれるといった例もあるのです。彼がDV問題を発生させたのは良くないことであったとしても、それによって状況が変わることもあり得るわけであり、現に彼は私との二回目のカウンセリングを実現させているのであります。そのことを踏まえておいて、それでは(21)のような働きかけで私が何をしているのかと言いますと、「反スプリッティング」であります。一方が善で他方が悪という分割ではなく、善の中にも悪があり、悪の中にも善があると伝えていることになるわけです。これは罪悪感の低減にもつながるものであります。おそらく妻と義母のような人には理解しづらいことであるでしょう。では、S氏にはそのことが理解できるでしょうか。彼の反応はどうでしょうか。
彼は一応そのことが理解できるようです(22)。ただ、気持ちの上では納得がいかないようであります。「それでいいのかなあ」という彼の言葉には幾分の罪悪感が含まれていることが読み取れるのでありますが、その罪悪感も動揺を来しているように思われます。つまり、罪悪感が強ければ、「それはよくない」といった反応が返ってきただろうと思われるのであります。「それでいいのかなあ」は、罪悪感がそこまで強くなくなっていることを示しているわけであります。
そこで私が応答している(23)のですが、このような応答は私が加害者の味方をしていると誤解を受けかねないものでありますので、少し述べておきましょう。カウンセリングを受けに来るような「加害者」立場の人は、それ(DV)をせざるを得ない状況に追い込まれていることが多いと私は考えています。彼の場合、普通に頼んでも通用しないという状況があるわけです。その状況で妻に手を上げてしまうようであります。(23)はそのことを押さえているわけでありますが、それは同時に、そのような状況がなければ彼は決して暴力を振るわないということをも伝えていることになります。そのことがどの程度彼に伝わったでしょうか。
(24)の彼の反応は、最初に義母のことが意識に上がり、それから意識野が広がり、より広い場面のことに思い至っているようであります。つまり、最初に義母がそれに該当するということが思い浮かんでいるわけです。それから、その他の場面、さまざまな場面のことが思い浮かぶのでしょう、彼は自分の要求や依頼が普通に通じないということに思い至っています。頼んでも断られるという体験を思い出しています。
次に彼に何が生じているでしょうか。そこからDVが発生しているはずでありますので、話がDVのことに発展するでしょう。
しかし、次に彼に生じるのは、自分の頼み方が良くなかったといった思考であります。この思考について考えてみましょう。もし、普段は彼の依頼や説明が通じるのに、その時だけは通じなかったというのであれば、彼のその思考は妥当性があるように思われるのですが、そうではなく、ほとんど常に通じないということであれば、その思考の妥当性は低いものと考えられるのです。でも、彼がそのように考えるのは、ある意味ではそれで自分自身に納得させるのは、彼が暴力を振るわないためであります。ここはS氏のために強調しておきたいところであります。自分の側に落ち度があると考えることで、彼はDVを起こさないようにしているのであります。
少し話が先走りしたので、順を追って見ていきましょう。自分の要求が相手に伝わらない場合、そこで生じる感情は「怒り」であると私は思います。自分の説明の仕方が拙かったのだという思考は、この「怒り」を自分の方に向けていることになるのです。従って、彼は怒りを相手にぶつけないように務めていることになるのです。その代わり、彼は自罰的に自己と関わることになり、それによって表面的な問題は発生しなくとも、彼の中では苦しい体験が蓄積されていくことになります。加えて、自分のやり方が拙かったのでこのようになったという思考は、そのまま罪悪感に結びつくものであります。従って、彼は自分の罪悪感を高めることで、DVのような問題が発生しないようにしてきたと考えることができるのであります。
(25)T:自分の方に何か落ち度があるということで片付けてきたようですね。
(26)S:そう思ってきたけれど、相手の方がそれが通用しないのだとは思ってもいなかった。
(27)T:私はそう思ってますよ。これは簡単に証明できるのですよ。(S:本当ですか)。ええ、もし、Sさんの言い方や頼み方が常に相手に伝わらないのであれば、Sさんはきっとあらゆる人にキレなければならなくなるでしょう。たくさんの人に手を上げているはずでしょう。私に対しても手を上げておかしくないでしょう。でも、Sさんはそういうことをしないですね。(S:笑いながら、そうですねと答える)。ということは、Sさんの説明も依頼も普通に通用するものであり、Sさんは人に対して暴力を振るう人ではないということになりますね。
(28)S:そうですね。これは信じてもらえるかどうか、僕が手を上げたのは妻だけなんですよ。これまで付き合った人であるとか、友達とかに対しては手を上げたことはないんですよ。
(解説)先述の説明のところですでに述べましたが、(25)の私の応答は自分の方に落ち度があったということで、彼がその都度処理してきたことを押さえています。
続く(26)では、彼の中で一つの「発見」が体験されていることが伺われます。自分の落ち度と思ってきたけれど、相手の方がそれが通用しないのだ、ということであります。一見するとそのことは自明であるように思われるのでありますが、なぜ、彼はそのように考えることができなかったのでしょう。義母に伝わらないのは、義母の問題であるというふうに思えなかったのでしょう。この辺りに彼の体験している苦痛が潜んでいるようにも私には思われるのですが、この時点では決定的なことは何も言えないのであり、この疑問はしばらく保留することにします。
続く(27)の私の発話は、彼の説明や依頼は普通に通じるものであることの証明をしています。こういう証明は簡単にできるものでありますが、クライアントによってはそれでも自説を曲げないという頑固な人もいるのです。つまり、そのように証明されても、やはり自分の説明に拙いところがあるという信念は動かされないということであります。自説にしがみつくというのは、例えば変化を恐れる人であったり、柔軟さを欠く人であったりすることが多いのでありますが、彼の場合、どうだったでしょうか、彼の反応を見てみましょう。
(28)では、彼は「そうですね」と私の証明(27)を受け入れてます。その後で、「信じてもらえるかどうか」という形で微妙に不信感を表明しています。つまり、彼が加害者ではないということを証明され、それを彼も受け入れるなら、例えば「きっと信じてもらえると思うのですが」などと言うことでしょう。このことは、単純に考えるなら、私の証明よりも、義母たちの見解の方が彼の中で強く根付いているためであるように思われるのです。だからこの程度の証明ではそこが動かされないのでしょう。いずれにしても、根強く残っているものもあるとはいえ、彼は頑なに自説を曲げないというところは見られないのであります。
続いて彼が言うのは、人に手を上げたのは妻に対してだけであり、その他の人に対しては決してそういうことをしなかったという体験であります。彼がそのことを強く主張したくなっているという点を押さえておきたいと思います。おそらく、彼のその主張は妻・義母に通じないものであったことでしょう。一般的に(と言っていいか)、クライアントがカウンセラーに信じてほしいと願うところのものは、家族やその他の人からは信じてもらえなかったものであります。これを言えるクライアントもあれば、言えないクライアントもいるのです。言えないというのは、信じてほしいといった期待や希望を失い、諦めているといった場合もあれば、そういう期待・希望を持っていたことすら忘れてしまっているといった場合もあり、さらには自分の期待・希望の表明がその人にとって「タブー」になっているといった場合もあるのです。また、家族たちには信じてもらえなかったことをカウンセラーに話してみるということは、クライアントの方でそのカウンセラーに対する信頼がなければできないことであります。
さて、まとまりを欠いたまま綴ってきましたが、分量の関係でここで次項に引き継ぐことにします。言葉足らずだったところは以後補足していくことにします。
(文責:寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)