7月26日:書架より~『盤面の敵』 

7月26日(木)書架より~『盤面の敵』 

 

 時々、このブログでも書くけれど、僕は推理小説(ミステリ、探偵小説)がすごく好きだ。それも最近のものではなく、黄金時代のものが好きだ。黄金時代とは1920年から50年代までを指し、その年代に活躍した作家たちの作品のことだ。もちろん、僕の個人的な趣味による分類である。これは第二期黄金時代で、第一期は19世紀後半頃の短編中心の時代だ。この時代の作家、作品も好きである。 

 さて、実家にはその時代の推理小説が数百冊ある。何か読みたいと思い、本棚を見回す。本の背表紙をずーっと追っていくと、「おっ!」という一冊に行き当たる。何か、本の方から「わたしを読んで」と訴えてくるのが聞こえるかのように体験するのだ。こうして、手にした本が、エラリー・クイーンの『盤面の敵』(The Player On The Other Side)という作品だ。中学生頃に読んだ本だ。それで、20数年ぶりに読み返すことになった。 

 昨日、読み始めて、今朝、読み終えた。それなりに面白い作品である。でも、かつて感じたような面白さはなかったな。 

 推理小説に関しては、暗黙のルールがある(と僕は思っている)。あまり、内容を漏らしてはいけないというルールだ。だから書きたいと思うことが、思うように書けないという不便さがある。できるだけ内容に触れないように書こうと思う。 

 中学生の頃に読んだ時、すごく面白いと感じたのだけれど、今回読み直してみて、そこまで面白いと感じなかったのは、僕の目が肥えてきたからなのか、当時ほど感動する心を失っているのか、どちらとも言えない。何となく、エラリーの推理が冴えないという感じがするのだ。4人のヨーク家の従妹を順番に狙う犯人に対して、二人目、三人目の犯行を許し、危うく四人目が成功してしまうというのは、何とも後味が悪い。 

 でも、面白い点もある。珍しいことであるが、本作では二重人格を正面から扱っているということである。作中の人物がはっきりとした二重人格なのである。よくある一人二役とかいうトリックではなくて、正真正銘の二重人格である。これに対して、エラリーもクイーン警視もどう対処していいか戸惑うのが印象に残った。それに、現在のサイコミステリなどというような作品につきものの残虐さがないというのも好感が持てる。 

 作中にパーシバル・ヨークという人物が登場する。彼は「悪」として描かれているが、事件を経験して心を入れ替え「善」となっていくのだが、これも二重人格テーマとリンクしているのかもしれない。 

 また、推理小説を読んでいる時、言われてみれば僕自身も人格が分かれているかもしれない。小説を読んで、犯人のトリックを推理している僕と同時に、作者ならこういう目くらましをするだろうなと考えたりしているのだ。つまり、犯人に挑戦していると同時に、作者にも挑戦しているような感じで、二つの視点で読んでいるなと気づくのである。これもまた二重人格的な要素を帯びているのかもしれない。 

 そもそも、推理小説自体が二重構造を有する文学だ。読者が実際に読むストーリーと、犯人側のストーリーがある。犯人側のストーリーを再構築することが、いわゆる「推理」ということではないか。読者は二重構造をそのまま受け入れているのであるが、こうした推理小説の構造が、二重人格テーマを自然に受け入れるのに一役買っているのかもしれない。僕はそう思うのである。 

 しかしながら、本作における二重人格は、現実の臨床で出会うものとはかなり異なるものである。本作では、かなり「都合よく」交代人格が現れているという感じがするのである。もちろん、それで本作の価値が下がるわけではないが、臨床家のはしくれとして、指摘しておきたいところである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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