5月31日:ネットで音楽 

5月31日(木)ネットで音楽 

 

 また、くだらんブログでも書くかと思いつつ書き始める。読んでも何の役にも立たず、生きていく上で必要な知識や体験が得られるでもなく、僕にとってはワードの練習、読み手にとっては人生の貴重な時間時間潰しにしかならないブログである。 

 インターネットにはいい加減ウンザリしている。先週辺りから、ユーチューブでいろいろ音楽を聴いている。それももう止めようと思う。音楽系の動画はイヤになるほど大量にあって、一つ見ると、その他の関連動画リストが挙がっていて、そこからつい別の動画を見てしまうのだ。こうしてネットサーフィンしてしまうのである。気がつくと、大部分の時間、それしかしていないということに気づいたりする。 

 音楽系の動画で、「full album」系のものがアップされていたりする。これはレコード一枚の音源が丸々収められているというものだ。昔、買おうかと迷ったアルバムや、聴きたかったアルバム、以前所有していたものとか、ずっと探していたものや興味ありながらも手を出すことなく終わったものなどがアップされていて、クリック一つでそれらを聴くことができるのだ。僕にとっては夢のような感じだ。 

 もちろん、著作権も何もかも無視してアップされているのだろうと思う。こちらもそういうことを気にしないで、何枚か聴いてみる。最初はいい。しかし何枚か聴いていくうちに、物凄く虚しい気分に僕は襲われる。あまりに安易すぎるのだ。ずっと探していたレコードなどが簡単に聴くことができるのだ。あのまま手に入れることのなかったアルバムにしておいた方が良かった。いつかそれに巡り遭った時の喜びを残しておく方が良かったと思っている。そういう思い入れのあるレコードにしておいた方がよかったと思っている。そっちの方が人間的な体験のように僕には思われる。ネットなんて、だから下らんのだ。 

 例えばビートルズのレコードが何枚かアップされていた。一枚は僕が小学生の時にお小遣いを貯めて購入したアルバムで、一枚は父が買ってくれたアルバムだった。僕にとってはそういう思い出がそのレコードたちに付き添っているのだ。今でも家に大切に置いてある。あれから30年近く経っている。あのレコードがいつでも聴けるように、レコードプレーヤーも保存している。それがネットでは簡単に、しかも無料で聴くことができるのだ。そこには何の感動もない。たとえいい曲であったとしても、何一つ僕の中で動くものがない。 

 もう一つ言うと、アルバム一枚全部聞き終わる以前に、他のアルバムを探し始めていたりする。結局の所、真剣に音楽を聴いていないということだ。恐らく、それが今流の音楽の聴き方なのかもしれない。あちこちに飛びついて、さわりだけ聴いて、それで「こんな感じか」などと思うだけで終わるのだ。 

 CDが売れなくて困っているという話も耳にするが、分かるような気もする。無料で聴けてしまうからだ。おまけにお店に足を運ばなくてもいいというお手軽さもある。でも、お金を払ってまでしてそのアルバムを買い、買ったアルバムをじっくり繰り返し聴いて、それを愛聴盤にしていくということを人はしなくなっているのではないかと思う。だから薄っぺらい人間ばかりになってしまうのかもしれないな。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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