6月6日(水):貝の話
昨日と今日と、Yさんと一緒に旅行に行ってきた。和歌山県白浜の「とれとれビレッジ」で一泊してきた。ああいう施設があるなんて、僕は知らなかったし、Yさんと交際していなければ決して行かなかっただろうと思う。
それはドーム型の宿泊所で、なんとも不思議な光景だった。同じようなドームがボコボコと建っているのだ。別世界に踏み込んだような感じがしたね。ただ、生憎なことに、室内にいると息が詰まるような感じも体験した。どうもあの曲線が神経に障る時があった。まあ、これは人それぞれだろう。全体的には悪くはなかった。
二日目の今日は周辺を観光する。白浜の砂と色鮮やかな海、それに三段壁がとても良かった。Yさんはあまりそういうのには興味がないかもしれないけれど、僕は人工のものよりも自然の光景の方を好む。
海中展望台も、僕は個人的にはいい体験だったと思っている。下に伸びている展望台で、窓から海中の様子が見えるという仕掛けだ。前日の雨で海中が濁っていて、よく見えないと教えられたけれど、せっかく来たので入ってみた。確かに、濁っていて何も見えない。窓の近くを泳いでいる魚の群れがわずかに見えるだけだ。天気がよくて、海がきれいな時は、きっともっといいのだろうと思う。でも、海にも穏やかな時もあれば荒れる時もあるし、その両方を見ておくのは大切なことだと僕は思う。きれいな時しか人は見ないかもしれないけれど、濁っている時を見れたのは案外価値があるかもしれない。
三段壁も素晴らしい景色だった。ああいう光景が僕はとても好きだ。自然が作り出したものだから、真似はできない。人工的な光景が足元にも及ばないような美を感じる。
三段壁の土産物屋で貝殻の詰め合わせを買った。貝殻を集めるなんて、漁色家のように思われるかもしれない。貝というのは女性器を連想するからだ。でも、そういうこととは別にしても、僕は貝殻というものに魅力を感じるのだ。貝殻というものは、外側がどれだけ汚くても、その内側はすごく綺麗なのだ。どんな貝殻も、その内側は色彩が豊かで、光輝くものもあれば、淡い色彩に満ちているものもありで、その貝の持つ色があり美がある。それは外側から見た限りでは分からない色なんだ。
「わたしは貝になりたい」なんて映画があったけれど、僕も同感だね。ただし、貝のように殻に籠るという意味ではなくて、貝のように内側をきれいに生きたいという意味でだ。外側が汚くても内側にきれいなものを有しているという意味だ。この逆の人は良く見かける。外側だけを綺麗にしようと懸命になっているという人だ。
多少ともそれに近づいているだろうか。なんだか内も外も汚いものだらけだなと自分でも思うのである。もっとも、案外人間とはそういう存在なのかもしれないが。
いかんいかん、もっと楽しい旅行記を書こうと思っていたのだが、そうならなかったな。今夜大阪に戻って、僕は梅田で少し食事をしてから帰宅した。帰宅した時には非常に疲れていた。一休みしてから、「自己対話編」を書き、その後でこのブログを書いている。疲れている時に、愉しいことはなかなか書けないものだ。でも、機会を見て、この旅行記をしたためていこうとも考えている。当分、旅行の話が続くかもしれないけれど、そこは容赦していただきたいと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)