4月11日(水):Yさんと会う日
今日はYさんと会える日だ。昨夜は徹夜だったけれど、余計な気遣いをさせないようにしようと思う。でも、徹夜した日は徹夜したとはっきり言うことにしている。僕が眠たそうにしていたり、疲れているように見えても、それが徹夜したためだと思ってほしいからである。
今日、この後、Yさんが来ることになっている。今週は会えるのは今日だけだ。希望を言えば、毎日少しずつ会う方が、僕は助かる。週に一回だけだと、会える日にできるだけ一緒に過ごそうと努めてしまうからだ。そして、他のことを一切投げ打って、Yさんとの時間に割いてしまうのだ。
Yさんとは長く付き合っていきたいと思っている。僕は少し変わっているのかもしれないけれど、交際する相手には恋愛経験がしっかりあって欲しいと願っているのだ。言い換えれば、相手にとって初恋の相手になりたくないということだ。なぜかと言うと、初恋なんて大抵は失敗するものだろうと考えているからなのだ。それに恋愛ということが、その人の中でしっかり確立されていないように思うからなのだ。だから、僕以前に何人もの男性と恋愛してきたという女性の方が、僕としては付き合いやすいのだ。
この話をしたところ、Yさんはセックスの経験だと捉えてしまったようだ。僕の言い方が拙かったのかもしれない。僕だってセックスの経験がそれほど豊富ではないから、それは関係がないことなのだ。
Yさんとはいつか別れが来るかもしれない。もしそういうことがあるとすれば、現実に交際ができなくなるという状況が生じるか、Yさんの方が僕から去ってしまうかのどちらかだろうと思っている。僕は強く責任を感じているから、僕の方からYさんを見放すということはしないつもりだ。
Yさんが去ってしまうというのは、Yさんが僕を父親代わりにしてしまうことによるものだ。この可能性がまったくないとは言い切れない。親からしっかり愛された子供は、年頃になると親以外の人を愛するようになるものだ。甘えが満たされると、人は恋愛をしたくなるものなのだ。だから、僕がYさんに望んでいるのは、親との関係をきちんと処理しておくということなのだ。同じことは僕自身にも課しているけれど。
僕は仕事で何人もの「不幸」な夫婦を見てきた。この経験から言えることは、相手を親代わりにしてしまうことがその源泉であるということなのだ。相手を「救世主」のように体験することも、根は同じ所にあるのだ。
だから、Yさんが僕の中に父親を見て、父親との間で経験できなかったことを僕を通して達成しようという気持ちがあれば、僕たちは必ず不幸な結末を迎えるだろうと僕は思っている。僕の方はYさんに母親転移を起こしている感じはしていない。だけど、時折、父親役割をしてしまっていないかと気になる時はある。
Yさんと会って、愉しいひと時を過ごすのはいいのだけれど、別れた後で、僕は自分自身を振り返ってみるようにしている。反省して、自己嫌悪に陥ることもよくある。でも、会うのが厭だとは思わない。今日は、どんな反省をすることになるやらである
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)