<T024-1>高槻カウンセリングセンター便り集(1) 

 

 

(本ページのコンテンツ 

・はじめに 

・高槻カウンセリングセンター便り~1通目:「治らない人」と「失敗する人」 

・高槻カウンセリングセンター便り~2通目:「忌まわしい過去」 

・高槻カウンセリングセンター便り~3通目:「治療で悪化する人」 

・終わりに 

 

(はじめに) 

 これは2022年6月から2023年にかけてGoogleさんのマイビジネスページにて展開していたコラム集です。 

 マイビジネスページでは一回の投稿の分量に制限があったので一通一通は短いものでありました。今回、HPに再録するに当たって、いくつか加筆・修正などをして、三通で1ページとすることにしました。 

 内容的には特に目新しいものではなく、このHPの延長ないしは重複となっています。あらかじめご了承ください。 

 

 

 

<高槻カウンセリングセンター便り~1通目:「治らない人」と「失敗する人」> 

 

 話を簡略化するために、便宜上、人を二分することをご了承ください。 

 

 「心の病」は、それに罹るか罹らないかよりも、それが「治る」か「治らない」かの観点が重要であります。そこには「治る人」と「治らない人」とを想定することができ、「治らない人」は「治る」前に「治る人」になることが大切であります。私は常にそこを目指したいと願っております。 

 もし、その人の普段の在り方が心理療法場面にも持ち込まれている、とそのように仮定すれば、「治らない人」は、面接場面で見られる傾向が、その他の場面でも現れていると考えることができます。 

 そのことを踏まえると、「治らない人」というのは、いわば「失敗に方向づけられた人」であり、様々な場面で「失敗」を経験している人であると考えることができます。つまり、「治らない人」というのは「治療に失敗する人」とみなすことができるからであります。「治療」を受けても、その人の在り方として「失敗に方向づけられている」とすれば、「治療」にもその傾向が持ち込まれ、「失敗」をここでも繰り返す可能性があるわけであります。 

 私の目指すカウンセリングは、症状や問題行動が「治る」ことを目指すのではなく、その人が「治る人」になること、成功に方向づけられるようになることを目指しています。そして、その人が「治る人」になれば、どのような治療を受けてもその人は「治る」と私は信じています。だから、その人が「治った」としてもその手柄は当人に帰されるべきであって、臨床家や医師の手柄ではないと考えています。 

 その人が「成功」に方向づけられていれば、その人はどのような苦難でも克服できると私は信じております。 

 

 カウンセリングを通して豊かな人生を 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

<高槻カウンセリングセンター便り~2通目:「忌まわしい過去」> 

 

 人は生きていると不愉快な経験をしてしまうものです。二度と思い出したくないと思うほどの経験をすることもあります。自分の中にある忌まわしい記憶をどう処理するのか、それを今回は考えてみましょう。 

 

 この時、二つの誤ったやり方があります。ある意味では典型的なやり方でもあります。 

 一つは、徹底的にそれを追い出そうとすることであります。力づくででもそれを追い出そうとするのであります。これをすると、四六時中その忌まわしいやつに関わり続けることになるのです。しかも、それがなかなか出て行ってくれないために、ますますそれが厄介な存在にになってくるのです。延々と自分と格闘することになり、その意味で誤りなのであります。 

 もう一つは、その忌まわしい記憶がある周辺を封鎖してしまうことであります。自分の心の中に立ち入り禁止区域を設けるようなものであります。そのため、この人は自分が非常に窮屈に感じられるだろうと思います。自分の中にタブーの領域が生まれるからであります。そうやって忌まわしいやつは消去したけれど、心の領域が縮小してしまうので、やはり誤ったやり方ということになります。 

 前者は、例えば、無理にでも忘れようとしたり、気を紛らそうと強迫的に活動したりなどといったものも含みます。後者は、例えば、小学生の一時期の記憶を消去したいために小学生時代の記憶すべてを失うといったものまで含まれます。 

 両方ともかなりの負担やリスクを負うやり方であるように私には思われるのです。 

 

 実はもう一つ安全なやり方があるのです。私の実体験でもこのやり方が一番正しいように思えています。それは忌まわしい記憶が無害になるまで自己を拡充するという方法論なのですが、これは多少の手ほどきが必要なものであり、カウンセリングを通してクライアントは身に着けていくのであります。 

 

 カウンセリングを通して豊かな人生を。 

 

(2022年6月4日) 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

<高槻カウンセリングセンター便り~3通目:「治療で悪化する人」> 

 

 カウンセリングや治療を受けて悪化した、という人があります。 

 この「悪化」は、本人の主観によるものであるか否か、治療の過程で必然的に生じる現象であるか否か、純粋に治療によるものであるか否か等、細部をもっと見ていく必要があります。そうでなければ「悪化」かどうかが判断できないものであります。しかし、今はそこは度外視しておきましょう。 

 

 治療的な働きかけに対して「悪化」するという現象は、「陰性治療反応」として知られています。 

 それにはクライアントのパーソナリティも深く関係していて、無意識的罪悪感とかマゾヒズム的傾向などの関連が言われています(フロイト)。 

 治療者側の要因としては、陰性転移分析の失敗(ライヒ)、治療同盟の不十分さ(レヴィエル)、早すぎる解釈(オリニック)などを指摘する人もあります。 

 (『患者と分析者』第8章 Jサンドラー他著、誠信書房 参照) 

 

 私が体験し見聞した限りでは、一気に抑圧を解放したり、一気に退行してしまったり、いきなり深層のものを取り上げようとしたり、いきなり手に負えない場面に行動化しようとするクライアントによく見られるように思います。 

 水道の蛇口で私はこれを喩えるのです。開栓して放水するのはいいのですが、閉まらなくなるのであれば、あるいは閉めても水漏れするのであれば、最初から開かない方がいいのであります。その場合、まず、しっかり閉めることができるようになってから開栓しなければならないわけであります。いきなり全開で栓を開き、どっと内容を迸らせて、閉めることができなくて、それで収拾がつかなくなってしまうわけであります。こうして一旦開いた栓を閉めることができなくなるので、その内容物を延々と引きずることになってしまうのであります。クライアントの中には自らそういうことをしてしまう人もあるので注意が必要なのでありますが、困ったことに、専門家の中にもそういうことを推奨しているような感じの人がおられるのであります。こういうのは非常に危険な行為であるのです。 

 心がしっかり閉じることができるようになってから、心は開かなければならないのであります。 

 

 私もまた安全なカウンセリングを目指しています。安全なカウンセリングとか治療というものは、クライアントからすると「物足りない」とか「まどろこしい」というふうに見えるかもしれませんが、案外、それくらいの方がいいのであります。 

(2022.6.5) 

 

(文責:寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

<終わりに> 

 マイビジネスページに投稿欄があり、そこを遊ばしておくのも勿体ないと思い、特にこれといった目的も方向性も打ち出さずに始めた連載でした。こういう目的でやっていこうとか、こういうイメージでいこうとか、最初から何も決めずに、とにかく始めて、やっていくうちに形ができていくだろうという感じで始めることが私にはよくあるのですが、こういうのは女性的(あまりこういう表現は好ましくないかもしれないけれど)なやり方であると思います。結果的に、こういうやり方が私には性に合っているようであります。 

(2023年7月) 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

PAGE TOP