4月13日(金):忙しくなった一日
昨夜は原稿を書いたり、家の片づけをしたりして、遂に徹夜をしてしまった。これで今週三日目の徹夜である。体が慣れてきたのか、今日は徹夜明けにも関わらず、それほどしんどさを感じない。
僕の仕事は曜日によって多少浮き沈みがあるのだけど、金曜日というのはここしばらく暇になることが多い。今日もそうである。それで、暇だからというので、いろんな用事を金曜日に設定する。今日もそうだ。しかし、そうすると、逆に目の回るような忙しい一日になってしまった。
Yさんとも会った。それに「姉さん」と会う予定も今日に組んでいた。業者や営業の人と会ったり連絡を取り合ったりが数件、毎週金曜日にしようと決めた勉強、それにサイトの作業。サイトの作業はまとまった時間のある時にしようと思っていたので、今日まで伸ばしていたものだ。それを今日取り掛かる。それと、久しぶりに顔を出そうと思っていた店に行くのも今日と決めていた。それでけっこうたいへんな一日になったのだ。
その中でも姉さんの占いの話が面白かった。姉さんは父母を恨むと言う。その日に自分を産んだことを恨むと言う。もう一日早いか遅いかしてくれていたら、男運が違っていただろうにということだそうだ。占い師から男運がないと言われて、気にしているようだ。なかなか微笑ましい考え方である。
もし生年月日によって運命が決まるのであれば、自分と同じ生年月日の人たちをもっと知ってみればいいと思う。姉さんと同年、同月日に生まれた女性がみんな男運がないかどうか調べてみればいいと思う。おそらく、幸せな結婚生活を送っている女性も中にはいるだろう。
仮に、生まれた日によってその人の背負う運命が決まっているという考え方を受け入れたとしても、運命など所詮ただの運命にしか過ぎないのだ。運命には何一つ個人に対しての決定権がないと僕は考えているし、あまり決定論的、宿命論的に物事を考えすぎないようにすることが大事だと僕は考えている。
それよりも、姉さんの「男運のなさ」はもっと他の所にあると僕は思う。それ以上話すと、姉さんの個人的事柄に触れざるを得なくなるので、この辺で止めておこう。でも、そういう視点を持たずに、「運」を持ち出すのは、外在化しているのに外在化していると気づかせなくなる。けっこう多くの人がそれをしているものだ。そこに気づいて欲しいと思うことも何度もある。でも、それに気づくことはできれば避けたいという気持ちも分かる。もし、「運がなかったから」という理論を退けるとなれば、すべての事物が当人の責任に帰せられてしまうからである。まあ、そういうこともサイトの方で述べることがあるだろう。
それよりも、Yさんと今日会えたというのが一番大きい収穫である。彼女の出勤前のわずかな時間に会った。僕の仕事場に寄ってくれたのである。十数分のわずかな時間だったけれど、僕はアホばかりやってしまって、どうもよくない。限られた時間しかないのに、アホなことをして貴重な時間を食いつぶしてしまったように気がしてならない。彼女はがっかりしたのじゃないかな。僕も反省することしきりである。アホなことからも卒業しないといけないな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)