8月12日(日):宇宙飛行士の話
こんなタイトルを掲げたけれど、誤解のないように申し上げたいことは、まったく夢のない話をするだろうということです。
僕は日本人で宇宙に行った人たちのことを、あまり良く思わないのだ。これは偶然にも僕の父と同意見だった。昨日、父からもそういう話を聞くことができた。ただ、父は宇宙飛行士そのものが好きになれないのだけれど、僕は一応、宇宙飛行士個人と日本という国とを分けて考えるようにはしている。
現実に一人の日本人が宇宙に行くために、巨額の税金が投入されているのだ。それもアメリカやロシアの宇宙船に乗せてもらうためにである。日本の宇宙船に日本人宇宙飛行士が乗り込む分には全然構わないのであるが、実際はお金を出して乗せてもらっているという形になってしまっているのだ。そこに問題を感じるのである。それだけの税金を投入するのであれば、景気対策、雇用対策にもっと回すべきである。百歩妥協して、日本の宇宙開発費用に回すべきである。これが僕の考えるところなのだ。
そもそも宇宙に行って何をしようというのか、僕は疑問を覚える。研究のためだと称しているが、その研究は今現在どうしてもしなければならないことなのだろうか。僕はその方面の専門外だから、あまりまともなことは言えないだろうけれど、何となく、あまり重要性が感じられない気もするのである。人間が宇宙で生活できるようになる前に、地球を良くすること、日本という国をもっと住みやすいものにしていく努力の方が先決ではないだろうか。僕はそう思うのだ。ここでも百歩譲ろう。それなら日本の技術を駆使して立派な日本製の宇宙船を作り、その宇宙船で諸外国の方々に宇宙を体験してもらうことの方がよっぽど意義のある仕事だと僕は思うのだ。もちろん、これはそうそう実現しないだろうとは思うけれど。でも、いつまでもタクシーの乗客のような立場に甘んじるのではなくて、タクシー会社を運営する側に、客ではなくホストの側になることも大切なことではないだろうかと僕は思うのだ。
いかんいかん、どうも愚痴っぽくなってしまった。本音を言えば、一人の宇宙飛行士に巨額の税金を投入するくらいなら、この僕に税金を投入してくれんかいなということなのだ。要するに嫉妬しているのだな。
しかしながら、SF小説は好きだけれど、僕は個人的には現実に宇宙に行きたいとは思わないし、人類が宇宙に手を出すことに反対する人間なのだ。人類は進化して地上で生きるようになった。その時、人類に大地が与えられたのだ。我々は自分たちに与えられたものの範囲で幸福に生きることをもっと学ばなければならないのではないか、僕はそう思うのだ。
くどくどと綴ってきたけれど、これは僕の個人的な考えなのであって、いちいち反論や批評をネットなどで書き込まないようにしていただきたいものだ。僕のような人間にも個人的な思想を表明する権利が与えられていいだろうと僕は思うのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)