1月13日:運とツキ

1月13日(水):運とツキ

 

 僕は運とかツキとかいうものが何なのか分からない。ギャンブル依存のページでも述べたことだけれど、それがどういうものなのかよく分かっていないのだ。おそらく、他の人たちもそうではないかと思う。本当は何なのか分かっていないのに、さも分かっているかのようにそういう言葉を使っていたりするのだと思う。

 日常的に分かっているようでいて、いざ説明しようとすると説明できなかったり、改めて問われると分かっていないことに気づいたりするものって結構あると思う。僕の場合、心とか精神とかいうものがそうだ。あと、生命とか社会とか家族とかいったものもそうだ。運とかツキとかいうのもその中に入る。

 確かに、それは運が良かったねとか、それは運がなかっただけだよとかいうことを僕も言ったりする。言葉にできない何かを言う時、あるいは、どう言葉をかけていいか分からない時に便利な言葉ではある。本当はどういう意味が分かっていないのに、それしか言えないとか、そう言うと何かを言ったような気持ちになるとかいう経験もする。

 

 運という言葉は日本では割といい意味で用いられる。運も実力のうちだと言われたりもする。欧米では(国によって違いはあるだろうけれど)、運というのはあまりいい意味ではないようだ。運よく成功できたという場合、その人は自力では成功できない人だとみなされたりするそうである。君は運がいいとは、君は無能だという意味に等しくなるようである。同じように、「運が悪かっただけさ」というのも、「君は運に頼るしか能がない人だ」といった意味になるだろうか。

 映画『ゴッドファーザー』を初めて観た時に理解できなかったワンシーンがある。ラスベガスでカジノを営む男がいるが、この支配人はあまり収益を上げていないようである。そこでコルリオーネ一家の若きドンであるマイケルはこのカジノを買収しようと試みる。当然、支配人は反対する。その時にマイケルが「君は運が無かっただけのことさ」といったようなことを言うのだ。すると支配人がムッとして猛反発するのだけれど、どうしてそういう反応が出るのか理解できなかった。

 今では分かる。運がなかったということで、マイケルは支配人を侮辱しているのだ。日本だったら慰めの言葉になっていただろうけれど、アメリカではそうではないんだね。つまり、マイケルは、成績が上がらないのは君がダメ人間だからだと支配人に伝えているのに等しいわけで、それをかなり遠回しに言っている(要するに彼らお得意の脅しのテクだ)ということになるわけだ。

 『シンシナティ・キッド』ではさらに分かりやすく描かれている。ギャンブルの世界でも神業を持っているような人間は神格化されるが、運だけに頼っている人間は一段格下の人間として描かれている。彼らは無力で、不活発で、不健康そうで、人生の落伍者のような描かれ方をしているように僕には見えるのだけれど、どうだろうか。僕の見解はともかくとして、あの映画はアメリカ人と日本人とでは見方が違うだろうという気がしている。スティーブ・マックイーン演じる主人公は、最後は運頼みしてしまうのだ。さらに最後の最後で運から見放されてしまうのだ。日本人は、もしかしたらだけど、運に見放された不幸な人間をそこに見てしまうかもしれないけれど、アメリカ人はそこに人間から脱落した人間を見るのかもしれない。主人公の姿が違ったふうに見えるのかもしれない。

 

 ああ、なんだか今日は面白くもない話をしているな。

 先日、パチンコでツキまくったという人の話を聞いてから、ツキとか運のことを再度考えたのだ。運が良かったとか、ツキが回ってきたとか、そんなことでデカい顔する人もあるが、僕は心の中で軽蔑しておこう。欧米式(というかアメリカ式)の認識を持つようにしよう。運は実力ではない。自分は運がいいとは自分は実力がないと公表しているようなものだ。

 何事にも運に頼る人間にはなりたくないものだ。運とは放棄だと思う。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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